道端十花 ~ My Revolution ~

その様々を感じるままに✴︎インスピレーションエッセイも書きます。

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最近の記事

日本人の羞恥実験その1

小雨が降る日に、こんな実験をしてみた。 小雨が降る中"自分は傘を差している"状態。 前から来る人間、"傘は持っているが差していない人間"を対象に観察した。 所謂日本人の普通に対する「羞恥心の反応」に焦点を当てた実験だ。 実験方法は至ってシンプル。 私は傘を差しながら「なぜ雨が降ってるのに傘を差さないの?おかしくない?普通じゃない変な人だね」という意識を相手に送りながらジッと見る。 すると、面白いことが起きる。 約8割以上の人間が急に傘を差し出したり、通り過ぎた後に次々

    • もっと甘く、もっともっとシンプルに生きたい。〔エッセイ〕

      最近よくタイトルのようなことを考える。 現代はあまりに複雑で、私たちの可動域はあまりに狭い。 自由と経済コミュニティが入り混じり、頭を悩ませる日々も少なくない。 人間とは本来… ついこのような事を考えてしまう。 決して悪い兆候ではないはずなのに、社会はそれを容易に許してはくれない。 いつの間にか決められたルール、そしてルールという衣服を纏う人たち。相互監視、漂う息苦しい空気。 一歩路地を抜けると襟を正さなきゃいけないような焦燥感。蔓延る440hzの騒音。 誰も

      • 目まぐるしい情報世界の中でやるべきこと。

        今の世の中は情報社会の過渡期を過ぎて、個人個人が情報の精査、取り捨てまで出来るくらい落ち着いてきたとは思う。 やたらめったら詐欺紛いなモノに騙される人は減ったし、飽和する似たような情報はスルーされる趣向も定着しつつある。 私は高校時代に情報処理を専攻していたが、情報が溢れかえった今時代になって、恩恵と自分の選択に感謝している。 データバンク一杯に詰め込まれた情報のキューブを小さく切り分けたり、捨てたり、スマートに圧縮したりして、なるべく自分の容量を常に空けておく事が必須

        • 狙われたおはようございます。【shortエッセイ】

          男は毎朝その道路地に立つ。 5分に1人ペースが通る疎な道で男が狙うのは、ただひとつ。「おはようございます」だ。 男は空気や雑音、騒音に消されないように周波数を上げて少し甲高い声色でおはようございますを放つ。 最初の5.6週間は良かった。 「今の時代に自分から見知らぬ人に挨拶をする人が居るなんて、珍しいなぁ」 物珍しさと、挨拶をされる喜びがあり毎日が過ぎる。 しかし、ある日からそのやり取りが億劫になる。自主的におはようございますをしていた男に、通行人も応え、そのうち

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        • 社会や世界を俯瞰する
          1本
        • 自分を見失わないために読む
          2本
        • 先に進めなくなった時に読む
          1本
        • 目標があって達成したい時に読む
          1本

        記事

          この世界で起こることは本当に偶然か?必然か?

          冬の入り口にこんばんは。 ある人が行った行為が、別の誰かの計画を狂わせた。あの時の些細な選択が大きな軌道修正をもたらした。 そんなことが日常には溢れかえっていて、どれもに意味を付けたがる私たちですが、そんな1つ1つの出来事に1人1人の意思が介入しているわけです。 今日あなたが選んだ夕食の献立も、その献立を選んだ経緯に至った気分も、帰り道歩いた歩幅、信号で出会った綺麗な人に見惚れた時間、全ては関係ないまま複雑にまとまって1つの答えに導かれていく。 それを偶然と捉えるか、

          この世界で起こることは本当に偶然か?必然か?

          virtual in sanity MVの最後。

          あまりにもハイセンスすぎたvirtual in sanity。昔聴いても今聴いても最先端で理解不能さを醸し出すマジで魅力的なミュージック。 このMVについて話したい事は後日ゆっくりまとめるとして、取り急ぎ発信したいことは、MVのラストシーン。 ジャミロクワイが悲しそうに、少し蔑んだように、顔をクシャッとして終わるんですが、この意味を御存知、又は解説できる方いましたらコメントください。笑 探しても見つからなかったので。。 こうじゃないかな?という考察でもかまいません^_

          virtual in sanity MVの最後。

          ルックバックを観た。

          とても素晴らしい作品だった。 原作は藤本タツキさんの漫画で、私は完全に初見でアマプラからアニメ版を観た。 だから漫画家の2人の主人公視点を描いた作品だが、私はアニメの感想を述べる。 とにかく描写に躍動感と鉛筆で描いたような少々の荒さがあり、それだけでもかなり好みの映像だった。 藤野の性格と漫画に賭ける熱い想いが伝わってきたし、「漫画なんて書いたって意味ないよ。一日中書いたって全然完成しないんだよ?漫画は見るもので、書くもんじゃない……」 「じゃあ…なんで?」 みた

          ルックバックを観た。

          普段どれだけ自分の考えを外に出せているか?

          会社の同僚と何気ない会話をする。「あの映画面白いよ〜!あれがこうで私はこう思ってここがあーでこーで……」 しかし話し終わって30分くらい経つと、あ、あの言葉は言い回しを変えた方がより伝わったし、自分の本当に言いたかった表現に近づいたな。などとブラッシュアップが入る。 でもわざわざそんなことを言い直しに行ったりするわけもなく、自分の中だけで改訂して時と共に忘れる。 語彙力は自分の心をより正確に表現するために必要な能力だと思うが、咄嗟の会話でも慌てずに自分の思ってることを伝

          普段どれだけ自分の考えを外に出せているか?

          強制力は個性を潰す〔ふと思った〕

          世の中には強制力が存在する。 ふと、圧倒的に右利きが多いのはなぜか? 疑問に思った。 私は右利きだが、左利きでもよかった。 幼少期に左利きを祖母に強制された思い出がある。 なぜか? 既存の世の中には圧倒的に右利きの人間が多く、それに合わせて環境も認識表示等、バリアフリー的な要素も右利きの"多数"に寄せて作られているから、右利きの方が生きやすい。 という観点から"強制"が生まれたのだろう。 しかし本来の自分が左利きだったのであれば、それは本来の自分を抑え付けられ後天的

          強制力は個性を潰す〔ふと思った〕

          些細な優しさで人は立ち上がれる。〔エッセイ〕

          私はこの数週間、自分にとって嬉しくはないことが重なり、重なり、重なり… 結構なレベルでメンタルがしんどくなっていた。日常は変わらない。同じ人、同じ風景、同じようなやり取り。そんな連続がロードムービーのように流れていく。 しかし私の中が変わっていて、心が傷ついているような、光を遮断している感じ。暗く辛く、でもどーしたらいいのかわからない。 ぐるぐるぐるぐる自問自答が反芻される。 もういやだ。そんなことは本人が1番よくわかっていて、望んでいることなのに。 「元気」という

          些細な優しさで人は立ち上がれる。〔エッセイ〕

          おそらく究極愛の1つのカタチを描いた作品。

          ハッピーシュガーライフを見た感想。 たぶんおそらく、この作品を本当に理解出来る人は世の中に多くないと思う。 たぶん、おそらく、なんとなくは分かる。しかしあまりに現実的ではなく、アニメや漫画だから許される文脈や描写も多い。が、それでいい。こんなことが実際にもしあったのなら、私は直視できない。 原作の作者はどのようにしてこの作品をここまで完成させたのか、不思議で仕方がない。こんな複雑な愛の揺らぎ方を単なる想像で描けるとは思えない。 実際に1コマ1コマのその気持ちを経験して

          おそらく究極愛の1つのカタチを描いた作品。

          感情がある限り、人の歴史は繰り返される。〔エッセイ〕

          人の歴史は繰り返される。 争い、奪い、傷つけ、悲しみ、嘆き、我を忘れ、 我に返り、癒し、省みて、許し、手を繋ぎ、歩き出す。 そしてまた同じことを繰り返す。 歴史は人の感情が幾重にも積み重なったもの。 だからこそ尊く、厚みがあるものだ。 私はロボットではない。 だからこそ、私にも積み重ねた歴史があり、誰かにも同じように歴史がある。 以前中国に駐在員として働きに出ていた頃、私は彼らの歴史をよく知りもせず、日本人だというだけで中国人を心のどこかで見下していた。 暴力的

          感情がある限り、人の歴史は繰り返される。〔エッセイ〕

          noteで「いきなり誹謗中傷」された件について思うこと。

          この件は、記事に起こそうか少し悩んだのだが、当人に反省の色が見えず、同じことを繰り返すような気配がある。そしてせっかくの機会なので、ネットタトゥーとして後世に遺しておくことにした。 ※注意書き もしかしたら誹謗中傷した本人が、この記事を読んでいるかもしれない。(推測だが、何かしらの問題や精神疾患を抱えている可能性もある。でなければ常識を逸脱したコメントをしたりしないと思う) あくまでその"常識"とは私の中の常識であり、見ず知らずの他人に、いきなり暴言を放つことが、世の中の

          noteで「いきなり誹謗中傷」された件について思うこと。

          私は間違っていたPART2

          私は普段もモノづくりに携わっていて、何かを創作することが好きだ。 でも、普段のモノづくりには歴代の作り方があり、順序があり、その先にお客様がいる。 つまりなぞって作って遊ぼうの世界である。 もちろん仕事だから自分の生活のためにモノを作っていて、お客様の為になど1mmも思ったことはないし、思ってはいけない。なぜならお客様もコチラの事など1mmも思ってはいないから。両者考えてはいる。 作品づくりに自分以外の何かの為に、誰かの為にを持ち込んだら、それはもう誰の作品なのかわか

          私は間違っていたPART2

          気づくこと

          先日の乾燥したうんこの欠片を集めたような、お恥ずかしい短編小説をこの世に産みだしてしまってからしばらく冷静に考え、思いを馳せ参じていた。 結論から言うと、私は間違っていた。 プロセス的に言うと、間違っていないけれど、間違っていた。ということになるだろう。 穴があったら入りたい。ANAよりJALの方が好き。 そんな私が今思うことは、正しいことより、間違っていることより、成果より結果より、 気づくことこそが人の財産になるということ。 なんでもいい、小さなことから自分にと

          昨日のカマキリ、私はケイコ。 〔短編エッセイ小説〕

          久しぶりに何もない休日。 目が覚めた。 朝8時には目が覚めて、もう一度スマホの予定アプリを確認する。 「あ、、やっぱり、、何もないよね…」 「うしっ」 ゆっくりと部屋に伸び入る彩光が嬉しい朝。 「……おはよ」 独り微笑み呟く私、きもいかも… 若干のキモさを漂わせた勢いで、パジャマ着のまま朝食を作る。 トーストにバター あ!もちろんもちろん本物じゃなくて、バター風味…ってやつの。流行ってるじゃん?それで、小倉あん⭐︎ やりもしないくせに買っておいたドリップ

          昨日のカマキリ、私はケイコ。 〔短編エッセイ小説〕