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究極愛の1つを描いた作品


ハッピーシュガーライフを見た感想。

たぶんおそらく、この作品を本当に理解出来る人は世の中に多くないと思う。

たぶん、おそらく、なんとなくは分かる。しかしあまりに現実的ではなく、アニメや漫画だから許される文脈や描写も多い。が、それでいい。こんなことが実際にもしあったのなら、私は直視できない。

原作の作者はどのようにしてこの作品をここまで完成させたのか、不思議で仕方がない。こんな複雑な愛の揺らぎ方を単なる想像で描けるとは思えない。

実際に1コマ1コマのその気持ちを経験していなければ、前後の文脈も感情もこのように体現できないのではないか。と疑問にさえ思う。

しおちゃんの母親には私の母親が重なる部分があった。不安定で多重人格的な時期があり、叩いては泣き謝る。そして1人寝込み話さなくなる。

観ている最中にそんな母親を見ていた幼い私の記憶が蘇ってきたほどだ。

この作品を見終わる前に、少しだけ他の鑑賞者のレビューを見たが、やはり他人のレビューなど見て評価をするものじゃない。笑。私にはこの作品がまったく違うものに映ったからだ。

この作品は小学生程の少女と高校生の女の子が愛し合う物語だ。一見は。

百合モノか。いや違う。
愛のカタチを描いた物語は世の中に沢山ある。そして愛のカタチは沢山あっていいものだと思う。

男、女、ホモ、レズ、中性、動物、物、空想、超常現象、なんにでも愛があっていいはずだ。

だからこの作品はそういった枠を全部外して鑑賞した方がいい。だって理解など出来ないから。

そして、この作品は理解など求めていないのだ。
見るものに分かりやすく表現されて作られているが、理解してほしいとは思っていない。

私にはそう思えた。
だから最後まで理解は横に置いて、ただただサトちゃんとしおちゃんの愛のカタチの最後を見届けることにした。ただただ見届けた。

途中で何度も辛くなったり、キツい、それはアカンやろ。いやいやいや、コイツは、、、えー、そうなる?んですか…。

という感情に見舞われた。
当然だが私はこのような世界に生きていない。

だからこそ自分の中で新しい感情の発見や偏見の破壊が起こり、確かに一話見ると止まらない作品ではあった。

サトちゃんのように心に穴がポッカリ空いたまま、大人になり、傷つきながら生きている人はリアルの世界でも多いと思う。むしろ穴が空いていることにすら気づかずに、無視して生きている人が多いかもしれない。

かくいう私も母親との死別によって出来た心の満たされない部分の穴は未だ空いたまま。塞ぐ、満たす、修復する。どれも間違っているような気がしながら、大人になるまで放置して、大人になっても穴は塞がっていない。

サトちゃんとしおちゃんはお互いに穴を埋めあった。運命的に出会い、理解者となり、穴を埋め合い、自分たちの愛を作った。

その愛が外から見て、どんなに普通じゃなかろうが、歪であろうが、2人には全く関係がなく、そこに正不正などという野暮で役に立たないものさしは存在しない。

私は確かに理解は出来ない。背景も気持ちも文脈もわかるが、理解は出来ない。だが、応援はしたい。

そんな感じで終始2人の愛の行方と、結末を見ていた。率直に言って、観てよかった。

この手の万人受けしない作品は確かに刺さる人を選ぶし、最初に言ったように他者の理解を目的に作られていない。所謂、貫き通した作品だ。

ラストの2人が飛び降りるシーン。サトちゃんは死ぬ間際のコンマ何秒かの間で、しおちゃんへの愛、自身の愛の答え、終結に辿り着いた。

サトちゃんが考えうる、あらゆる全てを使い、守り抜いた先で辿りついた愛。それがこの作品の全てであり、それが答えであることだけは理解が出来た"気がした"。

今までも偏愛モノや百合作品は見たことはあるが、こんなに想いを巡らせたことは多くなかった。

触れてはいけないような果実に触ったような、でもものすごく尊いものに包まれたような。

苦くて、辛くて、でも柔らかくて優しくて甘い。
ハッピーシュガーライフ。

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