「菜食主義者」ノーベル文学賞作家、ハン・ガン(2)
ブッカー国際賞を受賞したというハン・ガンさんの「菜食主義者」という小説はちょっと不思議な小説でした。
この小説は、菜食主義者、蒙古班、木の花火という視点の異なる三編の中編小説でなりたっていて、それが一つの長編小説にもなっています。そこまで書くのかと、ちょっと信じられないくらいのストリー展開もあり、驚きでした。
なおこの文章には、一部ネタバレを含んでおりますので、ネタバレが嫌な方はお読みにならないようにお願いいたします。
最初の「菜食主義者」では、ヨンヘという女性の夫の視点で書かれています。
口数もすくなく、特別な短所もない、平凡な妻であるヨンヘが、ただ一つ変わったことがあるとするならば、ブラジャーを嫌がることでした。そんな平凡な妻が、二月のまだ暗い明け方、パジャマ姿でキッチンに立っているのでした。それを見たヨンヘの夫が、何をしてるんだ、と問うと、ヨンヘは夢を見たのと言うだけでした。そして、この小説では、その夢らしい、暗い奇怪な情景がフラッシュバックのように繰り返し出てくるのです。
ふたたび布団にもぐりこんで目を覚ました夫は、目を疑います。妻のヨンヘがキッチンの冷蔵庫のまえでパジャマ姿のままでうずくまっていたのです。彼女のまわりの床には、しゃぶしゃぶ用の牛肉、豚バラ肉、大きな牛足などが入ったビニール袋やプラス地チック容器が足の踏み場もないくらい散らばっていたのです。
それから妻のヨンヘは肉だけでなく、卵も牛乳や革靴まで捨ててしまい、これからずっと肉を食べないというのです。ヨンヘは、肉を食べなくなり、ほとんど眠らなくなり、しゃべらなくなり、ドンドンやせ細っていき、もともと出ていた頬骨が見苦しいほど出っ張り、肌の色は病人のように青ざめていったのです。
数カ月たったころ、不安にかられた夫は、妻の両親や姉に電話して、妻が肉を食べなくなったことを伝えたのです。そんなある日、ヨンヘの姉が新しいマンションを買って、引っ越し祝いのために実家の家族全員が集まり、食事をするのですが、ヨンヘは肉類を食べようとはしません。それを見て、ベトナム戦争に従軍したことのある父が、「何をしてる! 早く食べなさい!」と激怒し、ヨンヘの頬を殴って無理に口を広げ、肉の塊を押しこんだのです。すると、ヨンヘは獣のように大声で叫びながら肉の塊を吐き、果物ナイフで自分の手首を切り、血が噴水のようにほとばしったのです。姉の夫が特別攻撃隊出身らしく慣れた手つきで止血し、ヨンヘを背負って病院の緊急室に運びこみました。
病院を訪れたヨンヘの夫は、妻が病室にいないので探して回っていると、ヨンヘは噴水台の横のベンチで、上半身裸にになり、げっそりとした鎖骨とやせた胸、薄褐色の乳首をむき出しにして、左手首の包帯を解いて、血のにじむ、切ったところをゆっくりとなめている姿を目撃するのです。ヨンヘは病院でも常に服を脱いで太陽の光を浴びようとしているようなのです。
次の「蒙古班」では、ヨンヘの姉の夫の視点で書かれています。
手首を切ったヨンヘを病院に運び込んだ姉の夫が、二年後のある日、息子を風呂に入れて、妻である、ヨンヘの姉が息子にパンツをはかせながら息子の尻に蒙古班があるのを見て、「いくつになったらなくなるんだろ」とつぶやき、「ヨンヘは二十歳まで(蒙古班)残っていたのよ、……親指くらいのものが、青く、そのときまであったから、今でもあるんじゃないかしら」と言うのを聞いて、姉の夫は、妻の妹のヨンヘの臀部に残っている蒙古班をどうしても見たくなるのです。
彼はビデオなどの映像作家のようで、ヨンヘの蒙古斑を見るために、男女の裸の肉体に植物や花をボディ・ペンティングする映像の制作を思いつき、ヨンヘにその映像にモデルとして出演してくれるように頼みにヨンヘの部屋を訪れるのです。ヨンヘの部屋を訪れると、部屋には鍵がかかっておらず、誰もいないのでベランダの窓を開けたときに、突然人の気配がして、ヨンヘが浴室のドアをあけて裸のまま出てきたのです。ヨンヘは離婚し、精神科の薬を飲んで生活しているようなのです。
ヨンヘは彼の提案に何も言わずに、修道女のように彼のアトリエについて来て、服を脱いで、蒙古斑を見せ、体にボディ・ペインティングをさせるのです。そして今度は彼が自分の体にボディ・ペインティングをほどこして、ヨンヘの部屋を訪れ、ヨンヘと身体を重ねて姿を映像に取り終えて、深い眠りに落ちてしまうのです。昼すぎに起きると、驚いたことに、彼の妻であるヨンヘの姉が部屋に来ていて、その映像をすべて見たことがわかるのです。彼はベランダに走って行って、三階から飛び降りようとするのですが、妻が呼んだ救急隊員に脚をつかまれ、死ぬことはできなかったのです。
最後の「木の花火」は、ヨンヘの姉の視点で書かれています。
ヨンヘの姉は、ヨンヘが入院しているチュクソン山の森の近くの病院を訪れるのです。その病院では、三カ月まえの三月にヨンヘが失踪して、病院のスタフッフ全員が山の隅々まで捜索して、ヨンヘが深い山のひっそりした斜面で、まるで雨に濡れた一本の樹木のように微動だにせず立っていたところを発見されたというのです。
ヨンヘの姉はヨンヘが失踪するまえに面会に来た日のことを思い出します。ヨンヘが面会室に下りてこないので、ヨンヘと会うために廊下を歩いていくと、長い髪を垂らして、肩を床につけて真っ赤な顔をしてヨンヘが逆立ちをしているのを発見します。
姉は、ヨンヘ何してるの?まっすぐに立ってと言うと、ヨンヘは笑みを浮かべながら、木はまっすぐに立っているばかりと思ってたけど、みんな逆立ちして両手で地面を支えていたのよ、お姉さん、わたしが逆立ちしたら、わたしの体から葉っぱが出て、手から根が生えて……土の中に根を下ろしたの。股から花が咲こうとしたので脚を広げたら、ぱっと広げたら……。
わたしには食べ物はいらないの、水と日差しさえあれば生きていけるの……。
そんなヨンヘの話を聞きながら姉は途方に暮れるのでした。
この文章を読み、その寓意に驚かされました。
訳者、きむ ふなさんのあとがきによれば、ハン・ガンという作家は、深い孤独と暗い絶望に満ちた作品、やすらかな日常に潜んでいる人間の本質的な欲望と実存を見据える作品を書いてきたといいます。
また「ハン・ガンの作品の登場人物は、皆が心の傷に苦しんでいる。現在の苦痛は、幼年期の傷や不幸な家族史によって前景化される。これは著者の最も大きなテーマである実存の問題を見据えるためで、家族はそのスタートラインにあるからだ。「私」は家族の中で形成され、その家族によって「私」であることを妨害される。そうした家族に対する根源的な恐怖と、他人であるしかないという認識にょり、作中人物の孤独感が際立つ」と書かれています。
わたしも「菜食主義者」を読んで、この作者は、孤独と暗い絶望をよくこれだけ書けるものだと感心し、孤独と絶望を描く筆力に半端でない、凄みを感じました。
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