前回の課題をすべてクリアしてはじめて「改良」という
モノを減らしても、なんとなく「よくなってないな〜」って感じることはあると思います。それだけでなく、やってはいるんだけど、なんだかよくなっている実感がわかない。どうしてそう思うんでしょう。
自分の実感というのは、なかなか、バカにできるモノではありません。見た目にはなんだか少し変わっているような気がしても、実感が湧かないとしたら、それはまだまだだということだと思います。
実感は大切にすべきです。
さて「実感を大事にする」と言いつつ、冒頭でも書いたように、どうにも実感が湧かないというのはどうしてなんでしょうか。
それは、これまでの課題がまだクリアできていないから。
おそらく、何かを改善しよう、と思ってやってはみたものの、まだ、課題が残っているからだと思います。例えばモノを減らそうと思って、少しモノを捨ててみた、整理してみたんだけど、なんか減ったように思えない。
少しじゃ「課題をクリア」した状態になっていないんですよね。
モノを多さ少なさに優劣をつけることはしませんが、モノを減らしてもちょっとだけ捨てるのも大事なんですが、「満足いくまでやる」となると、ちょっとだけではまだ足りない。
つまり課題が解決されていない、ということなんですよね。
課題が解決されないということは、まだ改善されてない、改良されていないということになります。
手放すモノの数が足りなかった。これもある意味「課題」ではこの「課題」をクリアするにはどうしたらいいか?具体的に「ミニマムにする」で考えてみると、こんな感じです。
・捨てる対象カテゴリを広げる
・金額の張るアイテムも捨ててみる
・思い出のアルバムすら、捨てる
・趣味のものも捨てる
・etc
はい。こういうふうに色々やることで「課題」が解決される方向にいきます。そしてそれをやり切ったら「課題を克服された状態」になります。
そうして初めて「改良」という状態になるわけです。
無理やりミニマリズムに当てはめて「改良」という言葉にフォーカスを当てましたけど、この言葉、他でも使えますよね。
例えば、自動車を「改良」して、スピードがさらに30km/h上がった。スピード上げるためには、エンジンだけじゃなく、ボディや、部品ひとつひとつの重さ、制御機器の性能アップ、等等、いろいろなところにある「課題」をクリアして、初めてスピードが上がるという「改良」に繋がるわけです。
片手落ちだと、「改良」に繋がらないんですよね。
もちろん、「改めて良くする」んだから、よくならなかった時は、その課題の克服方法が間違っている。そういうことです。
モノを減らしているんだけど、何か「よくなっている感じがしない」そう感じるならば、まだまだ、課題が残っている。
課題解決のアプローチがもしかしたら間違っていて、やってはいるのだけど、何も変わってない、改良できてないように思ったら、もしかしたら、そういうことなのかも知れません。
それでは、また。