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仏教修行と心理療法と予防医学

煩悩や執着や欲の修行は、社会生活の苦行でやっていくのが一番だなになりました。
しかし、修行してきた個々のレベルや社会のあまりの苦悩や苦痛で、精神病や引きこもりや自殺や犯罪にもなっていくが私の結論。

私は、武道やスポーツで耐える精神力をえました。
釈迦は苦行をして、耐える精神力を得たと思いました。

釈迦は、苦行をしない修行と言っていますが、無駄な苦行をしないと言っている僧侶もいます。

実際、弟子にあわせて苦行をやらせた話もいくつもあります。
釈迦の物語として、崖から飛び込んだや、虎に食わせた話もあります。

命がけの苦行ではありませんかね?

釈迦は、苦行で悟りを得ましたが、一切皆苦の社会を離れての出家の生き方も悟ったのではと思いました。

王子だった釈迦は悟りになっても、国にもどり王にならないで、一生出家者で終わりました。

釈迦や僧侶も、社会生活を始めたら悟りになっていられないのではと思いましたよ。

仏教修行やヨガ修行で社会で苦や煩悩を無くせますか?

チベット仏教では、小さなときから出家修行の仏門に入り修行して、ごく一部のかたが、20年修行して僧侶になれるだけです。

社会生活者が仏教修行しても釈迦のような悟りにはなれないなと思いましたよ。

精神病医療では、社会を離れた生活をさせていく治療があります。

苦や欲にならなくなるなら、
戦中前後にロボトミー手術が流行りましたが、患者に問題や事件が出てきて、いまでは医師もなかったことにしていますね。
映画もできて見ました。

大麻や幻覚剤を使っている国もたくさん。

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聖人や悟りになろうと思わないで、社会生活での苦悩や苦痛を無くす考えと、トレーニングでよいかと思いますよ。

心理療法や予防医学のが効果あるなと思いましたよ。

心理療法やアーユルヴェーダを勉強して、仏教や密教の繋がりやインド哲学の繋がりがよくわかってきました。


未病(みびょう)とは、健康と病気の間で連続的に変化する状態、または病気の前段階や半健康な状態を指します。自覚症状がない場合や、自覚症状があっても検査で異常がない場合などがあります。

未病の症状には、次のようなものがあります。

  • だるい

  • 疲れやすい

  • 冷える

  • 不眠

  • 頭痛や肩こり

  • 食欲がない

  • めまいがする

未病の段階で食事や運動、睡眠、ストレス管理など、日々の生活を健康に保つことで、病気の発症を遅らせることができます。また、遺伝的な要素も考慮し、遺伝子検査などを活用して自分のリスクを把握しておくことも大切です。

未病という言葉は古代中国に由来し、「黄帝内経」という約2000年前の中国の医学書にも登場しています。

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自分でやりたいレベルを上げたいと始めた武道やスポーツは、どんな苦行しても苦しみだが、苦しみとは感じてきませんでしたよ。

楽しかったです。

仏教には、最初に修行を頑張ろうという発菩提心を起こすがあり、理解しました🙏

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ダライ・ラマはこうも言っていますよ。

ダライ・ラマ法王 は2月11日に #ダラムサラ の公邸で行われた講演にて、ドラッグ、アルコール、お金から幸せは得られない、また宗教への信仰心から得られるものでもない、究極の幸せや喜びは思考によってのみ得られるもので、頭脳を使い科学的に考えことが重要、神仏に祈る必要もないと説かれました。👳

気づくやわかっただけではありませんよ。
悟りになる、菩提心や仏心になる、無や空になる、集中力や智慧のレベルを上げていく、抑えきれない自分をコントロールしていく、無意識の行動にしていくなどの修行やトレーニングですよ。
ラーメン作りを気づいただけでは、うまいラーメンを作れないでしょ🍜🍥

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「悪魔の医療」と関連する情報としては、次のようなものがあります。
ロボトミー手術:脳の一部を切除することで人格変化を望ましい方向に向けることを目的とした手術で、かつてはノーベル賞を与えられるほど優れた技術とされていましたが、現在では禁忌とされています。うつ病や統合失調症、人格障害などの精神疾患を患者から取り除くことを目的としていましたが、一部の患者は脳に永久的な損傷を残しました。
悪魔の医師:ジェームス・B.スチュワートによるクライムドキュメントで、医科大学でも一目おかれるエリート医師が、数十人の入院患者を殺した容疑があるという内容です。2000年度MWA最優秀犯罪実話賞を受賞しています。

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チベットの僧院生活は厳しい。共同生活を営みながら、僧院内の分担仕事をこなし、あらゆる種類の宗教的儀礼を行い、独習もしなければならない。それは、早朝から深夜に及ぶ。年輩の僧は、規律を維持し集団を導く大きな責任を持つ。若い僧は当番で厨房の仕事、買出し、食事や茶の給仕などを担当する。

学習と礼拝が僧院生活の主題である。新入の僧は基礎チベット語、文法、文学、スートラの詠唱、祈祷から始める。次に、アビダルマ(形而上学)、プラジナパラミタ(智慧の完成)、プラマナ(論理学)、マディヤミカ(中間思想)といった仏教教理を学ぶ。学習期間は普通18年もしくはそれ以上かかるとされている。スートラ(顕教)とタントラ(密教)の仏教経典、その他、占星学、医学、絵画工芸も必須科目である。さらに仏教哲学の意味と暗示について分析思考し、何時間も黙想する。

スートラの問答技術は、仏教哲学を深めるのに重要である。問答は試験の方法でもある。試験では、試験官の僧と討論しなければならない。合格すれば、「モンラム(大祈祷祭)」での問答会に参加する資格が与えられる。その問答会で勝ち進むとチベット仏教学の最高学位であるゲシェ・ラランパの称号が与えられる。さらにより高度な宗教学を修めたい僧は、密教学堂に進み、ゲシェ・ンガランパ(密教博士)の称号を得るよう精進する。こうした学究生活に入り、宗教的達成に近づくことができるのは、数少ない秀才の僧のみである。ほとんどの僧が、僧院の職人、大工、芸術家、料理人などの仕事に就くのが普通だ。


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