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美しい思い出に殺される前に


「失った夢だけが 美しく見えるのは何故かしら」

Sweet  memories 

という歌がある。

人の記憶というものはとても主観的で、かつ、想起のたびに改ざんされていくらしい。

片想いしていた人のこと、叶わなかった夢のこと、選ばなかった道のこと。
余白や可能性を残したままの記憶は、その後の想起の中でどんどん都合よく美化されていく。

「あの道を行っていたら今頃どうなっていただろう」と本気で考えてしまう時は、だいたいにおいて現状に満足していないので、
そういう美しい思い出を振り返ることは、時にとても苦しい。

私にも思い出を美化する傾向が大いにあるらしく、過去のワンシーンや人とのやりとり、その時の感情を、五感を伴って鮮やかに思い出すことがある。

どれもキラキラした、宝物のような記憶なのだけど、
もう二度と戻れないとわかっているので、不意にフラッシュバックすると息ができないほど苦しくなったりする。(まるで幸せなPTSDである)

思い出に殺される

私はそういう時、本気でそう思う。

こんなに暴力的に美しい思い出を抱えたまま、今の生活を送るのはきっついなと思う。

最近、そういう美しい思い出を共有した人と再会したので、その話をしてみたら、

「僕もだよ」

と、返ってきた。

「あんなに素晴らしい時間はもう二度と訪れないと思うと、耐えられないほど苦しい」

対処法を聞いてみようと思ったら、

「ねえ、こういうのって、どうしたらいいの」

と、逆に尋ねられてしまった。

美しい思い出に殺されそうになる時、どうしたらいいのか。

長年考えてきたけれど、
今年の夏にした旅が、その答えになった気がする。


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