いつか手放すことになるモノとの接し方
今は仕事の関係で海外に住んでいますけど、未来永劫、海外で働く立場にはないので、任期満了すれば、再び日本に帰国して、違う立場で働くことになります。
まだまだ、任期は残っていますので、しばらくはかの地にとどまることになりますよね。だけど、いつかは離れる、そんな日が来ることになります。
その時、どう思うだろう。
名残惜しくて、泣いてしまうのか、それとも、清正して一刻も早く離れたいと思うのか、そのときにならないとわかりません。
別れる、離れる。
出会いがあれば、別れもある。一期一会という言葉がありますが、人と人との関わりを想定してものもだけにあらず、モノにしても同じ。
未来永劫、モノを手にすることはありません。長く使えればいいけど、長く愛顧するのは至難の業。そして、形あるもの、いつかは壊れたり、劣化したり、それ自体が保たないこともある。
一生モノだ!と思っていたモノでも、何かのきっかけで、手放すことになることの方が多いでしょう。
いつかは、離れ離れになるということ。
ただそれが、「いつ」になるかは誰にもわからない。人もモノも動物も花も何もかも、誰にも「いつ」かはわからない。
だったらどうするか。
どうしますか。
人も動物もモノも「その日、その時を大事にして接する」というのが一つの答えなんじゃないでしょうか。先ほども書いた、一期一会。
何も、人と人との繋がりだけではないはず。
そのモノに出会えるのも、一期一会。目に止まって、それが欲しいというか、ある意味、愛おしいのかもしれない。その渇望を満たすために、買う。
買ったらそれで終わりですか?そうではないはず。そこから、買って手にしたその日から、そのモノとの日々が始まるんです。
でも、時としてそのモノの存在を忘れてしまうことがある。
別れているわけではないのに、遠い存在になっている。モノが悪いわけではない、悪いのは、わたしたち。気にも止めなくなったわたしたちが、それはわたし達が懺悔するしかないです。
いつかは離れることになる。それなのに、モノをなおざりにするのは、モノに対して失礼ではないだろうか。
まぁ、それでも日常は過ぎていく。
手放すときは、今日ではないかもしれないし、明日かもしれないし、わかないだろうけど、いつか手放す時のことを考えて、モノとの付き合いを考えておきたいものですよね。
それでは、また。
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