言語の起源は100万年も前の「シンボル」にあり?! -ダニエル・エヴェレット氏の『言語の起源』×C.S.パースのインデックス、イコン、シンボル
しばらく前に下記の記事で日本語のルーツについて書いた。
言語というのはミクロに見れば、ある人から他の人へと伝えられる都度、その単位となる要素(記号と言ってもいいし、シンボルといってもいい)の組み合わせの階層構造がいつも少しづつ変化していく変換のプロセスの中に息づいており、この変換が次から次へと、人から人へ、世代から世代へ連鎖する。そうした連鎖はいくつもあり、複数の連鎖がそれぞれ変化しつつ絡まり合うところに「日本語」もその一つであるような、さまざまな「国語」や「方言」のような安定した同一性の外観を呈する塊が煮凝ってくる。
この連鎖の縺れた塊を、もし解すことができるなら、そこに言語の始まりを、言語と言語でないものを分けるもっともシンプルな特徴を、浮かび上がらせることができるかもしれない。
言語起源「論」
言語なるものがいつ頃どのように始まって、どういう紆余曲折を経て、今日の我々が言語だと思っている言語になったのか?
人類の言語の起源への関心は古から尽きることがなかったようで、さまざまな言語起源「論」が提唱されてきた。言語の起源を論じる「論」にはどのようなパターンがあるのか。その世界を垣間見る上で、下記の互盛央氏の『言語起源論の系譜』は読み応えがあります。
◇「論」の「系譜」を辿れるほど、言語の起源についてはいろいろな説がある。説が色々あるということは、決定的に「これ」と確定できるような説がないということ、つまり言語の起源はよくわからないということである。
言語の起源とは?
この問いに対して客観的な証拠のようなものを示して正解を与えられる理論は今日のところまだない。言語の起源はどうだったのか、よく分からない。もちろん、よく分からないということは、まったく分からないということではない。言語の起源をめぐっていろいろな仮説が提唱されているし、それぞれの仮説を支える証拠も提示されている。
言語の起源に限らず、過去へのあらゆる問いかけに関して言えることであるけれども、私たちの言語が生まれた瞬間に「戻って」観察したり記録したりすることはできない。
では完全にお手上げかといえば、そうでもない。
今日の私たちの言語の中に伝わり残っている(と推定される)「これがなければ言語とはいえない」特徴のようなものを同定し、その存在をいつ頃まで遡ることができるか考えることで、言語の起源のモデルを作ることはできる。今回はそうした説の一つ、ダニエル・エヴェレット氏による『言語の起源』を読んでみよう。
エヴェレット氏は、かの『ピダハン』の著者である。
起源の言語の姿と、今日の言語の姿の関係をどう考えるか
今日の私たちホモ・サピエンスは言語をよく喋るし文字に書いたりもする。
では1000年前のご先祖たちはどうだったかといえば、やはり言葉を喋ったり書いたりしていたことは間違いない。1000年前の人の声を録音した媒体はないものの、文字という形で、そしてその文字の読み方を今日にまで(変形しつつ)伝えた様々な共同体という形で、1000年前の声の残響は今日にまで伝わっている。文字があるのは言葉があるからだ、という理屈からすれば5000年ほど前のご先祖たちもまた言語を喋っていただろうと推定できる。
では文字以前はどうか。
文字以外で、大昔のご先祖たちが言葉を喋っていたことの証拠となるようなものは、一体なんだろうか。
ある説では、遺跡から発掘される骨などの人体組織や、そこに残されたDNAの配列が今日の私たちとそう遠くないものであれば、その人たちも私たちと同じく言葉を喋っていただろうと推定される。
ご先祖が今日の私たちと生物としての仕組み(骨格や体格や五官や脳)を共有しているのであれば、私たちと「同じように」言葉も喋ることができていただろう、という話である。
あるいは洞窟壁画や様々な道具と推定される人工物、今日の私たちに分からない謎めいた意味が込められたと思しき人工物を残した人々であれば、今日の私たちと同じような頭の使い方をしていた可能性があり、そこには言語が伴ったのではないか、と推定される。
*
とはいえ、仮に言葉を喋っていたとしても、それが今日の私たちが経験する言葉だと思っている事柄と全く同じだったかといえば、そうとも言い切れない可能性がある。
例えばジュリアン・ジェインズ氏は『神々の沈黙』で、数千年前までの人類は「意識」なるものを持たず、今日の私たちのように自分の”意識で”考えたり喋ったりしてはいなかったと論じる。そして意識を持たない人々は、頭の中で勝手に鳴り響く「神の声」にあれこれ指示されて動いていた、とする説を提唱している。なんのこっちゃと思われるかもしれないが、詳しくは下記の記事に書いているので参考にしてください。
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さて、言語の起源というときにややこしいのは次の点である。
私たちのご先祖たちは、数百万年という時間をかけて、個々人の一生の長さと比べれば非常に”ゆっくり”と進化してきた。「サル」と「ヒト」との間には広大な中間領域が広がっており、そこに断絶はない。
言語、つまり言葉を喋ることの「始まり」を考えようということになると、ついつい、言語が始まる前と始まった後を、言語を可能にする何らかの要因(特定の骨格でも、特定の遺伝子でも、他の何かでも)の有無に置き換えようという話になりがちである。つまり下記のような四項関係で、言語があるということの意味を分節しようという筋書きになる。
言語あり ー 言語なし
|| ||
言語の要因あり ー 言語の要因なし
こうした四校関係の構えの中で、言語の”要因”を探そうとすると、少々困ったことになる。
もし仮に、大昔のある日突然、突如として、雷に打たれて覚醒するとか、宇宙人に連れ去られてアタマに何かを入れられるとか、脳の神経ネットワークのつながり方を左右する遺伝子の変化が生じるとか、そういう突発的な単一の要因から言語が始まったのであれば、上の図式のように考えることもできる。
何かの要因で急に「喋る猿」が出現したのであれば、その猿が登場した日をもって、この日は言語の誕生記念日です、ということができる。
しかし、そういう「点」あるは「断絶(ギャップ)」としての起源を想定することは、難いのではないか、というのがこの本『言語の起源』におけるエヴェレット氏の考えである。
気の長い変化の中で、言葉を喋るということが少しづつ始まったのであれば、言語のありとなしが切り替わる瞬間を「点」として想定することは難しくなる。言語とは呼べないようなものから、なんとなく言語ではないとは言えないようなものへ、じわじわと変化していったということになる。
例えば言語の有無を左右する要因として特別な「言語能力」のようなものが存在すると仮定されると、その発生源や根拠を”他”の何らかの存在に(たとえば、特定の遺伝子の配列だとか、特定の骨格だとかに)に還元して説明しようということになるのだけれども、この際にその発生源なるものを、何か小さな「点」で表象される要素と想定してしまうと、わかりやすさの代償に諸々を犠牲にする話になってしまう。
もちろん、脳の身体全体に占める相対的なサイズの拡大を可能にした二足歩行という体格の変化や、そういう体の変化を可能にした栄養摂取の技術の変化や(火による調理)、脳の神経ネットワークのつながり方を左右する特定の遺伝子の配列の登場や、群を形成するため個体間の意思疎通が重要になること、石器を叩き出すため素材となる石を見ながら完成した形状を幻視する力などは、いずれも言語の始まりに寄与した重要な要因であると考えられるけれども、それらのうちのどれか「ひとつ」だけが決定的な言語発生要素で、他は全てあってもなくても良いオマケだったということにはならない。
何より、今日の我々一人ひとりにおける言語の芽生えもまた、環境に埋め込まれた学習を通じて時間をかけて進行するプロセスである。エヴェレット氏は次のように書く。
学習することを可能にする神経系のつながりと、学習を促す環境(自然環境や、他者の存在や、音声や文字といったシンボルのパターンの存在という”社会”環境)とが絡まり合いネットワークを創発させるように、少しづつ、個体にしゃべったり書いたりすることを可能にする。そして喋ったり書いたりしたことが、個体を超えて時間と空間を超えて複数の個体の間を結びつけていくことで、言語の体系もまた変化していく。人類のご先祖の身体と、その生存を条件づけた複雑で多様な環境の中で、言語が喋り始められるための条件が少しづつ生まれ、受け継がれ、積み重なっていった、と考えるのである。
最初期の言語とは
こうなると、「言語」という言葉で言い表されている事柄の中身が問われることになる。登場したばかりの最初期の「言語」は、今日の私たちが言語だと思っている言語とは、大きくかけ離れたものだったと考えざるを得ない。言語は、人類の祖先たちの身体・神経系の進化と呼応しながら、初期状態から、何十万年もかけて、今日の言語の姿へと「共進化」してきた可能性がある。
*
そう考えると、二つの興味深い問いが浮かび上がってくる。
まず、最初期の「言語」とはどういうものであったか?
次に、その最初期の「言語」を話したであろうご先祖は一体何年前くらいの人たちなのか?
エヴェレット氏はこの二つの問いにどう答えるのであろうか。詳しく読んでみよう。
言語は「シンボル」から始まる
まず最初期の言語がどういうものだったか、という話である。
大昔の言語が今日の言語とは大きく異なるものだったとして、それはどういう姿をしていたのだろうか。
すぐに思いつくのは動物たちがおこなっているコミュニケーションのことである。犬でも猫でもカラスでもサルたちでも、みんな鳴き声や表情や姿勢や全身の動き方などでもって個体間の時に種を超えたコミュニケーションを難なくこなしている。
では最初期の人間の言語はこういう動物たちの鳴き声の一種だったと言えるのだろうか?
そうではない、とエベレット氏は考える。
ここにある「シンボル」がキータームである。言語はシンボルを介して始まった、「シンボル(象徴記号)は、 人類を言語獲得への道に導く発明だった」とエヴェレット氏は書く。
シンボルとシンボル以外
「シンボル」を理解することがエヴェレット氏の議論のエッセンスに触れる鍵である。人類の遠いご先祖の最初期の「言語」を動物たちの鳴き声やジェシスチャーから区別するのは、シンボルであるか、シンボルでないか、という点である。
人類の言語は、たとえそれがいかに古く原初的な形態で、今日の私たちが言語だと思っているものとかけ離れた姿をしていたとしても、それはあくまでもシンボルの体系としてある。
一方、動物たちの鳴き声などは何かを意味する記号ではあるが、「シンボル」の体系ではない。
動物の場合も人間の場合も、どちらもコミュニケーションの道具としてはそれぞれそれなりに機能しているという点では「同じ」ように見えるのだけれども、シンボルかシンボルでないか、という一点で大違いだというのである。
では一体、シンボルと非シンボルのちがいとは何だろうか?
C .S.パースのインデックス、イコン、シンボル
エヴェレット氏が用いる「シンボル」という用語は、C.S.パースの記号論(Semiotics)に依拠している。
パースは記号すなわち”何かが別の何かを意味する”ということを、インデックス、イコン、シンボルの三種類に分けて考える。
◇
インデックス(指標)
まずインデックスである。インデックスは日本語で「指標」と訳されることがある。
たとえば”熊の糞”は”熊”のインデックスである。また”猫の足跡”は”猫”のインデックスである。
私たち人間に限らず、様々な動物は、何度が学習をすれば謎の糞を熊の糞だと見分け=分節できるようになる。そして熊の糞を見つけては「近くに熊がいる!」と知ることができる。
この場合、熊の糞は、熊がいるということを「意味する」「記号」になっていると言える。
この熊を意味する記号としての熊の糞は、「イコン」でもなく「シンボル」でもなく「インデックス」である。
インデックスとそれが意味する事柄との間には「実際の物理的なつながり」がある。熊の糞は考えるまでもなく、熊から排出されたものであり、熊と「物理的なつながり」がある。熊の糞は熊の一部、というか熊の存在そのものである。熊以外の動物が、たとえば野うさぎだとか子鹿だとかが熊の糞を排出することはない。
当たり前だろうと思われるかもしれないが、このことが意味分節理論的には非常に重要な点である。
熊の糞は、熊という動物と、排他的に物理的なつながりを持つ。この排他性が熊の糞に熊の記号としての力を与える。
*
排他的ではない物理的なつながりもありうる。例えば「熊が歩いた振動で、近くの木から落ちた枯葉」というものがあるとする。この枯葉は熊の動きによって樹上から地上に移動したもので、その存在と熊との間には実際に物理的なつながりがある。
しかし、この枯葉は熊のインデックス記号にはなりにくい。
なぜなら、枯葉は他にもたくさん落ちているし、風に吹かれて落ちることもあれば、リスが落とすこともあれば、カラスが落とすこともある。蟻がはって落としたのかもしれない。
葉っぱが落ちているという事態と、熊が動いてそれを落としたという事実は、実際には物理的につながっている。しかしその葉っぱを私たち人間が見つけた場合、葉っぱが落ちているという事態と、熊がそれを落としたという事実を、排他的に結びつけることが極めて困難である。そこでは下のような四項関係は分節化されないのである。
熊の糞 ー (熊以外の動物の糞)
|| ||
熊 ー 熊以外の動物
こういう二項対立関係を二つ重ねた四項関係があるところで、「熊の糞」は「熊以外の動物ではない動物」すなわち「熊」と「異なるが同じ」ものになる。すなわち、記号になる。
糞の話ばかりで、お食事中の方には大変申し訳ないのだが、インデックスの説明としてはこれ以外ないほどわかりやすいのでもう少し続けさせていただく。
ここで、熊の糞が排出されてから何日も風雨にされされ、すっかり周囲の土砂と区別分別できない状態になってしまったら、その「砂」は確かに物質としては熊の糞なのだけれども、もはや「熊」の存在を意味する記号にはならない。土砂と区別できない状態になるということは、すなわち、上記の分節システムのうちの上半分、「熊の糞ー(熊以外の動物の糞)」の分節が効かなくなっている状態である。
分節が効かないところ、二項対立関係が際立たないところでは、意味するという現象は動き出さない。
*
さらにいえば、熊のフンがあればそれが自ずから自動的に熊のインデックスになるわけでもない。例えば、今日の徹底的に人工空間化された都市に住む都会人で、熊の糞など生まれてこの方見たことも嗅いだこともない人の場合、山道に「それ」が落ちていても、「それ」を数あるフンのうちの熊のものだと区別分節することはできない。そういう分節することができないに人にとっては、このフンは熊の存在を知らせるインデックスとしての意味作用を果たさないのである。
インデックスはそれが表す事柄との「実際の物理的なつながり」に基づくが、この実際の物理的なつながりに”気づくことができるかどうか”は、個々の人間の分節のスキル次第、個々の生命の分節能力次第、ということになる。
即ち、ある人、ある生物、ある生命にとって、何かをそれ以外の何かと区別できたり区別できなかったりするのは、ひとえにその身体の感覚や、記憶された知識や、利用可能な道具や「シンボル」次第である。
イコン(アイコン、類像)
次に、イコンである。イコンはカタカナでアイコンと書かれたり、「類像」と訳されたりする。
イコンは「それが指し示すものを物理的に喚起する記号」である。たとえば熊出没注意の看板に描かれた熊の絵だとか、偉人の肖像画などである。
物理的に喚起する、というと難しい印象を受けるが、要するに色や形が似ているということである。色や形が似ているというのは、人間の感覚器官が二つの事柄を区別できるけれど区別しなくても良いと感じ、同じではないけれども同じようだと感じることができるような、二つの刺激のパターンがあるということである。
たとえば偉人の肖像画や像はあくまでも色や形が似ている「イコン」であって、「インデックス」ではない。熊とその糞のような物質的なつながりは、偉人の身体とその肖像画の間にはない。
インデックスの場合は意味するもの(インデックス)とそれによって意味されるものの間に物理的なつながりや連続や接触の関係があったわけだけれども、イコンの場合は「物理的」なつながりは必要ない。イコンの場合は感覚器官が、感覚する動物が、その感覚器官において何かと何かを「同じだ、似ている」と感じること、区別するけれども区別しないという処理を行えることによって、記号とその意味の「つながり」が発生する。
*
興味深いことに、人類は”イコンがそれの表すものとの物質的なつながりに基づかない”という事実に耐えられなくなる場合があるようで、しばしば像の中に偉人の髪や爪、あるいは遺骨など、偉人の身体と物質的に繋がりのあるものを埋め込むことまでする。記号、すなわち意味するという現象の根源には、二つの事柄の間に「異なるが、同じ」を見つけ出す営みがあるのだけれども、「異なり」の方が際立ってしまうとき、より強力な「同じさ」を際立たせるために、インデックスにもなりうるような物質的なものが引き合いに出されるのである。
シンボル(象徴)
さて、次がいよいよ言語を可能にするたいへんな記号、シンボルである。シンボルは「象徴」と和訳されることが多い。
象徴(シンボル)というのは「たとえば「いぬ」という音を用いてイヌ科のあの動物を指示するように、ほぼ恣意的な形象を特定の意味へと結びつけるもの」である(ダニエル.L.エヴェレット『言語の起源』p.25)。
何かと何かを結びつけるということは、インデックスでもイコンの場合でも記号が何かを意味するという場合にはいつも働いている動きである。ここでシンボルがインデックスやイコンと異なるのは、この結びつきが「恣意的」だということである。
*
インデックスとイコンとシンボルでは何と何を結びつけるのかに違いがある。
インデックスでは、二つの事柄の物質的な結びつき(もともと物質的に一つに連なっていたものが二つに分かれたという事実)をそのまま記号として利用する。
イコンの場合は、人間やそれ以外の生物の感覚知覚系が二つの事柄から同じような刺激を受け取ることを利用する。刺激の「同じさ」を共有することで二つの事柄を結びつけ、両者を区別しながらも同じだと思うことにするのである。
これに対してシンボルの場合、何と何を結びつけるのかは恣意的で構わない。つまり、何を何のシンボルにしても構わないのである。何と何を結びつけても構わないという「恣意性」がシンボルの肝である。
イヌ科の例の動物を「イヌ」という音と“異なるが同じ”であると結び付けてもいいし、同じ動物を「Dog」という文字列と“異なるが同じ”と結んでもいい。
とはいえ、実際には私たちがシンボルだと思っているシンボルたちは、多くの場合、その「恣意性」を発揮しないでいるように見える。あるシンボルが意味するもの指示するものが何に限定されるかが多くの人の間で共有されていることがほとんどである。シンボルとその意味との結びつきは恣意的であると同時に慣習的である。
そしてこの恣意的でありながら慣習的な「つながり」を作り出し再生産し続けることができるようになったことこそが、人類にとっての”言語の始まり”なのである。
「シンボル(象徴記号)は、 人類を言語獲得への道に導く発明だった」とエヴェレット氏は書く(ダニエル.L.エヴェレット『言語の起源』p.25)。
何と何を結ぶかを自在に変更することができるし、何と何が結びついて何と何は結びつかないかのルールを決めることもできる。もちろん常識と闘い組み替えてしまうようなワイルドな人たちであれば、ルールを変え、新たに作ることもできる。
この結んだり解いたりを自在に行えることがシンボル(象徴)の創造性であり、このシンボルの創造性こそが人類に、環境世界を根底から作り変えるほどの想像と構想と計画、いわゆる誰も見たことのない未来を描き共有する力を与えたのである。
結びつけるということが重要である。
五感でもって見たり聞いたり触れたり嗅いだりした感覚の印象と、記憶されたさまざまな事柄を、互いに区別しつつ、「異なるが、同じ」こととして結びつける。
異なったものを同じこととして結びつけたり切り離したりする力こそが人類にシンボルを生み出し扱うことを可能にしている。
このあたりの話については、下記の記事にも書いていますので参考にどうぞ。
G1言語
ジェスチャーや声の模倣は「イコン」であって、「シンボル」ではない。
人間がトラの真似をして唸ったり体を動かすとき、それが本物のトラを表している限りはイコンである。しかし同じトラの真似が、「強さ」を表現したり(象徴したり!)、「男らしさ」を表現したり、「悪霊に睨みをきかせること」を表現したりする場合はシンボルになる。
こうして何かを何かのインデックスとして見出したり、何かを何かのイコンとして見出したりする段階から、シンボルを恣意的作り出しては仲間内で慣習化する段階へと移行したところで「言語」が始まる。
エヴェレット氏は言語の最初期の姿を「G1言語」と名づけ、それを「シンボル(単語やジェスチャー)が、話されるときに慣習に沿った形で並べられる言語だ」とする(ダニエル.L.エヴェレット『言語の起源』p.99)。
言葉はいつも「言葉足らず」
言語がインデックスでもイコンでもなく、シンボルであるということが、次のおもしろい現象を引き起こす。
言葉はいつも「言葉足らず」であり、意味が分かるけれども分からない、分からないけれども分かる、といったことも常である。
話し手と聞き手の間で意味が伝わるか否かは「言外の前提」に依存する。同じことは次のようにも書かれている。
言葉がどうして言葉足らずになるのかといえば、それは先ほどの意味分節の四項関係があるからである。
◇
例えばAさんがBさんに対して、C君のことを「彼は地頭は良いのだけどね」と言ったとする。
この言葉はさまざまな四項関係の中で、いずれかの位置を占めることができる。例えば次のような具合である。
「彼は地頭は良いのだけどね」ー (地頭以外の何か)
|| ||
良い点 ー 悪い点
AさんがCさんのことを「彼は地頭は良いのだけどね」という時、これがそのままズバリ、地頭の良さを褒めているのかもしれないのだけれども、実は、「彼は地頭は良いのだけどね」という言うことで、暗に、これと対立する「(地頭以外の何か)=悪い点」を言外に区切り出し、「地頭以外はどうしようもないな」と酷評しているのかもしれない。
果たして文字通り褒めているのか、それとも言外に文句を言っているのか?!
どちらの話をしているのかは、この「彼は地頭は良いのだけどね」だけでは分からない。例えば、C君が仕事で請求書の0を一つ少なく書いたまま気づかず客先に送ってしまったという大事件の直後に同僚のAさんとBさんがこの言葉を交わしたとすると、おそらくこれは「褒めてない」だろう。
ある言葉の意味が”文脈で決まる”というのは、これである。
ある言葉が、どういう四項関係の中でどの位置を占めるのかは、変幻自在なのである。
「彼は地頭は良いのだけどね」ー (B)
|| ||
(A) ー (非A)
ここでBとAと非Aにどういう項が入るかは、自動的には決まらない。何が入っても構わないのである。これがシンボルの恣意性である。「彼は地頭は良いのだけどね」と”異なるが同じもの”の関係を取る(A)とは、シンボルすなわち恣意的な関係にある。また「彼は地頭は良いのだけどね」と対立する(B)と、(A)と対立する(非A)に何が入るかも、これまた恣意的なことである。
そして恣意的な事柄なのだけれども、同時に慣習化してもいる。
この慣習化した四項関係、意味分節システムを共有している者同士の間では、ほとんど最少限のシンボルのやりとりだけで、膨大な言外の意味を”空気を読んで”コミュニケートできることになる。
シンボルの始まりが言語の始まり
では、こうしたシンボルが「慣習に沿って並べられた」”言語”は、どのくらい昔からあったのだろうか。これについてエヴェレット氏は次のような大胆な(?)説を提唱する。
今から200万年以上前に登場したホモ・エレクトゥスは、完成形を思い浮かべながら石と石をぶつけて石器を作ったり、集団で計画して海を渡ったりした形跡がある。エレクトゥスが直接感覚できる限りでの「あるがままの事物」に反応するだけでなく、その事物をそれとは別の”意味するところ”と”異なるが同じ”の関係に結びつけていた。とすると、そこにはシンボルがあり、シンボルを並べた「最小限の形態」の「G1言語」を使うことができたと推定できる事になる(ダニエル.L.エヴェレット『言語の起源』p.101)。
言語の起源を、私たちホモ・サピエンスの祖先が5万年前か、7万年前に喋り始めたものだとする説もある中で、エヴェレット氏の説はの100万年以上も前のホモ・エレクトゥスにまで遡る。
いくらなんでも遡りすぎではないか、と不安になるところだが、エベレット氏の説は、そもそも「言語」の最小限の構成とは何か、というところから問い直している。100前年前のエレクトゥスが今日の私たちと同じような言語を喋っているという話ではない。
100万年前の「言語」は、今のわたしたちから見れば、極めてシンプルで、文法的な組み立てもはっきりとしないような、少数のシンボルを並べたものだったと推定されるのである。
言語といえば文法こそがその本質だと考えられがちだが、そもそも文法を組みことができるためにはシンボルが存在しなければならず、シンボルが存在するためには、「意味する」ということができなければならない。
意味する、すなわち、互いに異なるものとして分別される二つの事柄を、異なるものと分けつつも同じものとして結びつけることである。
そして、この結びつけることが恣意的でありながら慣習的であること、つまり何と何を結びつけても構わないが、いつも一緒に暮らしている人々の間では仮にある一定の結びつけ方のパターンを互いに真似し合うことである。
*
また「シンボル」なるものも、今日の私たちがシンボルだと思うような複雑でいかにも暗示的で意味深げな象徴物である必要はない。
エベレット氏は次のように書く。
日常にあるもの、石器の道具などがあれば、もうそれは「シンボル」なのである。日常の道具は、それ自体が何かと恣意的かつ慣習的に結びついて理解される「シンボル」なのである。
しかもこの結びつける、ということも大袈裟なことではない。
この結びつけるは、もともと二つ別々であるものを、無理に頑張ってくっつけた、ということではなくて、むしろ生物としての身体が分けようと思ば識別できるはずの事柄を、ついぼーっとしていたり、よそ見をしていたりして区別できなかったということかもしれない。
最初期のシンボルは「木の根をヘビと見間違えるなど、二つの対象を誤って結びつけたことで生まれたのかもしれない」とエヴェレット氏は書く(ダニエル.L.エヴェレット『言語の起源』p.423)。
誤って、つまり何か他所に根拠や理由や必然があるわけではなく、まさにたまたま偶然、何かの弾みで間違えて、結びつけてしまった、あるいは区別ができなかった、ということ。
それが互いに異なる(と人間が分別するもの)を、”異なりながらも同じ”と置く、区別しながらがも区別しない(あるいは区別しないが区別する)シンボル的意味作用の始まりである。
こんなことを繰り返しているうちに、恣意的な結びつきあるいは区別しないこと、異なるが同じこと、同じだが異なることが、慣習化していく。
ここで何を何と、”異なるが同じ”として結んでもよい(区別しなくても良い)という恣意性が、シンボル同士が互いにシンボルになるシンボルのネットワークの創発を可能にしたわけである。そうして次のような事態に至る。
シンボルの後に発生したと推定される、三つのタイプの文法というのは次のとおりである。
文法G1:糸に通したビーズのようにシンボルを一列に並べたもの
文法G2:G1に加えて階層ができる
文法G3:G2に加えて再帰性がある(あるものを同じ構造の他のものの内部に際限なく入れ子にすることができる。
今日の私たちの言語は、このG3の文法でその複雑な構文で精密な意味分節を行えるようになっている。
小括
ここまでで浮かび上がる要点は「慣習」であり「社会」である。シンボルとその組み合わせ方を、私たちは他の人々の間で生きながら、学習しなければならない。
エレクトゥスでもサピエンスでも、人類はいつも集団で生活してきた。エヴェレット氏が脳と脳のネットワークと呼ぶものが、個々の個体の登場と退場を超えて、脈々と命脈を保ちつつ変化進化してきた。
言語の経験、意味の経験は、主観的なことであるけれど、その主観的な意味の経験は共同主観的で客観化することさえも可能な具体的なシンボルたちとその組み合わせをいわば「道具」として用いることで、初めて可能になる。
だからこそ、私たち一人ひとりがどういう他者たちの間に生まれ、どういう他者たちの間で、どういうシンボルたちとその組み合わせ方を「真似」しながら学習を重ねていくのかが、大きな困難の原因にも、希望の原因にもなるわけである。
さらにこの道具としてのシンボルの体系を相互に交換しあう人々の共同生活の空間こそが、人類の遺伝的な進化を左右する。
井筒俊彦氏の「超個的な言語アラヤ識」というのも、この「言語と文化の組み合わせ」の一側面と言えそうである。
あらゆる生命体、生物は、それぞれ生存する環境の中で、その環境との関係の中で、祖先から受け継いだ姿を少しづつ変化させていく。
これが人間の場合、他の人類とまとまって日々過ごしている状況が、進化を左右する環境になったのである。そこで人類は、祖先から受け継いださまざまな力をどうにか組み合わせて、恣意的で慣習的なシンボルの結びつきの
体系を織り上げていったのである。
この辺りの話については、例えば下記の本が参考になる。
コードを仮設していくためのアルゴリズムを開発する
シンボルの組み合わせ方の体系は、今日でも変化を続けているはずである。
考えてみれば、ほんの数世代前の人たちと、今日の私たちとでも、言語におけるシンボルの組み合わせ方には大きいな違いが生じている。
シンボルの組み合わせ方の長い目で見れば、勝手に変化していくのだろうし、一世代が行うシンボル体系の組み替え、ましてや個人が行うシンボルの組み替えなど、そう遠くないうちに大きなうねりの中に、「無」の中で何だかわからないようになるのだろうけれども、それで良いのである。
井筒俊彦氏は『意識の形而上学』の中でアラヤ織を育成していくことの重要性を説かれていたが、まさにそれである。
少なくとも個々人にとっては、人生を生きていく上で、自分がどういう超個的言語アラヤ織の部分を伝承されてしまっており、その中からありとあらゆる意味分節(自分とは何か、死とは何か、愛とは何か、といったことまで含めて)を始めざるを得ない。そこでは望むと望まざるとに関わらず取り憑いてしまったアラヤ織を、多少なりとも手懐けるみせる必要がある。
超個的な他者としてのアラヤ織を手懐ける上で、シンボルの体系を柔らかくし、シンボル同士が自在についたり離れたり、付かず離れずになることを許された中間領域を開いておく必要がある。
シンボルたちを慣習的に固まった姿から、束の間恣意的についたり離れたりする遊離状態に励起して、そしてまた何らかの四項関係へと落ち着かせ、それを束の間の新たな慣習として仮設しておく。
そういう言語技術が求められているのだろうし、そのためにはやはりこの四項関係の変容を記述する意味分節理論が強力な道具というか呪具になるのである。呪術のための道具は、これは憑けたり離したりを自在にするのであった。それは四項関係を「恣意性」へと送り返す呪術なのである。
その「術」の中心には、中間状態や両義性をエンジンに、シンボルたちが織りなす分節体系を動かしていくためのアルゴリズムが組み込まれる。
つづく
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