トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑤ さまざまなリソース
身体にアプローチするトラウマ・セラピーや、話題のポリヴェーガル理論の本を読んでいると、「耐性領域」「耐性の窓」「最適な覚醒領域」「対処できる領域」という言葉がしばしば登場します。心理学で「コンフォートゾーン(快適な範囲)」という言い方がありますが、それと少し近い感覚かなと私は思っています。
何かが起こったとしても、自分の感情が平気でいられる範囲、大丈夫な範囲、動じない範囲という感じで良いと思います。
この「大丈夫な範囲」を上回ると、過覚醒という、興奮状態(交感神経の「闘争/逃走」反応)になり、この範囲を下回ると、低覚醒という、感情が動かない・無反応の状態(背側迷走神経の「固まる」反応)になります。トラウマを持つ人は、「大丈夫な範囲」が狭くなっていることが多いために、過覚醒や低覚醒になりやすい状態になっています。
過覚醒も低覚醒も、身体にも心にも楽で自然な状態ではないので、トラウマセラピーでは、なるべく過覚醒にも低覚醒にもならないように「大丈夫な範囲」をできるだけ広げていく、ということに取り組みます。
それに取り組むときに大切なのが、リソース(自分が安心・安全な感覚をもてること)です。このブログの「SE体験③」で、「リソース」について書きましたが、先生から、もう少し詳しい説明を伺ったので書きます。
ここでひとつ、トラウマ症状に苦しんでいる方に提案なのですが、リソースについて、知識として頭で理解するだけでなく、なんとなくでも良いので、ぜひ、ご自身の身体の感覚を確かめながら、時間をかけてリソースを考えたり、イメージしたり、という感覚を味わっていただけたらと思います。
本を読んだり、このようなネット上の文章を「読んでいる時」は、頭が働いていて、頭で理解する状態になっていると思います。私もずっとそういうことを沢山してきたのですが、いくら頭に知識を植えこんでも、自分が本当に解放された感覚になることはありませんでした。私が、少しずつ過去のトラウマから解放されて、楽な気持ちになってきたと感じられたのは、「身体の反応をしっかり見て、感じること」を大切にするようになってからです。
もちろんセラピーを受けて、その時間を持つことも良いと思いますし、セラピーを受けられなかったとしても、是非、自分の頭で考えるだけでなくて、同時に自分の体の感覚も味わって、ああ自分は、こんなことを考えたり、こういう状態にしていると、身体がなんだかホッとする感じだな、とか、あたたかくて心地よい気がするな、とか、そういうことを少しずつでも味わっていただけたら良いと思います。
では、私がセラピストから聞いたリソースの話を書きます。
リソースには、色々あって、身体の中で良い感じのする場所(マシな感じのする場所)を探すという「身体のリソース」があります。足がガクガクしているときに、お腹が大丈夫だと思ったら、お腹がリソースになります。
いま、皆さんは、身体のどの辺りが快適に感じますか?
それはどんな感じですか? あたたかい感じ? ほどけた感じ? どっしりした感じ? などなど…
これは私の考えですが、例えば「身体のリソース」は、自分の体の感覚を観察していて、今、足が地面についているな、とか、お尻がしっかり椅子の上に座っているな、とか、そういうこともリソースになると思います。グラウンディングといいますね。
あとは、単回性トラウマ(事故とかの)の場合は、今はもう安全な場所にいる、ということ自体がリソースになり、それは「時間的なリソース」です。
トラウマというのは、過去に起こった出来事だから、あれは過去のことだったと思えたらそれがリソースになるのでしょうが、そう思えないから苦しんでいるわけで(だから先生もあえて「単回性トラウマ」と言ったのだと思います)、でも少しずつ身体に残ったトラウマのエネルギーが解放されていって、過去のことだと思えるようになれば、それが「時間的なリソース」になるのでしょう。(もうその時点でほとんどゴールという気もします)
あと、嫌なことばかり起こった、という記憶の中に、少しでも何か良いこともあった、という記憶は「文脈のリソース」といいます。
とてもつらい記憶って、その頃、何か少しでも楽しいことがあっても、それを鮮やかな記憶として思い出せないのですよね。私は、子供の頃の写真を整理した時、自分が笑っている写真が沢山あることに驚きました。親から怒られていたり、つらくて泣いている写真は、一枚もなかった。そういう場面は普通、撮らないから。でも、つらい記憶ばかりが重苦しく心に残っていました。写真を見ながら、自分は笑っていた時もあったんだな、どんな気持ちで笑っていたのかな、と思いました。それは少し「文脈のリソース」なのでしょう。
あと、これは後日詳しく書きますが、別のセラピストとSE(ソマティックエクスペリエンス)のセッションで「完了」というのをやったのですが、それは昔起こった嫌な出来事を、あの時どうだったらよかったかな、という空想をして、それを話して、できれば身体も使って、イメージする、みたいなことなのですが、それは「ミッシング リソース」といって、これがあったら良かったな、というもの、欠けていたものを埋めるというリソースです。
皆さんも、ご自身の身体と心の中で、小さくてもわずかでも、少しずつでも、リソース(安心・安全なこと)と思えることが見つけられますように。
トラウマのエネルギーが身体から少しずつ解放されていって、少しでも楽な気持ちで日々を過ごすことができますように。私も日々心がけます!