かもしれない
我が家の子ども達は鳥が好きである。
家の近所の公園には大きな池があり、いろいろな鳥がうろうろしている。
平日の朝早くに行けば人類よりも鳥類の方が多数派である。雉(小綬鶏かもしれない)、鷺、翡翠(翡翠)、川鵜、燕、椋鳥、ヒヨドリ、雀に土鳩にキジバトに烏。
そして鴨がいる。
他にも小さい鳥はいるが私には名前がわからない。
鴨といってもいろいろな種類がいるはずであるが、あいにく私はあまり詳しくなく、オシドリとオシドリ以外の分節しかできない。鴨っぽい鳥は全部鴨と総称する。
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うちの子どもたちが特に親しみを覚える鳥は鴨である。
鴨は、真冬の朝、半分凍った水面の、そこに覆いかぶさる樹の枝の下に集まっている。落葉した枝たちの下、冷たい水の上にじっと隠れている。
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鴨といえば、むかし高専の学生だったころの話である。「写真部」に所属していた私は、上野は不忍池にカメラを持って出かけていた。当時使っていたカメラはLeitz Minolta CLという銀塩カメラである。
これはデジカメではない。銀塩フィルムを感光させるカメラである。確か「ネオパンSS」というフィルムをよく使っていたような記憶がある。ネオパンのACROSなら今でも売っている。
ちなみに写真部といっても、私は撮影よりももっぱら現像のおもしろさに魅せられていた。撮影済み(感光済み)のフィルムを現像液、停止液、定着液といった薬液に順番に浸して、光に当てても変化しない状態にするわけであるが、この工程がおもしろい。薬液の濃度、水温、気温、浸す時間に、攪拌時の動かし方まで、感光分子ひとつひとつが薬液の分子で洗われている様子をイメージしながら手を動かす。この辺りの話については『写真工業』という雑誌があり、現像の化学と技術とその産業化のノウハウがこれでもかと書かれていた。
今から思うとけっこう上手に現像できていたようようにも思うが、当時は先輩たちの技術が圧倒的に偉大で、先輩たちの現像の手捌きを見ているのが楽しく、自分はいつまでも入門前の前の門をうろうろしているような気がしていた。
もちろん、何も撮影していないフィルムを現像しても面白くない。
未撮影フィルムを現像すると透明(というか光がどの座標でも均一に通る状態)なネガフィルムを得られる。それを印画紙に焼き付けると真っ黒になる。
それはさすがに、すべてがもったいないので、撮影にいく。
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不忍池のある上野公園といえば、御一新以前には広大な寛永寺だった。今でも立派にみえる寛永寺であるが、幕政時代には幕府の寺としてそれはそれはたいへんな格式を誇っていた。
父方の江戸時代のご先祖達のお墓も寛永寺の塔頭のひとつにあり、あの辺を歩いていると、ご先祖もここを歩いて、これをみたのか、と一瞬「今」が「いつ」だか分からなくなる目眩を覚える。幕政時代の幾たびの地震と大火、戊辰戦争、関東大震災、そして東京大空襲。けっこう迫ってくるモノがある。
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「写真部」の仲間数名とカメラをぶら下げて不忍池の周りをうろうろしていると、鴨がいる。
貴重なフィルムで何を撮ろうかというとき、あまり動き回らない鴨は、「絞り」や「シャッタースピード」の調整にモタモタする私のような者にとってもやさしい被写体になってくれる。
鴨にレンズをむけて、一枚パシャリ。
そんなことをやっていると、公園に寝泊まりしているというおじさんが、おもしろそうに声をかけてきた。
あれ、とは即ち、鴨のことである。
おじさんは続ける。
鴨と、観光客と、お金と、餌と、おじさんが”一にあらず異にあらず”の関係でつぎつぎと連鎖していく。
とてもおもしろいロジックである。
こういう会話には乗らないわけにいかない。
「よくみると、まるまる太ってますねえ。捌くのは難しくないですか?」
そう応じる私に向かっておじさんは、ニワトリと同じだとか、火と包丁があれば簡単とか、身振りを交えて説明してくれる。
おじさん、暇を持て余して冗談を言っているのかと思ったが、どうにも手つきも腰つきもリアルである。
鳥を捌くふりをする身振り手振りに、いまは東京の公園で寝泊まりされているおじさんに、もしかすると食べるためのニワトリを飼っていた故郷の暮らしがあったのかもしれない、などと思った。
大江健三郎氏の『万延元年のフットボール』にも、たしか狩猟した鳥をしめるくだりがあったな、などと思い出す。
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さてさて「今夜、鴨を喰いに来い」と誘われでもしたら、何と言って断ろうかと考えを巡らせつつ、はたして、おじさんはほんとうに不忍池の鴨を獲って食べているのだろうか?と思った。
おじさんは、おもしろそうに話をしている。
そうしてこの東京のど真ん中の観光地の公園に暮らす自分の存在を、鴨を獲って食っている者として、言葉によって意味づけようとしている。
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結局おじさんから「食べに来い」のオファーはなかった。
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沈黙したおじさんと、沈黙した私たちは、水面に浮かぶ鴨を眺め、なにか二、三言かわして別れた。
おじさんと会話したのはこの一度きり。
どの誰かもわからない。たぶん現世で再会することはないだろう。生死の話ではない。今でも上野を歩けばどこかですれ違うかもしれないが、お互い誰だかわからないだろう。
しかし、生きて邂逅するしないという問題とはまったく別の次元で、おじさんとの不思議な会話はエコーを響かせ続け、むしろ増幅させている。
上野の池で鴨を狩る者の意味とは?
狩猟といえば、捌く前に捕まえる工程が必要になるはずだ。
捕まえないと捌けない。
私は「食える」おじさんに対し、咄嗟に「捌く」くだりから言葉を返してしまって、「捕まえる」くだりをすっ飛ばしてしまった。鴨を「えい」と捕まえている姿については、なんというか「あり得る」という感じ、自分が捕まえているところも想像できるような気がした。
ちなみに20世紀末の当時からしてすでに公園の鴨を狩猟して食べるのは色々な法律にひっかかったはずである。
野鳥を愛する人からすれば、かわいい鴨を捕って食うなんてひどいと思われることだろう。もし私が鴨を保護する組織のメンバーとして鴨の写真を撮っていたのだとすれば、その場で「食べる」おじさんを通報したかもしれない。
とはいえ私はといえば、銀塩フィルムを現像したいだけの人間であり、鴨は偶然目の前に現れた被写体である。もちろん可愛いと思うし、捕まえるのはかわいそうだという意見に心の底から共感するが、ちょうど上野戦争のイメージが重く無意識の底から噴き上がり目の前の光景と重なり始め息苦しくなりはじめたところだったので、楽しそうに鴨と観光客の財布を「同じだ」と喋っているだけおじさんに、倫理的に嫌な感じを覚えることは全くなかった。
そもそもおじさんは、言葉で喋っているだけである。
実際に捕まえたかどうか、食べたかどうかは分からない。
江戸からの数百年に渡る幾人もの人間の義と情と念が底に沈んで層を成していることに比べれば、その上澄みで空気を震わせる「鳥をとって食べる」という声には、むしろ宇宙的な風通しの良ささえ感じる。
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子どもと一緒にご近所の鴨を眺めながら、おじさんのことを思い出す。
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改めて不思議に思うのは、おじさんは、なぜ私たちに話しかけてきたのだろう?
おじさんは、おじさんが言うところの”金を鳥の餌に換えている”観光客に対して、だれかれ構わず話しかけて回っている様子ではなかった。ピンポイントで私たち写真部員だけに話しかけいる。
とすると、私たちは観光客の一種とは別の種類の人間、どちらかといえば、おじさん側の人間というふうに思われたのかもしれない。
私たちは金も払わず、餌もくわさず、ただシャッターを切って帰ろうとしているわけである。
おじさんにとっての、エコノミー、観光客、お金、餌、鴨、胃などが連なる”多にあらず一”の輪のなかに、「鴨に反射した光で銀塩フィルムを感光させて帰ろうとする若い奴」が占める位置はない。
強いていえば写真を撮っている私たちを一番置き換えやすいのは、「鴨を眼差す者」あるいは「鴨を(観念の上で)捕えようとする者」かもしれない。
よく分からないことをやっている若い連中を、おじさんは”狩猟者の紛い物のようなもの”の位置に置くことで、おじさんにとっての不忍池の意味分節体系のなかに組み込もうとしてくれたのかもしれない。
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誰かの意味分節システムの中で、意味分節される。
分節される。ある意味で、捌かれること。
どうせ捌かれるなら手つきよく捌かれてみたいし、しかし「まだまだ、捌かせないよ」と、バサバサと羽を広げて大空へと飛び立ってもみたい。
捌かれるでもなく、捌かれないでもない。
おじさんの語る鴨は両義的で媒介的で、神話の鴨と同じだったのかもしれない。
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近所の公園で子どもたちと一緒に鴨を眺める。
どこからどうみても分かりやすく親子連れの私には、さしあたって誰も話しかけてこない。ましてや「食える」なんて言ってこない。
これもまた一つの捌かれ方だ。
それでよいのである。
冬の鴨よろしく、半分凍った水面じっとしているという飛び方もある。