この世の中に、遅刻して生まれてきた私たち。(「無理ゲー社会」でどう生きるのか?)
橘玲さんの「無理ゲー社会」という本を読見ます。
仕事で慌ただしい日々を過ごしていると、大きな世の中の流れを考える事をやめてしまう。そんな時に、橘さんの本は、新たな考え方を示唆してくれます。
無理ゲー社会とは、「社会的、経済的に成功し、評判と性愛を獲得するという困難なゲームをたった1人で攻略しなければいけない」社会のことです。
この本の中では、リベラルな社会、一人一人が好きなように生きられる社会が、いかに残酷で、想像しているよりもずっと格差が広がっていることが、たくさんの事例と共に語られています。
この本の中では、特に日本の若者が、経済的に厳しい状況におかれ、将来に希望が持てない状況が当たり前であると触れられています。
現在は格差社会が進行し、若者の負担が増えていることは間違えないでしょう。
それでも、これだけ多くのエンタメが安価で得られる時代はありませんでしたし、好きなものを好きな時に好きなように楽しむ機会は、減っているよりはむしろ増えているように思えます。電車でスマホを見ている人たちは、それぞれのやりたい事を実現しているのでしょう。
でもなんだかモヤモヤする日々・・・。
そんな中、私たちはどうやって世の中で生きていけばいいのでしょうか?
そんな世の中で生き抜くためには、どうすればいいのでしょうか?
その答えを導き出すヒントが、養老孟司さんの動画にあるように思います。
養老さんは、私たちは全員、世の中に遅刻して生まれてきたと語ります。
私たちが生まれる前に世の中があり、私たちはその環境に生まれてきた。
まずは、その事実を理解することはとても大切だと思います。
今私たちが生きている社会は、無理ゲー社会なのかもしれません。
そうだとしたら、まずはそれを受け入れて、どんなルールで、この無理ゲー社会が動いているのか、理解すること。
これが最初のステップだと思うのです。
そこからは、自分の考え方をどんどんアップデートすること。
スマホがしょっちゅうアップデートするように、実は私たち自身もアップデートが以前にまして求められている時代なのかもしれません。
養老孟司さんが語るように、目の前の仕事=社会を変えることに注力するのではなくて、自分を変えることによって、日々いろいろな事を学ぶことによって、この社会に折り合いをつけていくことが、1つの回答のように思ったりする今日この頃です。