トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑤ さまざまなリソース

身体にアプローチするトラウマ・セラピーや、話題のポリヴェーガル理論の本を読んでいると、「耐性領域」「耐性の窓」「最適な覚醒領域」「対処できる領域」という言葉がしばしば登場します。心理学で「コンフォートゾーン(快適な範囲)」という言い方がありますが、それと少し近い感覚かなと私は思っています。
何かが起こったとしても、自分の感情が平気でいられる範囲、大丈夫な範囲、動じない範囲という感じで良いと思います。

この「大丈夫な範囲」を上回ると、過覚醒という、興奮状態(交感神経の「闘争/逃走」反応)になり、この範囲を下回ると、低覚醒という、感情が動かない・無反応の状態(背側迷走神経の「固まる」反応)になります。トラウマを持つ人は、「大丈夫な範囲」が狭くなっていることが多いために、過覚醒や低覚醒になりやすい状態になっています。

トラウマを抱えた人は、通常、過去のトラウマをもたらす出来事にとても敏感なので、比較的小さなストレス要因にも閾値が非常に低く、過去に対して極端な覚醒で反応します。つまり、過覚醒か低覚醒かのいずれかになります。どちらの場合でも、くり返されるトラウマ的な反応によって耐性領域が機能的に狭くなってきているため、認識されるトラウマを引きおこすものに対してますます脆弱になっていきます。
トラウマを負った多くの人は、過覚醒と低覚醒の極端な間を変動する、調整不全の覚醒状態の幅広い揺れを防止することはできません。このくり返される「ボトムアップによるハイジャック」は耐性領域における突然の破裂として体験され、その後、その人は容易に、あるいは迅速に最適な覚醒領域に戻ることができません

パット・オグデン, ケクニ・ミントン, クレア・ペイン『トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際』(p.44)

トラウマ的環境のもとでは「耐性の窓」を発達させられません。「耐性の窓」は個人が耐えられる感情の範囲のことで、交感神経系が興奮し過ぎて限界になると、今度は退屈したり、麻痺したり、気分が「落ちたり」して副交感神経系に切り替わります。

子どもは「日常的に」環境が安全でないと、耐性の窓が拡がらず、身体はいつも警戒状態だったり、または遮断や麻痺をして消極的になったりします。子ども時代を生き延びてきた自律神経系のパターンは、常に大人になっても起動するよう条件付けられています

ジェニーナ・フィッシャー『トラウマによる解離からの回復: 断片化された「わたしたち」を癒す』(p.47)

過覚醒も低覚醒も、身体にも心にも楽で自然な状態ではないので、トラウマセラピーでは、なるべく過覚醒にも低覚醒にもならないように「大丈夫な範囲」をできるだけ広げていく、ということに取り組みます。

それに取り組むときに大切なのが、リソース(自分が安心・安全な感覚をもてること)です。このブログの「SE体験③」で、「リソース」について書きましたが、先生から、もう少し詳しい説明を伺ったので書きます。

ここでひとつ、トラウマ症状に苦しんでいる方に提案なのですが、リソースについて、知識として頭で理解するだけでなく、なんとなくでも良いので、ぜひ、ご自身の身体の感覚を確かめながら、時間をかけてリソースを考えたり、イメージしたり、という感覚を味わっていただけたらと思います。

本を読んだり、このようなネット上の文章を「読んでいる時」は、頭が働いていて、頭で理解する状態になっていると思います。私もずっとそういうことを沢山してきたのですが、いくら頭に知識を植えこんでも、自分が本当に解放された感覚になることはありませんでした。私が、少しずつ過去のトラウマから解放されて、楽な気持ちになってきたと感じられたのは、「身体の反応をしっかり見て、感じること」を大切にするようになってからです。

もちろんセラピーを受けて、その時間を持つことも良いと思いますし、セラピーを受けられなかったとしても、是非、自分の頭で考えるだけでなくて、同時に自分の体の感覚も味わって、ああ自分は、こんなことを考えたり、こういう状態にしていると、身体がなんだかホッとする感じだな、とか、あたたかくて心地よい気がするな、とか、そういうことを少しずつでも味わっていただけたら良いと思います。

では、私がセラピストから聞いたリソースの話を書きます。
リソースには、色々あって、身体の中で良い感じのする場所(マシな感じのする場所)を探すという「身体のリソース」があります。足がガクガクしているときに、お腹が大丈夫だと思ったら、お腹がリソースになります。
いま、皆さんは、身体のどの辺りが快適に感じますか?
それはどんな感じですか? あたたかい感じ? ほどけた感じ? どっしりした感じ? などなど…

これは私の考えですが、例えば「身体のリソース」は、自分の体の感覚を観察していて、今、足が地面についているな、とか、お尻がしっかり椅子の上に座っているな、とか、そういうこともリソースになると思います。グラウンディングといいますね。

あとは、単回性トラウマ(事故とかの)の場合は、今はもう安全な場所にいる、ということ自体がリソースになり、それは「時間的なリソース」です。

トラウマというのは、過去に起こった出来事だから、あれは過去のことだったと思えたらそれがリソースになるのでしょうが、そう思えないから苦しんでいるわけで(だから先生もあえて「単回性トラウマ」と言ったのだと思います)、でも少しずつ身体に残ったトラウマのエネルギーが解放されていって、過去のことだと思えるようになれば、それが「時間的なリソース」になるのでしょう。(もうその時点でほとんどゴールという気もします)

あと、嫌なことばかり起こった、という記憶の中に、少しでも何か良いこともあった、という記憶は「文脈のリソース」といいます。

とてもつらい記憶って、その頃、何か少しでも楽しいことがあっても、それを鮮やかな記憶として思い出せないのですよね。私は、子供の頃の写真を整理した時、自分が笑っている写真が沢山あることに驚きました。親から怒られていたり、つらくて泣いている写真は、一枚もなかった。そういう場面は普通、撮らないから。でも、つらい記憶ばかりが重苦しく心に残っていました。写真を見ながら、自分は笑っていた時もあったんだな、どんな気持ちで笑っていたのかな、と思いました。それは少し「文脈のリソース」なのでしょう。

あと、これは後日詳しく書きますが、別のセラピストとSE(ソマティックエクスペリエンス)のセッションで「完了」というのをやったのですが、それは昔起こった嫌な出来事を、あの時どうだったらよかったかな、という空想をして、それを話して、できれば身体も使って、イメージする、みたいなことなのですが、それは「ミッシング リソース」といって、これがあったら良かったな、というもの、欠けていたものを埋めるというリソースです。

トラウマを負った人は、自分の体の中で何が起こっているかを感知するのが苦手な場合が多いので、欲求不満に対して適切な反応ができない。したがって、ストレスに対しては、ぼうっとするか、過剰な怒りを見せるかのどちらかだ。どんな反応をするときも、なぜ自分は気が動転しているのかわからないことがよくある。このように自分の体と疎遠になっているため、彼らは自分を守るのが苦手で、再び被害者になる率が高く、また喜びや官能性、意義を感じるのが非常に難しいことが立証されている。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』(p.166)

トラウマの犠牲者は、自分の体内の感覚になじみ、その感覚と仲良くなって初めて回復が可能になる。(略)

人は、変わるためには、自分の感覚や、自分の体が周りの世界とどのように相互作用するかを自覚する必要がある。身体的な自己認識は、過去による独裁的支配から解放されるための第一歩なのだ。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』(p.169)

皆さんも、ご自身の身体と心の中で、小さくてもわずかでも、少しずつでも、リソース(安心・安全なこと)と思えることが見つけられますように。
トラウマのエネルギーが身体から少しずつ解放されていって、少しでも楽な気持ちで日々を過ごすことができますように。私も日々心がけます!