森見登美彦ワールドに、迷い込んだらご注意を。
ぐるぐるぐるぐる不思議な世界がそこにはある。それが森見登美彦ワールドだ。
毎朝恒例、読書通勤。
前回、山崎ナオコ―ラさん「可愛い世の中」を読み終わったあと、森見登美彦さん「宵山万華鏡」に手を出した。
舞台はもちろん京都。京都で開かれる祇園祭にまつわる5つの短編が詰まっている。
まずこの本の好きなポイントは、この表紙。
「宵山万華鏡」の名前にふさわしく、表紙にホログラム紙がついているからきらきら光るのだ。これがまたなんとも可愛い。朝、電車の中で入った朝日に反射してちらちらきらきら。持ってるだけで可愛い。
さらにこの、こちゃこちゃしたたくさんのイラスト。
どれもこの話で出てくるものばかり。特に表紙真ん中の姉妹のイラストが良い。髪の毛のつやつやさと、ひっつめぐあいが良い。背表紙には金魚のイラストがあるんだけれど、それも良い。読んで「あ~!」となる瞬間が気持ちいい。
5つの短編は、5人の主人公たちがそれぞれ祇園祭に想いを馳せる様子を描いている。ただし、それぞれの話は独立しているのではなく、ところどころ繋がっているのだ。
ある一方では通りすがりの人として出てきた人が、ある一方では主人公に。祇園祭に触れた主人公たちは、みんなどこかで出会っている。
5つの短編それぞれを一言で表すとするなら、祇園祭に惹かれる、祇園祭で騙される、祇園祭を創りこむ、祇園祭に迷い込む、祇園祭を闊歩する。こんな感じだろうか。
数日で約30万人以上を動員するという、京都を代表するお祭り。
お祭りだから楽しくて、面白くて、物語からは祇園囃子が絶えず聞こえる。浮足立つひとびと。油臭いけど、美味しい、ぎらぎらと並ぶ屋台。
その一方で、お祭りだから、大勢の人波に飲まれたらたちまち離れ離れになってしまう怖さ。どこまでも続いて終わりが見えない明るさ。お祭りから一歩外に出ると、普段とは違って異様に感じる静けさ。
その熱さと、冷ややかさが「宵山万華鏡」にはある。
くだらないのに怖くて、お祭りが恋しくなるのに行きたくなくなる。
これが森見登美彦ワールドなのだ。
本からあふれでる騒ぎ声は、私の隣で聞こえているのか? 本からもれ出る哀しみは、私が感じているものなのか?
読んでいる私との境目が少しずつ溶けていく。
「次は~、〇〇~〇〇~」
その音でようやく、現実に、通勤電車の中に私は舞い戻る。はっとして、慌ててホームに降り立つ。
もう少しだけ、と思うけれど潔く本をぱたりと閉じる。
よかった、森見登美彦ワールドから抜け出せて。危うく、引きずり込まれるところだった。