私は間違っていたPART2
私は普段もモノづくりに携わっていて、何かを創作することが好きだ。
でも、普段のモノづくりには歴代の作り方があり、順序があり、その先にお客様がいる。
つまりなぞって作って遊ぼうの世界である。
もちろん仕事だから自分の生活のためにモノを作っていて、お客様の為になど1mmも思ったことはないし、思ってはいけない。なぜならお客様もコチラの事など1mmも思ってはいないから。両者考えてはいる。
作品づくりに自分以外の何かの為に、誰かの為にを持ち込んだら、それはもう誰の作品なのかわからなくなる。
他人のために行動するのは立派なことだが、自分の想いと他人の想いは必ずしも合致しない。そこを履き違えてはいけない。
自分のために自分の作品をつくる。
その純度を損ねては、自分の作品など出来上がらない。
親は子に言う。
あんたのためにやったのに!
子は想う。
やってなんて頼んでない。
子を想う愛から始まったはずの親の応援行為は、こーしなさい、あーしなさいに変わり、最後にはあんたの為にやってやったのに。という化け物に変わる。
それと似たようなことを誰もが誰かにやってしまう。
それは直接表に出にくい問題だが、確かにあって、しかもやっかい。
だからよくよく、自分で気づいていかなくてはいけない。自分は純粋に自分のために生きていて、その上で誰かの役に立っているか?
その気持ちの土台は、自分の欲望から始まって、結局誰かの犠牲になっていないか?
自分にとってのハッピーライフが結果的に意図せずに、誰かのハッピーに繋がっていたらよかったね。
くらいが丁度いいと思う。