できる方法を考えるビジネスマン『ぐりとぐら』(ネタバレあり)
『ぐりとぐら』のフレーズはあまりにも有名だ。知らない人はほとんどいないのではないだろうか。かく言う私も、子どもが幼い頃には何度も読み聞かせて覚えてしまった。
そして、替え歌のように口ずさむ。
あなたがこの世で一番好きなのは……何?
『ぐりとぐら』は1963年に発刊され、昨年で60周年を迎えた。令和の子どもたちにも絶大な人気を誇っている、言わずと知れた大ベストセラーだ。
残念ながら私は貧乏な家庭で育ったため、幼少の頃に絵本と触れ合うことはなかった。だから、『ぐりとぐら』の存在を知ったのも、子どもが生まれ、ある程度絵本を理解できるようになってからだ。
いまさらかもしれないが、一応あらすじをおさらいしておこう。
雑に要約すると、「拾った卵でカステラを作ってみんなで食べた」だけの話である。私自身、そんな風に捉えていた。とくに面白いとも思わなかったし、深い話だとも感じなかった。
印象に残っているのは「ぐり ぐら ぐり ぐら」の軽快なリズム感だけ。
我が家の子どもたちも成長し、『ぐりとぐら』を読む機会もなくなってしまった。もはや絵本がどこにあるのかもわからない。もしかすると、誰かに譲ってしまったかもしれない。
元々、出産祝いで頂いたものだったと記憶している。たしか、『はらぺこあおむし』と一緒に頂いた。だから、もう何年も読んでおらず、話の内容も微かに覚えている程度だ。
考えるきっかけとなったのは、『お探し物は図書室まで』だった。
私がはっきりと覚えているのは、カステラを作って食べたことくらいだ。具体的な内容までは覚えていなかった。
あれ?そんな話だったっけ?
『お探し物は図書室まで』を読んだ後、物語の印象が180度変わった。『ぐりとぐら』は子ども騙しの単純な物語ではなく、人生の教訓が書かれている自己啓発書であり、ビジネス書なのだ。
たとえば……
たとえばの話、来月には地域の小学生を対象とした剣道大会が開催されるとしよう。毎年同時期に開催されている、地元の社長さんたちのクラブが主催している大会だ。
しつこいようだが、あくまでも喩え話だ。
大会の運営委員をまとめるのは、今年度から就任したT委員長。残念ながら、誰もが知っている妖怪テキトー人間だった。人間なのか妖怪なのかすら、はっきりしないテキトーさなのだ。
通常、大会を開催する前には委員会で会議を開き、部門や試合ルールなどを取り決める。しかし、T委員長はそんなこと全部すっ飛ばして主催側に「昨年同様」と報告してしまった。
じつは、昨年度から懸案事項となっている課題があったことを、彼は知ってか知らずか、無かったことにしようとしたのだ。
T委員長は会議を開くこともなく、個人の勝手な判断で主催者側に報告したことになる。
勝手に判断するんなら、委員会なんて要らんやろがい!!
ある委員はグループLINEに激しい口調で書き込んだ。彼は今年度の大会をより良いものにしようと、必死に考えてきたのだ。今か今かと、ろくろ首のように首を長くして会議が開催される日を心待ちにしていた。
それなのに、議論もされないまま、すべてが無かったことにされようとしている。クラウチングスタートの姿勢を保ったまま、大会が中止になってしまったようなものだ。
もし、開催方法を変更するなら、大会要項を変更しなければならない。しかし、T委員長は議論もせずに「できない」と言い切った。
大会要項の修正は、1分もあればできることだ。それなのに……
しかも、あろうことか擁護派も現れた。その人物とは、自分の保身に走るアルマジロタイプで、昨年度から反対していた人物だった。
「私が指導している団体が勝てなくなる」と、わけのわからない言い訳を繰り返す。アルマジロは自分の身を守るのに必死なため、前向きな発言を一切せず、同じところをクルクルと走り回る。
その結果、ほかの委員は歯ぎしりをして苛々を募らせることになったのだ。
彼らは1mmたりともできる方法を考えず、できない理由ばかりを並べ立てることに専念した。とにかく現状のまま、当たり障りなく大会を終えたいというのが本音だろう。
来年度の大会前に議論しますので、今回はこのままでお願いします。
T委員長は投げやりにそう伝えた。時間切れだ。残念ながら、我々は牛歩戦術に負けた形となった。
加速される少子化によって大会規模も年々縮小されてきている。何一つ面白くない大会だ。私が小学生なら、こんな大会には出たくない。静かなびわ湖を眺めてのんびり昼寝をしている方が意味がある。
委員長には、ぐりとぐらが適任だ!
ぐりとぐらに、リーダーシップを遺憾なく発揮してもらいたい。彼らは、現状のままではできないことでも、工夫して取り組むスーパー野ねずみ🐀コンビなのだ。
逆にT委員長がぐりかぐらのどちらかだったとしたら、何一つ物語は進展しないだろう。
せっかく見つけた大きな卵も運ばずに放置だ。よって、美味しいカステラが出来上がることはない。まず、カステラを作るという発想にすら至らない。
ぐりとぐらは、卵が大きすぎて自分たちの力では運べないと判断し、即座に発想を転換させた。
運べないのならこの場所で調理すればいいじゃないか……と。
T委員長の辞書には、おそらく「発想の転換」という文字が記載されていない。いわゆる思考停止妖怪なのだ。
そもそも、ぐりとぐらはどんぐりや栗を拾うために森にやってきたのだ。卵を探しに来たのではない。そんなときにたまたま見つけた卵を食べようと考えたのだ。
臨機応変な対応もできてしまう。さすが、スーパー野ねずみ🐀コンビだ。そんな、ぐりとぐらにカリスマ性を感じるのは、もはや気のせいではない。
T委員長だったらどうだろうか。
おそらく、卵を見つけない。卵を見かけたとしても……
ん?卵?
見てない、見てない。
物語は始まらない。
卵を見つけて、
「あっ、卵だ!この卵をどうしようかなぁ」
という発想にすらたどり着かないだろう。
T委員長版のぐりとぐらは、どんぐりや栗を拾って帰るだけで物語が完結する。起承転結の「承」もなければ「転」もない物語ができあがる。何も起こっていない、平和な世の中だ。
小学1年生レベルの日記だった。
カステラを食べられる日は永遠にやって来ない。
しかも、ぐりとぐらは卵の殻までもリサイクルしてしまうのだ。卵の殻を車にするなんて発想、誰ができるのだろうか。何もない状態から、新たなアイデアも提案できてしまう。
やはり、委員長はぐりとぐらしかいない。
早くカステラを食べたい。はらぺこ🐛なのだ。