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木皿泉さんの心に効くことば。(『木皿食堂』を読んで。


こんばんは。デイリージラフです。

だれにとっても、忘れられない言葉あると思います。奮い立たせる言葉、心を癒してくれる言葉、くすっと笑わせてくれることば。

Q10などの作品で知られている、夫婦作家:木皿泉さん。彼らが紡ぐことばは自分にとって、心をいやす大切な、くすりのような言葉です。

『木皿食堂』は数ある木皿本の中でも、好きな本の1つです。

自分にウソをつかないと自分を信じられる

木皿さんがうまくいかない、OL時代のエピソードをご紹介します。

私は、あの頃、自分しか信じるものがなかったんだなぁと思う。服や化粧や、結婚したら辞めねばならないOLの仕事が、自分の将来を作ってくれるとは、どうしても信じられなかったからだ。私は、そんな八方ふさがりのとき、一人で立ち食いの店に行き、サラリーマンのオジサンたちに交じって寿司やら蕎麦をよく食べた。可愛らしい女の子になるのも、できたOLになるのもイヤだった。可愛がられて、便利に使われて、寿退社という決まりきったレールに納得できなかったのだろう。一日働いた人たちに交じって何かを食べていると、気持ちが晴れた。少なくとも自分にウソをついていない気がした。そして、そういう自分を明日も信じようという気持ちになった。

”自分にウソをついていない”ことが、”自分を信じる”ことにつながる。

当たり前だけど、忙しい毎日では忘れがちなことです。自分を信頼しているからこそ、人に対して、何かが出来たりします。もちろん、いつも自信満々でいられるわけではないですが。

不公平な世の中で、「終わり」を思い出す

不公平な世の中だけれど、「終わり」だけは誰にでも、もれなくやってくる。我々は、いつその「終わり」を迎えるのだろう。考えてみれば、それがいつなのか知らないので、これが最後の晩餐か、と真剣に思い詰め、「この世の名残、世の名残」という気持ちで食べ物を選んだことなど、ない。よく最後に何を食べたい? などと聞いたりするが、それは、どこまでも空想の話で、ステーキが好きだとしても、これから死ぬかもしれないというときに、喉を通るとはとても思えない。私たちは、生きていることが突然、断絶されるなどとは微塵も思っていない

終わりについて、きちんと考えておかないと、日々の嫌なことに自分が振り回されてしまうことが多いです。

木皿さんのこの言葉は、「終わり」を「思い出す」大切さをリマインドしてくれます。

終わりを思い出しつつ、そればかり考えない、、、という事は難しいのですが、ある程度うまくバランスをとって、日々を過ごしたいものです。


自己責任の時代に生きている

今は何だって自分で選択する時代です。もう少しすれば寿命だって自分で決めなければならなくなるかもしれない。すべてが自己責任なの

世の中にはあふれんばかりの情報だらけで、エンターテイメントも、衣食住も数多くの選択肢があります。それは、今の時代、人間の歴史の中で初めて起こったことでしょう。

木皿さんは、寿命も自分で決める時代がくるのかも?と指摘します。

実際に、データが集まるにつれて、遺伝子検査で、こんな病気にかかりやすいということがわかったり、この言葉が現実化することは近いのかもしれません。

けれども、最後にはそれをふまえて、この人生で、どういうことをして、どういう風に終わりたい!という事を考えて、日々を生きてゆく・・・。それが残酷だけれど、唯一無二の真実のように思えてきます。

木皿さんの言葉は、私たちが忘れがちな、日常の、生活の中のことを思い出させてくれます。よかったらぜひ、木皿食堂に行ってみた下さい。


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