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「告白」なんか、しない方がいい(※文学ってなんだ 19)

私はおおよそ、「告白文学」なるものを評価しない。

「己」というひとりの人間の、日々の生活の様相であれ、過去に起こった身の上話であれ、むかし犯した罪であれ、人には言えない秘密であれ、口にするにも恥ずかしい不潔な性癖であれ、――あるいは、哲学的思索の道程であれ、宗教的啓示に至ったいきさつであれ、なんであれ――おおよそ「小説」という器の中へ、「己」をゲロしてみせたような物語を、評価できない。というよりも、クリエーターとして、そんな愚は絶対に犯してはいけないものであると、そう確信している。

だから、『仮面の告白』は、その字面だけで今なお敬遠している小説であり、『人間失格』は、むしろ「小説失格」と銘打つべきだったとみなしている失敗作であり、『暗夜行路』に至って、これこそ近代日本文学の質の低さを他のどの作品よりも決定的に物語っている駄作に違いないと、そう確信している。

それゆえに、いわゆる「私小説」という日本文学の悪しき伝統は、数多の有能なクリエーターを堕落させ、ただでさえなまくらな仕事ぶりを許容してきた過去100年余りの小説家の環境を、よりいっそう怠惰な方へと押しやった恥ずべき因習なのだと、――そう確信している。


私はこれまでも、西欧のルサンチマン文学が、日本文学にもたらして来た「禍い」のような悪影響について、語って来た。

ルサンチマンとは、ヘタレ、甘ったれ、しみったれの敗者的精神(つまり、負け惜しみ)のことであり、たとえば「共産主義」のような精神的性病の根源であり、あるいは「植民地主義」のような人類に対する犯罪の動機づけであり、――ひいては、福音書的に換言するならば、れっきとした「悪霊」のことを指し示しているのである。

で、そんな西欧的精神的性病に姿をやつした、汚らわしき「悪霊」どもが、はるばる海を渡って我が国にまで入り込んで来たのが19世紀末のことであり(それよりはるか以前からも、すでに疫病のようにしのびこんでいたのだったが)、そんなものをば過度にありがたがって輸入し、翻訳し、国内に垂れ流し続けたのが明治・大正時代の日本社会の様相であった。そして、とりわけてその度合いもひどかったのが、二十世紀中ごろのいわゆる「戦後」とかいう、今なお継続せられている「オハナバタケ時代」なのである。

明治・大正はまだしも、「戦後」なんて、文学史的視点から眺めやった時にも、これといった温ねるべき真実も、尋ね求めるべき真理もなく、ただひたすら汚らしい「悪霊」に、憑りつかれるだけ憑りつかれたような(もしくはそういうフリをし続けた)作家たちが、愚にもつかないおしゃべりを、さほど美しくもない文章をもってしたためていた――そんな「無分別、無教養、無反省の時代」である。

また別な文章をもってやろうと思っている「戦後批判」とは、「文学的」などという小賢しい「枠」の中においてのみ為されるべきものでなく、「真人間的視点」に立ってみても、絶対にやらねばならない「仕事」に違いない。

そうすることでしか、「戦後」という穢れを払い、悪霊を追い出し、「真人間」として生き直すことは、できないような気がする。またそうすることでしか、たとえば丸山健二なんかが追い求めている「真文学」にも、たどり着けないような気がする。――実に「戦後」とは、それほどまでの「災禍の時代」なのである。

それゆえに、

日本の「私小説」はもとより、「戦後文学」や、その源流たる「欧米のルサンチマン文学」に一度たりとも穢されたことのない、優秀な文学的才能を持った誰かの――そんな人が存在してくれたら、ただそれだけで素晴らしい!――その才能にみちびかれるがままにしたためたような小説があるならば、ぜひともこの手にとって読んでみたいと思っている。(余談になるが、日本の「児童文学」には、そのようなものがありそうである。だが、それはまた別の文章にて…。)


ちょっと脱線してしまったようなので話を戻すが、我が国のものであれ、外国のものであれ、「告白文学」には、本当にロクなものがない。

たとえば、

アンドレ・ジイドの『狭き門』なんて、アルファからオメガまで、「うんざりと目を回すしかない」、はてしなく陳腐な「コイバナ」である。最後の終わり方ひとつ取り上げてみてみても――なんだろうか、あの、勝者に対して「この部分では俺が勝っていたんだ」とでも言いたげな負け犬の遠吠えみたいな捨て台詞は…。ただただクダラナイ、ナサケナイという感をば否めない。

ドストエフスキーの『地下室の手記』にしても、面白かったのは、悪友たち全員とけんかをした挙句のはてに総スカンを喰らう「送別会」の場面と、不遜な下男とのしつような神経戦をくり広げる「給料日」の場面くらい。どこまでも尊大な、人を人とも思わない士官と公道で肩をぶつけあう子どもじみた「戦闘」の場面も、(人間はしょせん猿並みと思わせられて)ちょっと面白かった。――それ以外は、「作家のおしゃべり」ばかりで、当時のロシア文学や欧米文学の典型で、「オマエ、いつまでしゃべってんの…?」とか、「で、話は終わったの…?」とか、読みながら声に出さずにはいられないほど、ツマラナかった。

しかしそれでも、

私がまだ年端もいかない子どもだった頃に、不運にも読んでしまった「告白文学」の中で、今でも評価できるものは、三つほどある。

『異端者の悲しみ』――これは、谷崎潤一郎の小説としても、告白文学としても、完全な大失敗である。だから、この小説自体はまったく評価してない。しかし、潤一郎自身がこの失敗をもとにして、その数年後に『痴人の愛』という傑作をものしている――この点をかんがみる時、この『異端者の悲しみ』という駄作まで、一緒に評価したいと思うのである。

もっとも、『異端者の悲しみ』という失敗を糧にして『痴人の愛』という成功に至ったというのは、あくまでも私の個人的考察に過ぎずして、「ほんとうのところ」はどうか知らないし、正確に知りたいとも思っていないが。…


『ヰタ・セクスアリス』――この短編は、純然たる「告白文学」ではないかもしれない。しかも読んでいて、かなり退屈である。が、実はこの「退屈」こそが、森鴎外の書きたかったことなのだ――そう思わされる時に、ラテン語で「性欲的生活」を意味するタイトルのこの作品に、作者のたしかな、そして、したたかな叡智のようなものを、感じ取るのである。

すなわち、正宗白鳥なんかが「醜男醜女の情事」と吐き捨てた、当代文学の主流であったところの「自然主義文学」の横に置いてみてみれば、『ヰタ・セクスアリス』全体をつらぬいている「退屈さ(もしくは淡泊さ)」こそが「真実」であって、「醜男醜女の情事」を描きたがった自然主義文学の方が「自然」ではなく、むしろ「不自然」な嘘っぱちであったものと、思い至るのである。だから、「自然主義」なんかもまた、欧米から輸入した借り物の「文学ごっこ」であり、人まね、物まね、猿まねの稚戯に過ぎなかったという結論に至るのである。


『こころ』――この長すぎるフィクションは、漱石の「拙さ」と「凄さ」とを同時に味わえる、「駄作にして名作である」というオカシナ物語である。(漱石、と同時に、明治時代の「拙さ」と「凄さ」というふうに言ってもいいかもしれない。)

『こころ』は、話の内容もさることながら、その語り口(文体)からしてがわたしが終生批判をやめないであろう「告白文学」の典型であるがゆえに、まず評価していない。また、ある部分は膨らませすぎで、ある部分は端折りすぎという、「連載小説の欠点」まであますところなく曝け出されているがために、その完成度をあげつらうなら、こちらもほとんど評価できない。

しかし、そんな些末なマイナス点をぜんぶ帳消しにしてお釣りが来るくらい、文学的にも特筆すべき「終わり方」をもって物語が幕を閉じている、この一点をば、大いにおおいに評価したいと思っている。――すなわち、「先生」なる主人公が「殉死」という形で、「自分で自分に決着をつけた」という終わり方をである。

『道草』という、これこそ漱石の自伝的小説の終盤の場面にあっても、漱石は似たような「経験」を主人公にさせている。

―― 健康の次第に衰えつつある不快な事実を認めながら、それに注意を払わなかった彼は、猛烈に働らいた。あたかも自分で自分の身体に反抗でもするように、あたかもわが衛生を虐待するように、また己の病気に敵討でもしたいように。彼は血に餓えた。しかも他(ひと)を屠る事が出来ないのでやむをえず自分の血を啜って満足した。
予定の枚数を書きおえた時、彼は筆を投げて畳の上に倒れた。

「ああ、ああ」

彼は獣(けだもの)と同じような声を揚げた。 ――


冒頭の西欧的ルサンチマンとは、たとえば「殉死」だったり、たとえば「自分の血を啜って満足したり」というふうに、「自分で自分に決着をつけられない」からこそ「ヘタレ、甘ったれ、しみったれ」なのである。そして「悪霊」とは、自分の血ではなく、「他を屠り、他の血を啜る」がゆえに「悪霊」なのである。

これは非常に大切なことなので、もう一度くり返しておくが、

自分で自分に決着をつけらないがために、他を屠り、他の血を啜ろうとするのが、ルサンチマンであり、悪霊なのである。

であるからして、

告白文学の、ルサンチマンの、あるいは悪霊の「やり口」とは、こうである。

主人公たる「作家自身」の不幸な生い立ちや、それに起因する失敗談などを、いかにも大げさに「説明」しつつ、自分のせいというよりも「周囲」や「時代」のせいで仕方なくそうなってしまったのだとしか読めないような書き方をもって、「ボクちゃんが一番苦しいの」という「ゲロ」をしてみせる。

それだけでもすでに十分にウンザリなのだが、いつのまにか、そういう「生い立ち」や「時代」によって背負わされた「不幸」が、「キリストの十字架」のような「尊い苦しみ」のように描かれており、「こんなにも苦しんでいるボクちゃんの精神を、生き様を、死に様見てくれ!そうして、そこから学び、悟ってくれ!」といった「殉教者」の横顔まで、してみせるのである。

志賀とか、太宰とか、三島とか、遠藤とか、大江とか…その他にも虫のように名前がわいて来るが、こういう「ルサンチマン作家」たちは、何をどうカンチガイしていたのか、その小説の中でしつように「殉教者」のポーズをしてみせたがった、「四流クリエーター」たちだった。

見せたがりの殉教者なんて、本物の殉教者であるわけがない。ニセモノの殉教者だから、「四流」なのである。あまつさえ、小説(フィクション)の中にとどまらず、愛人を道連れにして入水したり、将来ある若者を道連れにしてクーデター未遂事件を起こして割腹したりした人に至っては、いったいどこまで恥さらしなんだろうか。…

まことにまことに残念ながら、そんな「ボクちゃん殉教者」を「先生」と呼べたのは、『こころ』までである。なぜなら、「先生」が「先生」なのは、「殉死」したからであり、殉死という形で「自分で自分に決着をつけた」からにほかならないからである。

それゆえに、「殉死」もせず、「自分で自分に決着をつけることもできなかった」、志賀とか、太宰とか、三島とか、遠藤とか、大江とか、、、そういう「甘ったれ作家」の描いた物語の主人公なんか、どこまでいっても純然たる「ボクちゃん」であり、「先生」に昇格することは、決してない。

そして、「先生」になりきれない「ボクちゃん」こそが、恥ずべき「戦後」の本質なのである。

まだまだ言いたいことは尽きないが、

「他(ひと)を屠る事が出来ないのでやむをえず自分の血を啜って満足した」

という生き様(死に様)を、きちんと描ききった漱石は、やっぱり「愛すべきクリエーター」だったと、最後に書いておこう。

それから、

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのか)」

と、今わの際に叫んだ「キリスト」が「凄い」としたら、

「他(ひと)」ではなく、あくまでも「神」に向かって、「決着をつけようとした」からである。

「殉死」もできないが、「他の血を啜る」こともできない――

もしも、そんなふうに苦しんでいる「反明治的」かつ「反戦後的」なクリエーターがいるのならば、それがヒントになろう。



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