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流され、振り向き、そして寝る。

入社して、はや一年。
誰かに言われて、やっと自分が新卒二年目と思い出す。

辺りでは、誰が辞めただの、
同期の誰かが店長になっただのと風のうわさが耳に届く。

上下左右のあらゆる方向へと、会社の同期の中だけでも生き方は分かれる。

ーーーー

あれは夏の終わりの頃だった。日々仕事を覚えつつあり、お店という金魚鉢の中での存在意義を自分は見つけつつあった。

しかし、僕の同期はそうではなかった。

突然電話が来た。何事だろうと思うと、彼は仕事を辞めたいという。
もちろん彼のその思いを止めるわけにもいかず、また彼の性分からしていつかそうなることはわかっていた。

そしてまたある一人は、大学時代の研究を活かした職業へと移るという。

ひとり、また一人と去っていく。

彼らのうちの一方は求められる成長の速度への違和感が決め手となり、もう一方は、自分自身の関わりしろが見いだせなかったことが決め手という。

少し逸れるように聞こえるかもしれないが、僕の周りにはその人が幼いころからそうなるべくしてなったのだと納得のいく人生を歩む人が多い。

のめりこむ対象を持つ彼らは、来歴や契機は何であれその道を歩むべくして歩んでいるかのように生きている。
それはきっと自分を自分たらしめるものであるというお守りでもあり、失ったらどうなるかわからないようなものでもあるのだろう。

ーーー

”仕事のことは仕事の時間の中で考えればいい。でもどう暮らすか、どう生きるかは私たちは常に考え続けなくてはならない”

今日、目の前の図らずとも”残った側”となった同期が口にする。

”日々与えられた仕事をこなしていく私たちは、どうしても彼らが私たちのいる金魚鉢の向こう側に居て、それはさぞ自由に見えて羨ましい”と。

でもその同期も、そして僕も思う。彼らだって、そこにはそこの鉢があり、どこに行っても逃れようのない事実の中に自分たちはあるのだと。

そして同期は言う。”でも今日話していて、あなたが福島に行くのもまた私からすれば自由に見えるし、そうでありたい”のだと。

僕らはそうして、自分を見失わないために自分らしくあろうとするのだろう

でも不思議なこともある。
先日記事にした話。”その時は来る”

興味はひかれながらも、なかなか足の向かなかったあるお店があった。
足が不思議と向かなかったことを素直に話せば、店主もまたそうだという。

そして目の前の同期はまたいう。
”私たちはSNSによって、本来かかるはずの時間の多くをすっ飛ばしてしまっている気がする。だから気が付けばGOOGLE MAPの行きたい場所は無尽蔵に増え続けるし、でも現実はなかなかその希望をかなえてはくれない”

人と人のつながりという、本来は出会って話して初めて見えるものが、今は画面をタップするだけで明け透けに見える。

それは時として便利であるが、一方でそうなるべき時を待たずして知ることを可能にする。それは本来のリズムを飛び越えて、世界を、社会をもっと、もっと、もっともっとと駆り立てる。

でも結局僕らは人間だから、そうは合理的に行かない。
気が向くときまでそこには赴かないし、現実問題それを許さない立場というのもある。

ーーー

会社は僕らにっとては仮住まい。
来るべき時が来たら、そんな仮初の衣は脱ぎ捨てて、どこかへ旅立つのだ。

一年たった今、私はやはりそう思う。
次のどこか、居るべき場所が見つかるまで、ここでやるべきことが終るまでの間だけここにいる。

いつまでいるのかと言われたらわからないが、でもいつかはいなくなる。
幸い死にはしない。でもいつかはいなくなる。

明日には誰かがその席に座る。そうした場所に僕らはいる。

そういえば隠岐のあの人も言っていた。
いつまであなたはここにいるのかと聞いた私に、
離れることになる時が来るまではここにいるのだと。

ーーー

人生は選べるようで、選べないものだと思う。
でも変えられないようで、変えられるものであるとも信じたい。

そうしたN極とS極を一緒くたにするようなことを考えながら、また話す。

そして笑い、またどう生きるかを考える。

君たちはどういきるか。

あの話を映画化した張本人もまた、そうあるべくしてある人間だと思う。
世界的映画製作家の彼もまた、何かに没頭し、誰かと比べ、何かに悩み、大切な誰かの生き死にを目の当たりにし、そして悩み、また生きている。

そうして、酸いも甘いも一緒くたに作品としたのがあの映画だという。

売り上げとしてはいまいちであるという。
でもいまなら見たいと思える。

ーーー

昨日は都知事選が終った。
現在の首長を、新星の勢いが飲み込むかと思われた選挙であったが、結果は100万票以上の差で現職が都民には選ばれたそうだ。

その結果に落胆する新星の様は何とも言えないものだった。

選挙の後の動向を問う記者陣と、目の前の現実を受け止めるのに精いっぱいな彼とでは、また生きている空間が異なっていた。

ーーー

これからも悩むだろう。悩み続けるだろう。
いつまでこの仕事をするかなんてわからない。
辞める前提でなんて、器用に生きられない。

だからいまに一生懸命にいきよう。
それは迎合するということでもなく、理想と現実の狭間で、
もがき苦しみながら、諦めそうになりながら、
それでも時には生き方を振り返って、悩みながら生きていく。

ーーー

でも思う。

信じて努めた道の先には、同じように生きるかけがえのない仲間と、全然そうした素振りを感じさせない相方とがいる。

それでいいのだ。これでいいのだ。

だから、面白いのだ。

おやすみなさい。今日も蒲団は心地よい。







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