制服の袖が肩に張り付くと思いだす、廊下に見えた塩の街。
「初めて人と会話できた気がした」
ブルーピリオドという漫画の台詞。「お前にはこんなふうに見えてるのか」主人公が描いた風景画を、その景色をいつも共にしている友人らが各々読み取って、一つの景色が共有された瞬間の台詞。
漫画の主人公は、これをきっかけに絵に魅せられ、描き続け、ついに芸大を目指すに至る。「俺にはこれしかない」とまで言って。
この時から、絵が彼の言語となり、彼は他人と話す術を身につけていったのだろう。いいなあ。
会話できた、とまでは思わないけれど「読み取ってもらえた」「読み取ろうとしてもらえた」と感じた瞬間は私の人生にもいくつかある。心臓を両手で包み込まれているような温かい心地よさと、それ以上入ってこられると怖い、という不安定な形をした自他の境界線を感じる。
その一つが、塩の街。
小6の頃、塾が一緒だったゆりちゃんは、BUMP OF CHICKENのふじくんが大好きでテストはいつも1位で、何より、数少ない「読書仲間」だった。同じ中学に合格して、クラスは別になったし共通の友達もいなかったけれど、私は時々ゆりちゃんの教室まで遊びに行った。この前読んだ東野圭吾が面白かった、今は海堂尊にハマっている、朝読書で読み始めた告白が怖すぎて授業中に読み終えてしまった、湊かなえって主婦で作家デビューなんだって知ってた?等々。彼女になら思いっきり話せた…はずだったのだけれど、中学に入って人間が区分けされてしまったとして、別々のカテゴリに私たちはいて、そのことをお互い自覚している感じはあった。つまり微妙な薄い膜を挟んで、手短に遠慮がちに、そしてそう見えないように話していた。
ある時、ゆりちゃんが「有川浩」を薦めてくれた。私はその作家を知らなかった。どうやら彼女は今「図書館戦争」というシリーズにハマっていて、それは流行っているらしい。だけどまずは、流行っている「図書館戦争」ではなく「自衛隊三部作」を読むべきだと彼女は言った。そして翌日、貸してくれた。
ゆりちゃんから本を借りるのは、意外とはじめてだった。あんなにずっと本の話ばかりしてきたのに。1週間もしないうちに、三部作全て読んでしまった。「塩の街」「空の中」「海の底」どれも大人の話だった。恋をすることも人を愛することもわからなかったけれど、誰もが必死なのがわかった。人が人に対して必死になる上で、終末とか先の見えない危機とか密室とか、そういった環境って効果的なんだなと思った。見たことない、鮮烈な言動が繰り返されていた。
「読んだよ、おもしろかった」それ以上のことをどう伝えたか覚えていない。だけど私たちは久しぶりに腹の底から声を出して、喋りまくった。暑い夏のことだった。彼女の教室に行くまでの道のり、廊下には日が差して暑い。べったりと身体に張り付くカッターシャツをあおぐこともなく、ただ窓の外に塩の街を見る。ただ汗の湿度に海の底を思う。すれ違う子に話しかけるでもなく、まっすぐ前を向いて、ただここではない世界へ没入していく。肌で感じる、夏の絶対に忘れない記憶。
どうしたって周りが気になる中学時代に、ここまで現実と妄想が一体化して、好きな小説に没頭できたのは明らかにゆりちゃんのおかげだ。彼女がまた、目を合わせてくれたから。彼女がまた、本当の声を出してくれたから。好きなものに対する姿勢、小説の楽しさ、お互いに共通する言語は揺らがないと思えたからだった。
余談だけれど、彼女は私が文章書き続ける理由でもある。はじめての読者なのだ。中2の冬、「百人一首を一つ選び、それを元に物語を書いてみよう」という授業があった。原稿用紙2枚分、ほんの短い話だけれど、私が生まれて初めて書いた物語だった。よく書けたと思った。だからこそ、心臓がちぎれそうなくらいドキドキした。「誰にも理解されなかったらどうしよう」。
教室内を自由に歩き回り、匿名で感想を残すシステムだった。「すごいと思った」が並ぶ中で一つだけ、見覚えのある筆跡で、長文の感想が書いてあった。ゆりちゃんだ。ちゃんと読んでくれた、ちゃんと心の中に入れてくれた。そんな風に伝わったんだ、自分の書いた文章が、自分の手から離れて人の心へ広がっていく様を初めて体験した。嬉しかった。30人いて10人しか読まなくても、1人にしか伝わらなくても、「伝わる」という事実が燦然と胸の中心で輝いている。何より、伝わるだけじゃなく「解釈」してもらえるということ、つまり、私の心と誰かの心が混ざり合って、私の心=書いたものは、私だけのものではなくなっていくことを初めて教えてくれたのがゆりちゃんのくれた感想だった。
何かを作る、届ける、混ざり合う。
この時の感動がやはり、今でも私の燃料になっている。
私はまだ、言葉を持たないけれど、なるべく多くの人と「会話できた」という感動を持って死ねたらいいなと思う。何年かに1回、今はまだ数える程度の「会話」を全方向いろんな距離の人と、高い密度で交わしていきたい。自分の知らない所で生まれるようになると、尚良い。死んだ後も、自分の残し天の川誰かと会話してくれていると、すごく、いいなあ。