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死にたいと思っていた今日

1年前の今日も、私は死にたいと思っていた。

本当に死にたかったのかと問われると答えに悩む。

産まなきゃよかった。
兄に似ているから嫌い。
うちの子で恥ずかしい。

と母に言われ続けた私が、職場に行くことすらできなくなり、働くこともできなくなった。

教員という職に対して、こだわりも誇りもあったし、なりたいと思ったことに間違いは何一つないが、どこかで母親に認められるために【立派】な仕事に就こうとしていたのだろうと、辞めた今、思う。

だから、私は産まれるべきでなかった人間なのに、働くことすらできなくなっては、無価値そのものだと感じた。
「死にたい」と言葉にすることで、少しでも「価値がないのに生きていてごめんなさい」と許しを乞うていた。
こんなに苦しいのなら死んだほうがマシだとも思っていたし、無価値な私は生きていてはいけないとも思っていたけれど。
一番は、許され、認められたかったのだろう。

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そんな私が今日、生きて笑っていられるのは、
彼が側にいてくれたからに他ならない。
毎日のように「死にたい」と言い、被害妄想をし続け、発狂し彼を傷つけた私に、向き合ってきてくれた彼。

自分の好きな人が、愛する人が、毎日死にたいと言うのはどういう感覚なのか。
自分が「好き」だと思い「愛しい」と思うだけでは、生きる価値に値しないのか。そう思うと悲しくてたまらないだろう。
自分にとって【必要である】だけでは生きる価値にはならないのか、ともすれば自分の価値すらも疑ってしまうかもしれない。

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彼は決して、「自分に必要だから生きていて」とは言わなかった。
それは、当時の私にとってはひどく辛いことだったし、不安にすらなったけれど、彼なりの優しさだ。彼が必要としてくれるから生きるのでは、意味がない。
母親に認められようとしていたことを、彼に変えているだけなのだから。
【誰か】が必要としてくれるから生きる のでは、だめなのだ。自分が自分を認められなければ、生涯同じことを繰り返す。

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雨が続いた東京も、今日はとても晴れていて暑い。
先週の予報では、雷だったのに。
今日は彼と久しぶりに外食の約束をしていて心が踊る。

改めて彼に伝えたいな。ありがとう。って。

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