感情がある限り、人の歴史は繰り返される。〔エッセイ〕

人の歴史は繰り返される。

争い、奪い、傷つけ、悲しみ、嘆き、我を忘れ、

我に返り、癒し、省みて、許し、手を繋ぎ、歩き出す。

そしてまた同じことを繰り返す。

歴史は人の感情が幾重にも積み重なったもの。
だからこそ尊く、厚みがあるものだ。

私はロボットではない。
だからこそ、私にも積み重ねた歴史があり、誰かにも同じように歴史がある。

以前中国に駐在員として働きに出ていた頃、私は彼らの歴史をよく知りもせず、日本人だというだけで中国人を心のどこかで見下していた。

暴力的で、直情で、下品で野蛮で、嘘つきで。
そんな軽率な自分勝手な小さな地球儀を持って中国大陸を歩いた。

そこで体験し、見て、感じて、触れた中国人の人々は私の頭の中とは全く逆だった。

優しく、家族や友人想い、潔く、恥を忍ばす、拘らず、快活明朗で何より真っ直ぐな瞳をしていた。

中にはもちろん日本人を見るなり「小日本!」「殺す!」などと偏った教育に囚われ、目の前より過去を見ている中国人も居た。

でもそんな人たちが気にならない程、多くの人が温かく、自分たちの文化や習慣に誇りを持ち、のびのび大きく生きていた。

閉塞的で縮こまり、老害に搾取されるように設計された日本社会に飽き飽きしていた頃だったから、陸続きの大陸人の気持ちのいい生き方に感銘を受けた。


しかし、逆に中国人は日本に憧れていて、いつか行きたいと皆目を輝かせる。

要するに私は観光客の立場から中国を眺めているに過ぎない。そして彼らも同じく外側から日本を眺めているに過ぎない。

人の愚かな歴史が繰り返されるのは、実際に自分で経験し、他人の気持ちや立場を体験し、初めて本物の経験になる。ということが現実的に不可能だからだ。

人の寿命は長くて100年、短ければ明日で終わることもある。そのような時間で全ての人の立場に立つことは不可能であり、議論の余地もない。

だから人には「思いやる」という能力が備わっている。思いやりは想像力だ。

まだ出会ったこともない人、場所、状況、あらゆることを人は自分の少ない経験値から想像で無限に広げることができる。

想像する。マーフィーの法則が有名だが、あれは実際にある。想像できることは起こる。

当たり前のように備わった想像力は、使い方を間違えるとただの妄想になるが、車が、飛行機が、スマートフォンが、ロケットが、現代にあるということが答えだろう。

人の歴史も感情があるからこそ、彩りがある。
すいも甘いも、苦いも辛いもあるから人生になる。

そうやって自己陶酔でもなんでもしたら、また小さな庶民の私が明日を生きる。それでいいのだと思う。



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