世田谷線と日本史の小さな旅
(過去記事です 2024.3.23)
こんにちは。
今日、3月23日は、東急世田谷線の旅を楽しみました。
同時に・・・日本史をめぐる旅だったなんて!
教養を深める機会にもなりました。
まずは渋谷から田園都市線で、三軒茶屋までいきました。
駅の上のキャロットタワーの展望台にまずのぼり、
世田谷区全体を見渡しました。
これから乗ろうとする世田谷線が走っている様子もみられます。
そして、一日乗車券を買って、小さな旅が始まります。
まずは松陰神社前で途中下車して松陰神社に向かいます。
この神社、なぜ「松陰神社」かというと、
江戸時代・幕末の思想家、吉田松陰をお祀りしているからです。
「過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ」
などの名言でいまでは有名です。
高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、幕末から明治初期の
スーパースターを育てたことでも知られています。
その教育を行った「松下村塾」の模造があります。
そんな吉田松陰ですが、1858年、日米修好通商条約に反対しました。
日本はアメリカと貿易を始めるにあたって、日本側に不利になる要件が含まれていた 条約です(不平等条約、なんていいます)。
この問題から幕府と対立したことで、29歳の若さでその生涯を閉じることになります。
お墓もこの神社にありました。
引き続いて、世田谷線に再びのり、つぎは「宮の坂」で降りました。
駅前には、かつての東急電鉄の車両が展示されています。
もちろん、目的地は「豪徳寺」です。
立派な三重塔が出迎えてくれました。
豪徳寺といえば、「招き猫」が有名です。
ある日、この地を通りがかった鷹狩りの帰りのお殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ったことが由来だそうです。
それが彦根藩主の井伊直孝という人物であり、豪徳寺は井伊家ゆかりのお寺になったわけです。
井伊家のなかで日本史の教科書にも出てくる超有名人といえば、井伊直弼(いいなおすけ)です。
さっき、日米修好通商条約の話をしましたが、井伊直弼は、この条約を結ぶのに賛成しました。
この条約をめぐる激しい争いから、井伊直弼も命を落とすことになります。
お墓がありました。
そんなわけで、日米修好通商条約をめぐる賛成派(井伊直弼)と反対派(吉田松陰)の争いが、世田谷線の小さな旅から感じることができるわけです。
ワークフォー渋谷がある渋谷区と、世田谷線が通る世田谷区は隣同士、世田谷区からもワークフォー渋谷にはたくさんの方々が通所していらっしゃいます。
そんなワークフォーにとっても縁もゆかりもある世田谷区から、 日本史をひもといて教養が深まる一日を体験できました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?