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目指せ、節約志向のゆるゆる化

大学生から一人暮らしを始めて、歴は5年を超えてきた。
社会人になってからも、炊事洗濯掃除といったやるべきことのディティールに大きな変化はない。基本的に三食作って、週1,2回掃除機をかけたり水回りを掃除したり、朝出がけに洗濯したり。
「自分でできることは極力金や外の力を借りずにこなす」信条はもう沁みついていて、たまに面倒を感じることや意地でこなす時はありつつも自然と続いている。

最近広告に釣られて「カウシェ」というアプリを始めた。
アプリ内で作物を育てて、育ち切ったら決まったラインナップから商品をもらえる、という機能がついていて、ゆるい育成要素と細々ながら節約ができるところが面白そうだなあと思った。あと作物がゆるキャラっぽくてかわいい。
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ただ去年の半ばごろ、ふとこんな疑問が頭をよぎった。
「私、なんのために節約してるんや?」
スーパー・コンビニの総菜は買わない、食材も底値以外ではほぼ買わない。なんのためにそんな財布の紐を締めているのか?
節約のためにセールをしている遠くのスーパーまで行くこと、やりたいことをさしおいてでも意地でこなす自炊、そこに費やした時間や気力よりも、金を使わないことの方が大事なのか?
「いや、金を使って時間・気力を買うのも大事なんじゃないか?」

節約とは本来、「将来の貯蓄のため」とか「欲しいものを買うため」とか、目的を叶えるための手段のはずだ。それなのに私は、「節約できている自分」に陶酔するように、節約することが目的化して、「自分の好きなことに時間を費やす」とか「心の余力を持つ」余地を、自分で奪っていたのである。
なんだこいつ、日々心が重いしんどいとか言いながら、自分で自分の首絞めてたんじゃねえか。

そんな気付きを得て思考回路が変わり、少しづつ財布の紐を緩くすることができている。
「お金はかけないのが一番」
といった思考から、
「ここでお金をかけることで得られるものと、かけるお金とでは、どっちが自分にとって大事なものだろう」
という思考に変化した。

このメニューちょっと高いけど美味しそう。食べたらきっと幸せな気持ちになるから、頼んじゃおう。
この服高めだけど、似合うしなかなかないデザインだし買っちゃおう。
そうして「節約志向」をから距離を置くことで、ちょっと心の余裕もできた。
欲しいもの食べたいものを必要以上に我慢しなくなった、だけではなくて、それ以上に「自分を甘やかす」ことを程々に許容できるようになったことが、大きいのだと思う。

三食の自炊、定期的な掃除洗濯をこなすこと。
これは私の中に「最低限やらなければいけないこと」という強迫観念として住み着いていて(恐らく母が当たり前のようにこなしていてくれたからだ)、おまけに私は「自分のための最低限のことは、自分一人でこなさなくてはいけない」と思い込んでいる。
そう思う背景はいつか書くかもしれないけど、自分のことを最低限肯定しているためには、そうせねばならないと思い込んでいる。

でも案外、「最低限やらなければいけないこと」はほんとは「やらなければいけない」訳ではなくて、時には手を抜く方が息がしやすくて、自分の好きな自分でいられる、もしくは悔いのない時間を過ごせるみたい。

本当に着地点が分からない文章になってしまった。
結局何が言いたかったんだっけ。
「『幸せだ』と思っていられる瞬間を増やすために、「節約志向」をゆるゆる化したい」
かな。


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