見出し画像

わたし達の食について〜その①後編〜

〜わたし達の食について〜

 
 
今回は下記①の後編。
前編をまだの方は
前編から読んでいただければと思います。
 
 
 
食を見直す転換期となったのは
今から5,6年前のことです。
 
 
 
主に
①勇吹(いぶき)の小さい頃の
食物アレルギー(主に卵、小麦)
②わたしの学生時代の卒業論文製作
③主人の父親の膵臓癌
がきっかけとなっています。
 
 
 
順番に詳しく
お話ししたいと思います。
  
今回は①の後編。
 
 
 
前編では有機野菜との出会いから
自分達が食べるものは
自然とともに作るというところまで。
 
 
 
後編では
有機野菜に出会うまでの
わたし達の食について
書いてみようと思います。
 
 
 
電子レンジ調理は当たり前
身体に悪い食材や
添加物があることも知らず
調味料や調理方法は
健康よりも味つけに
重きを置いた
食生活をしていました。
   
   
 
ご飯はなるべく家で作っていましたが
 
お弁当は
週末に作りおきしたおかずを
冷凍保存し詰める前に
レンジでチンして
持って行っていました。
 
 
 
弁当屋やコンビニ
ファーストフード店なども
当たり前のように
利用していました。
 
 
 
勇吹が食物アレルギーだったので
食材や加工食品を選ぶ基準は
 
アレルゲンフリーかどうか
ということでしたが
 
店で売られている
アレルゲンフリー食品は
添加物がたくさん
含まれているということを
知らなかったので
 
市販のものを買って
食べさせてしまっていました。
 
 
 
毎日毎日
"本来、人間が食べるべきではない物"
を食べていました。
 
 
 
勇吹が通う幼稚園では
アレルゲンフリー対応の給食に
してもらっていました。
 
 
 
小学校の給食では
アレルギーに関しては
除去対応だったので
 
小麦、卵などを使っているメニューは
給食に似せたものを
作って持たせていました。
 
 
 
勇吹の身体の不調の原因が
食物アレルギーだけではないと
考え始めてから
 
アレルギーのメニューだけでなく
給食全てを停止してもらい
 
同じメニューのものを作って
持たせるようになりました。
 
 
 
その後
食に関する正しい知識を得る度に
対応を改め
 
最終的には給食の献立を
完全に無視して
今の一汁一菜弁当に
たどり着いています。
 
 
 
そんな勇吹も
今日14歳になりました✨
 
 
 
彼からは何から何まで
たくさんの學びを
いただいております。
 
 
 
勇吹の名前"いぶき" は
"息吹き"とも捉えられ
 
わたし達の中に
常に新しい風を
送り込んでくれています。
(かぜのみち)
 
 
 
今生での
わたしと勇吹の関わりは
勇吹がお母さんのお腹にいる頃から。
 
わたしが中学生の頃です。
 
 
 
いま思えば勇吹には
たくさんの迷惑も苦労もかけました。
 
 
 
過去に勇吹への愛として
彼にしていたことが
 
わたし達が無知だったために
間違いだらけだったことに
今は気づき
自分達は未熟であると反省し
  
あの頃の話になれば
いつも勇吹に謝っています。
 
 
 
そんなことも
今では過去の愚かな自分達を
忘れないための
良き思い出として
 
勇吹も少しずつ理解してくれ
 
本当に素晴らしい
御霊(みたま)だなと
尊敬しております。
 
 
 
あれもこれも
過去の色んな思いや経験は
 
今のわたし達にとって
すべて必要経緯だったんだと分かり
とてもありがたく感じております。
 
 
 
少し話はそれてしまいましたが
こんな感じで後編を
お伝えさせていただきました☺️
 
 
 
前編・後編ともに
お読みいただき
ありがとうございました😊
 
 
 
次に続く→

いいなと思ったら応援しよう!