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【心が震えるごはん】:命をつなぐ食事(再編集版)

もしもの備え

※この記事は10カ月前の記事ですが
 もうすぐ能登半島の地震から1年が経過しますので
 再編集の上公開させてください。

①【心が震えるごはん】食べたことありますか?

 私が一度だけ経験したその【美味しいごはん】は阪神大震災の発災翌日、ロウソクの灯りだけで食べた缶詰の五目ご飯だ。地震発生時だがお赤飯を食べていた同僚もいた。赤飯とはいささか不適当だが自衛隊の缶飯は『五目御飯、鳥飯、赤飯』などがアトランダムに提供されるため、配給担当者も特に意図があって赤飯を選んだ訳ではない。たまたま在庫が『赤飯』だった。

 薄暗い生田警察署の道場でたべた堅いごはんではあったが、半日ぶりに食べる食事は本当に【驚愕するほど美味しい】食事で、食べるだけで体中に栄養がみなぎり力が湧いてきた記憶がある。朝5時に食事を済ませて部隊を出発し、ほぼ飲まず喰わずの災害派遣活動のあと12時間後に味わった遅い遅い昼食である。

 食事が遅くなった理由は地震による道路の損傷と、避難する人々や支援車両が、通行可能な道路に集中したせいだ。瓦礫や移動不能車両が溢れた道路を、迂回に迂回を重ね10㎞程度の道程を4時間以上かけて海上自衛隊阪神基地隊のドライバーが警察署へ運んでくれた貴重な缶飯である。恐らく帰り道も困難であるのに、淡々と任務をこなすドライバーに感謝の言葉を伝えられなかった事を未だに後悔している。
 それ以来30年間、様々な場所・場面で3食×365.25日×30年≒33,000回食事を取った。けれどあの時の【缶飯】を超える食事にはめぐり合えていない。
 当時26歳だった私は海上自衛隊で護衛艦に乗っていた。阪神大震災当日の朝、私は新しい職場となる船へ転勤した。着任と同時に『とにかく神戸に行く』という。
 緊急物資を満載したトラック数台分の荷物を積み込んで、瀬戸内海へ船出したのは1月17日の午前中であったと記憶する。
 若くて体力があった私は、神戸到着と同時に市内で要救助者を捜索する班に配属された。倒壊した家屋に対処できる装備も技量もなかった我々が少しでもお役にたてたのは、普段の防火や防水訓練、溺者救助訓練などでコテンパンに絞られ『どう動けば全体の活動に役立つコマになるか普段から意識していた』おかげだ。にわか編成の救助隊に生存者救難経験者はわずかだが応用が利くように普段から仕込まれている。
 現実の災害救助現場では指揮官の指示や判断を仰ぐ余裕が無い局面は多い。新隊員に毛が生えたような若年3曹がにわか指揮官となる場面も想定されるのだ。
 その時【指示待ち族】ができることはわずかだ。それゆえ海上自衛隊は常に『その場にいる最上級者』が誰でも【にわか指揮官】となるべく普段から仕込まれている。最終手段の分掌なのだ。
 短期間ではあったが【阪神大震災】の経験は、自分が携わる職業の使命を自覚する重要な機会となった。
 そして、災害発生時には【食事】を提供する支援は重要な意味がある。

②【事前の準備】

【事前の準備が重要】という事は誰でも知っている。だが、その真意を理解しているのは少数派だ。そして、準備が万全な状態で災害に遭遇する者は希少価値があるほどわずかだ。
 2019 年9月9日千葉市付近に上陸した台風 15 号は千葉県を中心に関東一円に甚大な被害をもたらした。
 当時、私はアフリカ勤務中で、自宅において台風に直撃されたのは妻と小学生の子供だった。
 瞬間最大風速50m という強風は、我が家を地震のように揺らしたそうだ。藁や土でできた家なら一瞬で吹き飛ばされていただろう。
 築年数が浅かった事、箱型で小さな建物であったことが幸いし、どうにか強風を耐え忍び、損害は軽微であった。
 屋根が壊れたり瓦が飛ばされた隣家も多く植木鉢が飛んだくらいの被害では軽微と言うのもおこがましい。
 私の家は自衛隊飛行場の脇で、枝や草、その他様々な飛来物が道路や【ネズミのひたい】ほどの庭にうっすら堆積した。クルマの通行に支障がでるほどの状況であったが、家が壊れたり、停電、断水などたくさんの被害があった房総半島の全体の状況から比べたらマシである。
 しかし、自宅に被害がないからといって【不幸中の幸い】だと喜べる状況ではない。

③【アフリカ】

 アフリカから家族にできる事は本当に限られていた。電話とメールのみだ。電気というライフラインが断絶していたら、それすらも叶わなかっただろう。
 NHK国際放送で千葉県の惨状を見るのはつらかった。妻子が無事であったという安堵より、ライフラインの状況や家族の食事など以後の生活は不安だらけで、心配の種は尽きなかった。
 自宅が自衛隊基地の隣にあることが関係したのか不明だが、旧海軍基地は地形地物や周囲の環境を巧みに利用して立地している。水害、風害、津波なども無傷な場所であった。
 市内のほぼ全域が断水し、停電が復旧せず困窮しているなかで、嫁の友人にとって我が家は【エイドステーション】として有効活用された。
 自宅周辺は停電も断水もなく、プロパンガスを利用していたおかげでライフラインは健全だった。
 市内のほぼ全域は三日ほど停電が続き『夜になると街灯も信号も点灯しない町はとても怖かった』と後日子供からメールで知らされた。
 市内でも極めてまれな【通常生活】を利用し、妻は近所の友人へおにぎりや簡単なおかず、水道水などを配ってまわったり、友人が水を汲みにきたりと八面六臂の活躍となった。

④【避難】

 公共機関の支援が受けられる避難所生活は、プライバシーという現代人に必要不可欠な権利を犠牲にする。一方で食料や水、衣料や寝具などの確保は若干安易になる。
 一方の【在宅避難者】は、給水車の巡回は利用できるが、食料の配給に関しては自治体ごとに様々だ。
 水という物体は案外重量物で、しかもかさばる。自宅前に給水車が横付けされるという可能性は極めて低く、食料と水の確保は災害発生時の懸念事項の筆頭だ。
 飲料水が確保できなければ人間という動物は三日程度しか生存できない。自宅で避難生活を続けるためには最低限の水と食料の確保が不可欠といわれる。
 私の家でも他の御家庭と同様に2リットルの水を買いためている。お風呂の残り湯もなるべく捨てないようにしている。しかしそれだけでは1週間は耐えられない。
 長期保存のパンや缶詰・乾物類、麺好き家族が大量消費する各種乾麺は潤沢に在庫しているが、長期戦になれば在庫不足は否めない。
 発災当日や翌日は、自宅や周辺の整理、ご近所ボランティアでまともな食事はとれないだろう。そういう時は常在備蓄の活用が有効だ。
 常在備蓄とは特別な保存食ではなく電源が止まった以上、いずれ【常温保管棚】になる冷蔵庫の中身を有効活用するだけだ。それだけで発災当日の窮乏は好転する。
 最近の冷蔵庫は断熱効率が高く、開閉回数を減らせば一日以上の停電でもかなりの食品を守ってくれる。しかし停電が長期化すれば低温で保存されていた食品は、あっという間に【元食品】へと状態変化する。
 冷蔵庫の備蓄を有効活用し、疲れをためないためにもカロリーを確保するのが初日、2日目のポイントになるだろう。
 いずれにせよ急場しのぎではない長期的な戦略が成功と失敗の分かれ目となる。事前準備の第一歩は、家族でよく話し合うことだ。
 かなり大規模な災害でも3日あれば必ず支援の手が届く。能登半島地震では交通の隘路という地形的要因に阻まれ救助活動が遅くなった地域もあるが、常に災害へ備えているのが日本という国だ。そう思っているし、そうでなければ自然災害大国・・・・自然災害対策大国の旗を降ろさなければならない。
 とは言え災害はその都度重要な教訓を与えてくれる。被害の重大さに目をふさぐのは致し方ないが、少しでも活用できる教訓を後世のため役立てないと、被害にあわれた方々の苦吟が生かされない。

⑤【ブラックアウト】

 国や自治体、自衛隊などが給水車で水を配ったり、物資を支援してくれる。問題はそれまでの期間をどうやって耐えるかだ。
 ネットで【防災食】を調べると、お決まりの乾パンやレトルト、缶詰パンなどが並ぶ。
 防災関連各社のSEO対策が盤石である事実を見せつけられているようだ。確かに初日2日目は冷蔵庫の埋蔵品と防災食品で済ませるのがベストだろう。
 しかし、問題は長期戦だ!2018年9月に発災した【胆振東部地震】では北海道全域で約295万戸が停電した。北海道全世帯の約5割で停電が解消されたのは30時間後であり、全域での停電復旧に約64時間を要している。日本国内で最大のブラックアウトが北海道で起こったわけだが、その原因は単純ではない。
 最大の要因は北海道電力が石炭火力の苫東厚真発電所(厚真町)に発電量を集中させていたことだ。 震源地に近い発電所がひとつ止まったことで北海道内の基幹送電網が玉突きのようにブラックアウトを発生させた。
 なぜ発電所一ヵ所で、全北海道の半分の電力を供給していたのか?泊原発の停止や太陽光発電の昼夜バランスなど、北海道電力だけに責任があるわけではない。しかし【いざ鎌倉】という咄嗟事態への北電の対処が万全であったのか甚だ疑問だ。
 「全く対策を実施していない」ことはない。ただ規模が小さく遅い。【戦力の逐次投入】だ。大規模な災害の前に敗戦必至の状況である。
 ちょっとした手違いや複合要因でブラックアウトが発生する危険が、日本中にあふれている。
 まず手始めに、【ローリングストック】と【家庭用小型バッテリー】の活用だ。

⑥【ローリングストック】

 普段食べる保存性の高い食材を多めにストックし、古い物から消費する生活スタイルの導入こそ肝要だ。企業の場合は【在庫】は負担になるが、個人の場合は【安心・安全の担保】となる。
 【ジャストインタイム】の覇者【トヨタ自動車】すら、在庫不足でクルマが作れず稼ぎ時を逸する時代なのだ。
 防災備蓄や保存食は【片付けてスッキリ】したり【トキメキ】を感じてはいけない。自分の生存可能時間まで整理するのは過剰美化だ。
 ローリングストックに最適の食品を問われたら迷わず【パスタ】と答える。しかし「防災食にはパスタが最適」とはネット界隈でもなかなか話題にならない。新聞・雑誌やテレビなど【メディアの防災特集】でも滅多にお目にかかれない。
 パスタは日本由来の食品ではない。しかし日本人の食生活は多様で、調理法次第でバラエティーに富んだメニューを食卓へ提供してくれる。
 そして最大の利点は、調理時に他の主食類ほど水を使わず美味しく調理できることだ。
 同じ麺類のうどんやそば、そうめんよりも少量の水で茹でる事が可能だ。即席めんも限られた飲料水で調理できる優れモノ防災食だ。しかし、即席麺orパスタという一択ではなく【ベストミックス】が長期戦を耐え抜く有効策になる。
 そしてカセットコンロのガスボンベである。四人家族なら、手早く調理すれば一日1本は使わず三食の調理が可能である。3缶セットが二つあれば1週間は凌げる計算が成り立つ。
 あとは簡単に手に入る保存食、乾物をおいしく食べて明日への希望をつなぐことだ。
【明日は我が身】という覚悟
 震災など災害派遣に従事させていただいたなかで、もっとも貴重な経験は【食事が充実すると気力も充実する】という事実である。
 目の前に広がる凄惨な状況や、心を揺さぶられる災害の現場を一瞬でも忘れさせ、安堵を与えてくれるのはおいしい食べ物であった。
 防災関連各社に反旗を翻すわけではない。流動食や乾パン、レトルト食品は極限の状況で貴重なアイテムだ。しかしお腹だけでなく心の空腹も満たさなければ身体のバランスを崩す危険がある。
 少し工夫をすれば、パスタは【防災食の王】として君臨できるポテンシャルを秘めている。あとは事実を確認するだけだ。
 この文章を読んでいただいている皆様が、普段の買い物でパスタや乾物を余分に備蓄する習慣を加えることにより、安心感が激増するという事実を知っていただきたい。
 【いざ鎌倉】という事態は明日起こるかもしれないし、経験せずに一生を終えるのかもしれない。【いざ・・】という場面には、できれば遭遇したくないというのが本音である。
 それでも【明日は我が身】と覚悟を忘れないことが、バイアスのかかっていない【正常】だ。


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海尾守 中2病
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