『すべての、白いものたちの』 ハン・ガン (著), 斎藤 真理子 (翻訳) はじめすいすいと読めてしまうのだけれど、後ろについている斎藤真理子さんの「捕捉」を読むんでからもう一回読むと、頭がぐるぐるしてきて、不思議な気持ちになります。
『すべての、白いものたちの』 (河出文庫 ハ 16-1) 2023/2/4 ハン・ガン (著), 斎藤 真理子 (翻訳)
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ここから僕の感想
たしかに、僕は『菜食主義者』から読んじゃったのでびっくりしてしまったのだが、こっちから読んだら印象はだいぶ違った。そしてここから(僕はまだ読んでいないのだが『少年が来る』を読むのが正解なんだと思う。そうすると、ノーベル文学賞、なるほどたしかに、となるのだと思う。
死んでしまった者と生きている側の、それは近い家族肉親の話としての切実な何かが、詩的に美しく書かれているから、散文詩のように読めるのである。背後にうっすらと浮かび上がってくる政治と暴力の歴史、ワルシャワの街と韓国の間の、そういうことは、たしかに何度か語られはするけれど、あくまで個人的な生と死への向き合いの背後に、なんだよな。そしてそのテーマがより鮮明に浮かんでくるのが『少年が来る』のようなんだけれど、まだ読んでいない。
これと比較すると、『菜食主義者』における弱者少数者は、いかにも呑み込みにくい、本人にとっての切実さは伝わってきても、それを理解共感するのは難しい部分がある。章ごとに変わる視点人物、どの人の考えや行動も、そういう呑み込みにくいイガイガがたくさんあって、なんというか、『噛みきれない、歯が立たない、でも読み進むにはとりあえず吞み下さないといけない」というような人物と出来事がゴロゴロと次々出てくる小説だったからなあ。どうしてもこれ、ノーベル賞なの?という感じはあった。これがノーベル賞なら、『ミルクマン』アンナ・バーンズにノーベル賞を上げたい、と思いながら読んだのであった。ノーベル賞は全然取りそうにないけれど、人生で読んだ本の中で、ベスト10に入るくらい面白かった。変わった人が出てくるのだけれど、変わったことが起きるのだけれど、すごく呑み込みやすいので、ほんとにハンガンとは何の関係もないが、いきなり紹介しちゃいます。
この本の話に戻ろう。
『菜食主義者』と較べると読みやすいし、登場人物というかこの作者に対しても好意を持ちながら読めるのだけれど、あくまで「小品」という感じかなあ、と一回目は思ったのね。
でも、後ろにくっついている翻訳した斎藤真理子さんの「捕捉」というのを読んで、実は僕はぎょっとして、え、なんかいろいろ読み落としていたみたいだ、ともう一度読んだら、なんか、むしろ一回目より分からなくなって、頭がぐるぐるしてきて、さらにもう一回読んだ。
そのあたりも、詩のようでもあるなあ。中学高校の国語の授業でも、小説の読解より詩の読解の方が難しいというか、「え、そんなふうに読むの?」みたいな腑に落ちない、いろいろ定まらない、そういう感じが僕にはあったのだが。そういう感じがこの本にはあります。
だから、長い小説を読むのが苦手、という人に、詩は好き、という人にも薦めたい。
僕向きの本だったかというとちょいと違ったけれど。『少年が来る』まで読んで、また感想を書きます。