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『羊は安らかに草を食み』 宇佐美まこと (著) それは、売れるわ。と思わせる小説の技・アイデア。けれど、戦争体験を描くときに必要な誠実さはキチンと備わっている。ただの戦争体験・感動小説でも、ただの老人小説でもなかったよ。

『羊は安らかに草を食み』 2021/1/7 宇佐美まこと (著)


Amazon内容紹介

「認知症を患い、日ごと記憶が失われゆく老女には、それでも消せない “秘密の絆" があった――
八十六年の人生を遡る最後の旅が、図らずも浮かび上がらせる壮絶な真実!
日本推理作家協会賞 『愚者の毒』 を超える、魂の戦慄!
過去の断片が、まあさんを苦しめている。それまで理性で抑えつけていたものが溢れ出してきているのだ。彼女の心のつかえを取り除いてあげたい――
アイと富士子は、二十年来の友人・益恵を “最後の旅" に連れ出すことにした。それは、益恵がかつて暮らした土地を巡る旅。大津、松山、五島列島……満州からの引揚者だった益恵は、いかにして敗戦の苛酷を生き延び、今日の平穏を得たのか。彼女が隠しつづけてきた秘密とは? 旅の果て、益恵がこれまで見せたことのない感情を露わにした時、老女たちの運命は急転する――。」


ここから、僕の感想。


※配慮はして書いたつもりだが、ネタバレ注意。帯と同程度しか、書いていないつもりだが。僕の感想なしでも読む気なら、今すぐ読むべし。損は無し。


 冒頭、出てくる王子駅の近く、音無川のつり橋、なんと、私が幼児のとき、滝野川にあった、まさに音無川沿いに建っていた公務員官舎に住んでいて、王子幼稚園に通う、地元の街である。吊り橋、渡ったなあ。今はそんな風になっているのか。そんな驚きと親近感から作品世界にはすぐ入っていけた。


 主人公三人の老婆の年齢は、満州から引き揚げてきた最年長の益恵が昭和9年生まれで、86歳。ということは話の舞台設定が2019年。終戦時11歳。
いちばん若い富士子で77歳。話者人物のアイは、その中間である。富士子は、終戦時には2歳。戦争そのものの記憶はないはずである。


 私の父が昭和6年生まれ、母が昭和11年生まれ。終戦の時、父は14歳、母は9歳。父は北海道の農村で、勤労動員はされても、兵隊さんにはなっていない。戦争そのもののひどい苦労や体験はなく、漠然と「兵隊さんになって死ぬのだろうなと思っていた」と話したことがある。農家なので、食料不足や飢えは特に体験しなかったという。札幌の医者の娘だった母は、学童疎開もし、米軍戦闘機の機銃掃射で体験し「操縦士の顔が見えた」と話したことがある。食料不足は体験し、ヤミ米の買い出しだの、そういう体験はしているが、ひどい空襲などの体験はしていない。母の父親は中国に軍医として従軍していたが、終戦後ほどなく帰還した。中国での体験を母に語ることは無かったようである。つまり、私は、父母に聞いても、それほど深い、ひどい、つらい戦争体験というのが出てこないのである。そういう人間と言うのも、わりといるのである。


 富士子とアイは、終戦時、まだ記憶もない程度の子どもだったのと、その親たちも、それなりの苦労はあっただろうが、内地で暮らし、引き上げ体験もないし、原爆や大空襲といった、決定的で悲惨な戦争体験はしていないようだ。私とその両親と同タイプの戦争との距離感である。益恵一人が、満州からの引き上げという、戦争の最も深い辛い体験をもっている。三人は、人生後半に出逢って、アイと富士子の二人は、益恵の戦争体験の重さを漠然としか聞かされないまま、長年、友情を育んできたのだ。


 作者の宇佐美まことさんは1957年生まれ。私より5学年、上である。戦争の話を書くにしても、宇佐美氏も当然、自分で体験したわけではない。ご両親も、おそらくは主人公たちや私の父母同様に、終戦のとき、中学生から高校生前後で、ぎりぎり、兵士として従軍した体験はないくらいの年齢ではないか。


 何が言いたいか、というと、今、60歳前後の世代の、戦争の体験との距離について。親に聞いたとしても、親も「子供としての終戦を迎えた」体験をした人が多数派で、兵士として、大人として戦争を体験した父母を持つ人は少ないだろうということだ。戦争を素材に小説を書くとすると、それは、取材と資料で勉強して、頭の中で組み上げた戦争描写になる、ということだ。


 自らのことでも、肉親のことでもなく、一生懸命、関連図書を読んで勉強したりして、満州からの引き上げ戦争体験について書かれた小説。そうやってフィクションとして組み上げたにしては、よくできている。が、どこかで読んだり、映画やドラマで見たことのある、既視感のある体験談。


 つまり、変な例で恐縮だが、百田尚樹(1956年生まれ)の『永遠の0』も同じで、戦争を扱っても、世代的にどうしても「作りもの」であるしかなく、あとは、作家としての力量で、どれだけ迫真のものにできるか。この小説の「満州からの引き上げ」、百田氏の「特攻隊」。悲惨さは、先行して存在するドキュメンタリー、ノンフィクション、その他の小説や映画で、まあ見聞きしている。戦争を知らない世代の作家が、勉強して得た知識で書いても、ドキュメンタリー、ノンフィクションや、実体験した世代が作った小説や映画を超えるのは困難だ。リアリティではなく、そこを舞台に組み上げるフィクションとしてのアイデア、出来が、小説としての出来を決定するのである。『永遠の0』は、そこで、アイデアが勝って、リアリティや、戦争を描くときの誠実さに、いささか欠けているというのが、私の、あの小説への評価なのだが。その点で、この小説は、悲惨な戦争体験を描くときに必要な誠実さを、きちんと備えている。そこが素晴らしいと思った。


 僕らの世代にとって、戦争は「時代劇」なんだ。あくまでフィクションだ。そこを舞台にしながら、単にエンターテイメントとしての小説を作るために利用するのでなく、きちんとしたリアリティと誠実さをもって、小説は書かれなければならない。その意味では、この小説、この作者は、健闘しているな。そんなことを感じながら読んだ。時代劇としては、とてもよくできている。


 一方、今現在の80代老婆たちを描く筆が冴えるのは、そこを読む私が、そこはリアルに感じるのは、それは、現実の父母のことを観察して、描かれている感じがするからなのだな。そういう「時代小説」と「現代小説」を行ったり来たりしながら、小説は進む。


 戦争体験と現在を行ったり来たりする中での、ドラマの組み立て、そこに作者の腕が表れる。この人、とても小説が上手。何度も涙が出てくる。そういう、しみじみとした「いい話小説」「泣かせる小説」として、ベストセラーになっているんだろう、と思って読み進んでいったのだが。

ところが。ところが。


 いや、この人、推理小説作家、ミステリー作家なんだわね。「読書メーター第1位」ってなるのは、それは、そういう、売れる小説、面白い小説を書ける人だからなんだわね。たしかに、Amazon内容紹介も、そう書いてあるじゃんね。うかつだった。帯にも「美しい友情の物語に、こんな秘密と結末が隠されていたなんて!」って、ちゃんと書いてある。ビックリマーク付きで。


 本当に、この人、ミステリー作家として、やり手だなあ。伏線回収の手際たるや。いや、最終盤にはいるところで、ちょっと「ははあん」ってなったのだけれど、それは、僕も、そういうの嫌いじゃないから、きっとこういうことだよねって、「わかっちゃったもんねー」って言おうと思って読み進めたら・・・・・でした。


 というミステリー小説としての本領を、最後に発揮、ミステリー作家として牙をむいたとしても、それで、「そこまでの感動を、俺の涙を返せ」みたいなことにしない、台無しにしない、そこがまた、売れる理由なんだわね。小説が上手。


 エンターテイメント小説好きな人にも、戦争体験、引き上げ体験に関わる真面目な小説を読みたい人にも、泣ける話を読みたい人にも、老いと死をどう迎えるかを考えている人も、老いて、子どもたちとの関係に悩んでいる人たちにも、おすすめ。って、こんなにいろいろなタイプの人におすすめできゃうんだから、それは、売れるわな。

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