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あつみ観光鉄道伊良湖本線 始発駅三河田原:まえがき

鉄道の生き残りは
「人口減少との戦い」
その側面ばかりが強調される

鉄道が好き💖
クルマがスキ💛
飛行機LOVE😍
船いのち☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

そんな変わり者の集団には
未乗車区間の鉄道が廃止されることは

「片思いでまともに顔を注視できない相手」

からストーカー扱いされ
接見禁止処分を課されたよう深刻な事態だ!
失恋よりも強烈な悲恋だ💔

アメリカの人文地理学者であるカール・O・サウアーは
警官

こんなウサギの警官は困る

景観を
①自然景観
②文化景観
に区分した。

文化地理学という学問では
鉄道や道路など自然景観は
人為により改変された「文化景観」だと定義される。


日本人にはほとんど知られていないが
世界的には名前の知れた

Yi‐Fu Tuan【段 義トゥアン イーフー】というアメリカの地理学者は

Space and Place: The Perspective of Experience.
邦題「空間の経験」(ちくま学芸文庫 ト 2-1)
という本のエピローグの中段で

『遥かにもっと印象的なのは、思考することを目論むことが
「空間の征服」という意味で空間能力に及ぼす影響であろう。
人間は(思考の産物である)海図と羅針盤の助けを得て
大洋を横断してきた。
さらに複雑な機器を用いれば、
地球から飛び出して月へ行くことも可能なのである。』
そう述べている。

それなのに・・・・

宇宙へ飛び出すために高額な費用を捻出して
「科学振興のため」少数の人間を運ぶ輸送機関が
進化する一方で

原敬の時代へ逆行するかのような官僚差配が
徐々に浸透している。

「未開の山中に鉄道を通しても猿しか乗らないのではないか!」
と国会で野党から問われた原首相が
「鉄道法の規定によりサルは乗せないこととされています」
という答弁・・・人を喰ったという問答は

「赤字の鉄道は存続してはならぬ」という
官僚出身野党政治家への
「痛快な反論」である。

偶然鉄ヲタの首相が在位しているが・・・
彼にはこの程度の反論も思い浮かばないだろう。

小生のくだらない鉄道構想は
イーフー・トゥアンという学者を恩師の中俣先生から
教えていただいたことがはじまりだ。

小生はアフリカで朽ち果てた
ジブチ・エチオピア鉄道の遺物にも似た景観と
中国の支援で完成した
エチオピア・ジブチ鉄道の壮観だが体温が感じられない景観を
イーフー・トゥアンとエドワード・レルフを援用して論文にまとめた。

現物の鉄道とジブチ回廊という有史以前から存在する人間の道
その対比が壮大すぎて
小象※の文章には少々重荷すぎたほどだ。

※小僧ではなくあくまでも小象なのは
 アフリカ赴任中に辛坊治郎さんのラジオ番組とのやりとり
 のペンネームジブチにいる象に由来するからだ。

エドワード・レルフ【Edward Relph】というカナダの地理学者は
場所の現象学【Place and Placelessness】という著書の

没場所性という章で「経済システム」が

『多くの支持者によって深い考えもなくしかし熱心に視聴されている全国ネットのテレビニュースの定期的なマーケット情報に対するような「信仰」としての性格さえ帯びた・・・《中略》・・・市場支配に関連したこのような集合化は、効率的な事業、利潤の最大化、そして企業の成長と生き残りという大目標の達成を可能にする。』

と安易な利潤追求・効率重視の世界が
「没場所性」=「意義ある場所をなくした環境
「場所のもつ意義を認めない潜在的姿勢」
だと暗に示している。

鉄道はサルが乗っても・・・
場合によっては空気を運んでも・・・
そこにあるから場所性を帯びる

「体温が感じられる空間」となる。


日本の政治家や財務省の官僚がかつて教条主義的に信奉し
「ドイツでは・・・」
「ヨーロッパでは・・・」
というマクラ言葉をつけて
あらゆる
財政再建論議を煙に巻き

赤字鉄道=悪の権化

という等式を
国民的コンセンサスだと粉飾したのに

元祖財政均衡
本家経済教条主義
小さな政府家元

のドイツ経済が・・・破綻しかかっている現状を

「なんにも説明せず・・・言い訳もせず」

123万円いじょうはびた一文まけない

という宮沢洋一議員の宗教的な確信と
財務省の硬直した思考では
「日本の鉄道は原敬首相が建設を進めた時代へ逆戻りする」

冗談を言っているのではない。
財務省の試算した鉄道の存続と損益分岐点を押しはめれば
「輸送人員/㌔1000人未満の鉄道は不用」となる。

千葉県に当てはめれば・・・・君津以南と上総一ノ宮以南は
「すべてバス転換」ということだ。

宇宙へ人を運ぶのも必要だが
鉄道を最低限整備し保持するのも必要だ。

どちらかを選択する2択ではなく全選択が
日本中に
「元鉄道」
「元線路」

という

意義ある場所をなくした環境」だらけ
にする愚策を回避する唯一の手段だ。

財政のために予算があるのではない。

国民の生活に資するための財政であり
その執行を確実にするための予算だ。

そのための政治家であり・・・
庶民の声を具現化するのが官僚の役割だ。

「日本中に高速道路網が整備されたら鉄道の価値は下がる」

そんな発言を日本を代表すると嘯く経済新聞でのべる
官僚は庶民のシモベですらない。
下部温泉も入湯不可だ!
シモベという日本語を東大では教えないなら
東大の組織を考えなおす必要がある。

国民が貧困で力をなくしたら・・・
鉄道どころか
高速道路も広大な空き地でしかない。

さて渥美半島の鉄道を計画したい!

日本の鉄道空白地帯で
「渥美半島ほど鉄道の実現可能性が高い場所はない」
それは田原まで豊橋鉄道の線路が現存するからであるが
それよりも沿線人口が安定し
観光需要も十分すぎるほど存在する。

有望な観光地
「伊良湖岬」を含めた条件がその実現性を担保するからだ。

詳細はまえがきなので次章へ譲るが
なぜいままで数度鉄道が計画され
そのたびに挫折したのか???

その問題は過疎地や地方都市の問題だけでなく
社会構造を含めた「景観の問題」が存在するからだ。

知ったかぶりで登場させられた
エドワード・レルフ氏とイーフー・トゥアン氏という
稀代の地理学者には
「もらい事故のような惨事でしかない」のは
没場所性の負の効果だろう。


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