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モノを減らしてよかったこと〜モノをなくすことが減りました
ガンガンモノを捨てて、ガンガンモノを手放して、がらんどうの部屋に住み、必要最低限のモノで暮らし始めてから、幾年月になりますけど、そういえば、それだけやって何か「メリットはなんですか?」なんて質問されたら、なんて答えようか?ってふと思いました。
モノが少ないミニマリストになってよかったことって、あるんだろうか?って、ちょっと考えてみました。
人間とは面白いもので、なるまでは後先考えずに突っ走ってしまうんですが、いざ、その理想形になってみると、そのメリットを忘れてしまうんです。なんとも都合の良い存在なんでしょうねw
まぁ、それは置いておいて。
ミニマリストになって、よかったこと、色々あるとは思うのですが、その中の一つに「モノをなくすことが減った」を挙げたいと思います。
モノで部屋の中が溢れていた時代、「あれどこいった?」とか「あれが見つからない!」とか、そういうセリフを吐きながら、家の中を右往左往していた記憶があります。
結局、目的のモノは見つからず、機嫌が悪くなりながら、渋々同じモノを購入する羽目になるという経験を何回もしていました。
また、家の中のことだけじゃなく、家の外でも、比較的「忘れ物」が多かったと思います。
例えば、傘。折りたたみ傘もそうだし、コンビニで買う安価な傘なんかも、どこかに忘れてきてしまう、ということを繰り返していました。
でも、モノを減らして、傘自体も本数を減らした結果、傘を忘れるということも無くなりました。なまじ本数を持っていると、意識が薄くなるのかもしれない、ということを如実に表しています。
最終的には、傘が1本あればいいんですよね。
モノの数が減って、それだけになると、「もうそれを忘れたら終わり!」という逆境に追い込まれると「絶対に忘れまい!」とするんです。
「背水の陣」って聞いたことありますか?
古代中国の戦争で、川を背にして陣を引くと、もう後がない(押し込まれたら川に転落して溺れて死ぬ)と思って、兵士は死に物狂いで戦って勝った、という逸話があります。
モノを絞って生活するということは、どこか「背水の陣」を敷いている感じに近いのかもしれません。だから「無くさない」のだと思います。集中力が違うということでしょうか。
まぁ、ちょっと精神論っぽくなってしまいましたけど、どっちにしても、モノを無くさなくなったという点においては、一役買っています。
もう一つ。
モノがたくさんあると、一つのモノに集中できなくって、意識が色々なモノに分散してしまうんですね。そうなると、どうしても意識が散漫になってしまい、結果、自分が持っているモノを見失うことがあります。
旅行で、あれもこれも重装備で持っていった結果、旅先で忘れてきてしまうとか、仕事で出張した時に、大荷物を持って歩いていたら、気がついたら電車に忘れてきたとか、枚挙に遑がないですよね。
それも、持って歩くモノが多すぎるから。
家の中も、モノで溢れたら、一つ一つのモノに対する意識って、やっぱり疎かになってしまいますよね。
マルチタスクってありますけど、出来る人ならそれでもいいですけど、わたしのような凡人は、マルチタスクはできません。
だから、ものに対しても、一つ一つに高い意識を持ち続けることは難しいんです。それだったら、モノを減らして、意識の割合を高めてあげるしか、方法はない。
その結果、モノへの意識の高まりが、モノを忘れないという結果につながったんじゃないか?って思います。
モノは減ったけど、少数精鋭、そして、モノ自体、なくすことが減ったということは、モノ減らしてよかったな、って、そう思えるんですよね。
あなたはモノ減らしてよかったですか?
それでは、また。
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