他人を大事にする才能と、自分を大事にする才能の話。
土曜の朝。
悪化した風邪でフラフラしながら起床し、39.1℃を叩き出した体温計を片手に座り込んでいると、TVを見ていたはずの息子が登場して「何℃だったぽよ?」と体温計を覗き込んできた。(※息子は「星のカービィ」が大好きで、最近家では常に、語尾に「ぽよ」を付けて喋っている)
「39℃超えてるぽよ!?大変ぽよ病院ぽよ病院ぽよ大変ぽよ!!」と騒ぎ始めた息子についつい笑ってしまいつつ、「そうだね、病院行くから大丈夫だよ」と宥めて、ひとまずいつものルーチンワークで朝食と夫の弁当を用意し、夫を送り出す。
正直口を開くのも面倒なので、寝起きから夫の出勤まで、私は夫には「おはよう」と「いってらっしゃい」しか音声を発していないし、夫の方も同様で、これは平常進行だ。
一応昨夜の時点で「息子の風邪が移ったっぽくて熱が37.5℃になってる、パパも気をつけてね」という注意喚起はして「分かった」という返事は得た。だが「今朝の私がどのぐらい体調が悪いか」の情報を与えていない以上、夫がこの時点で私の体調に意識を向けることは不可能である。
目の前でぶっ倒れでもしない限り、夫が私の挙動や顔色、声の調子などから私の体調不良に気付くことはあり得ないし、「昨夜風邪を引いたと言っていた」情報から、「今日はどう?」という確認を行ってくる可能性も皆無。
これは夫の性格が悪いとか、夫婦関係が冷め切っているからとかの理由ではなく、単純に夫の思考がそうなのである。
この夫の特質を理解するまでに随分長い時間がかかった。そしてこの夫の特質こそ、私が夫に対して、発達障害傾向、特にアスペルガー症候群の傾向が強いのではと考えている要因だ。
私の中の常識では、まず誰かから「風邪を引いた」と聞いたとき、相手に対する返答は「大丈夫?」とか「お大事に」という種類の声かけだが、夫にとってはそうではない。昨夜私が夫に言った台詞の最後が「パパも気をつけてね」であった以上、夫の返答が「分かった」であるのは自然なことで、悪意があるわけでも、別に冷淡な応対をしているつもりも、本人にはないのである。「心配する才能」がないとしか言いようがない。
猫や息子を心配することだけは出来る点が何とも謎だが、とはいえ私の母、夫の母、夫の兄弟、職場の同僚や友人など、どの他人に対しても心配する発言を聞いたことがないので、単に「成人済みの人間」が丸ごと「心配する対象」から外れているのだろう。
一方、私は私で「自分を大事にする才能」が壊滅的である。「配慮や心配を要求する才能」もなければ、そもそも自分の心身を優先せねばならないシーンかどうかの判断能力にも著しく欠けている。夫が弁当を持って出かけて行き、しばらく台所で放心した後に何とか気合を入れて立ち上がり、買い置きのロキソニンを引っ張り出して飲み、ついでに水もコップに2杯飲み、顔を洗って表面温度を下げ、いくらか思考能力を取り戻してようやく、「あー、こんなに熱があるんだから、お昼ぐらいお金渡して自力調達させればよかった……」と思いついたぐらいである。
千円札を渡して「今日はお昼を自分で買ってね」と宣言する、ということさえ出来れば、夫は文句を言わずに従ってくれる。それを思いつけなかった私の圧倒的敗北なのだ。
だがこういう事態もまた、いつもの事だったりする。私は忙しければ忙しいほど、調子が悪ければ悪いほど「夫に適切な指示を出す」能力を失ってしまう。
毎日ルーチンワークとして実行している「トーストを焼く」や「冷凍食品を解凍して弁当を用意する」は頭を使わなくても出来る。だが、「調子が悪いからやりたくない」という自分の感情を正しく自覚して、「やらずに済ませるためにはどうすれば良いか」を考え、更にそれを夫に分かるように伝える――という挙動は、私にとってはかなりの思考力を要する作業なのだ。絶好調に元気なときか、あるいは事前に入念なシミュレーションを行っておかないと、リアルタイムにはそこまで到達できないのである。
実に難儀なことだ。せめて「やりたくない」だけでももう少しスピーディに気付ければ、「やりたくないんだけどー?」と発言して、後は夫に考えさせることも出来る可能性があると、分かってはいるのだが。
そしてこの私の思考の偏りが、過去の私の育児うつを引き起こした原因でもあり、そもそも結婚当初からの夫婦関係構築に失敗した原因でもあった。
なお今回、夫が出かけてから30分以内に「自力調達させればよかった」に到達できたのは、2か月ほど前に風邪を引いた時、ゲーム内の友人に「そういう時はお昼ご飯ぐらい自力で調達させればいいのでは?」と言われて「なるほど!?」となったためである。
結婚してから10年余り、私は幾度となく風邪を引いているが、そんな解決策があろうとは、全く、一度も思いつかず、息子の学校イベント等の日を除いては、そういう運用を全く試してみたことがなかった。この辺り、自分の方に相当な欠陥がある自覚はあるので、夫を責められない。
とはいえ、もう何回か似たようなことが起これば、その内私も体温計を見た時点で「弁当作りをサボり、夫に昼食を自力調達させる」を思いつけるようになるかもしれない。というかこの際、「38.5℃を越える発熱の際は、弁当作りはパスさせてもらう」のようにルール化しておいた方が良いかもしれない。そうだな、その方が建設的な気がする。
「心配する才能」がなく、「他人を大事にする才能」に欠けた夫と、「心配を要求する才能」がなく、「自分を大事にする才能」に著しく欠けた私。この組み合わせの悪さは最早どうしようもないが、手っ取り早く変えられる可能性があるのは私の思考ルーチンの方だし、どういう生き方をするにせよ、私は「自分を大事にするスキル」を習得せねばならない。才能がなければ努力で補うしかないだろう。スポ根的でこの概念は分かりやすい。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、再び登場した息子に「何時に病院に行くぽよ?どこの病院ぽよ?」とせっつかれた。誰に似たのか、実に良くできた息子である。日頃はちょっと擦りむき傷を作っただけでも大騒ぎするぐらい「自分を大事にする才能」があり、今日のようなシーンでは「他人を大事にする才能」を発揮できている。素晴らしい。頼むからそのまま大きくなってくれ。
「分かった分かった、ちゃんと病院行くから大丈夫だよありがとう」と息子をわしわし撫でておいて、「それはそれとして宿題をやりなさい」と宣告すると、息子は「ひーーーー!」と叫びながら逃げて行った。ひーって何だひーって。
土曜診療のある病院を探し、発熱している風邪症状の患者を診てくれるか電話で聞くこと3軒目、診てくれるという病院の予約が取れて一安心。電話の切り際に「熱も高いので大変かと思いますが、どうかお気をつけてお越しください」と受付の女性に言われてじんわり染みた。
初めて行くことになるその病院は、車で20分ほどの距離にある。確かに行くこと自体が億劫でもあるし、例えば酒気帯び運転と比較して、39℃越えの発熱中のドライバーが安全に運転できるかと言われると自分でも怪しく思う。
だが、テンプレートの応対であるにせよ、見ず知らずの患者の道中の安全まで気にかけてくれた、という思いやりが有難かった。
人間は心配されたい生き物だし、自分を大事にしてもらえると嬉しいものなのだ。
――私も、そうなのだ。
それは何ら恥じることではなく、否定すべき考えでもないはずだったのに、何故、私は無意識に「自分もそうだ」ということを除外してきたのだろう、と思う。
そして、「自分を大事にする能力」がここまで低い私に、果たして「他人を大事にする才能」はあるのかどうか。ないとして、息子のことだけでも大事に出来ているだろうか。出来ていないとして、ここから先に――間に合うか。
頭が回らないなりに、昼食と夕食の準備を先に済ませ、予約時間が近付くのを待つ。
「病院に行くぽよ?いってらっしゃいぽよ!帰りにキャラパキチョコ、買ってきてぽよ!」とのたまう息子に、
「通り道にスーパーはないし、買い物には行かないからチョコは買ってきません!病院だけです!」と宣言して、車に乗って思い出し笑いをしながら病院に向かった。
息子のかかりつけの小児科の近くにはスーパーがあり、病院帰りにスーパーに寄って、そこでチョコを買うことが結構あるので、息子の「病院に行くならチョコ」という要求は、まぁ分かる。分かるのだが。
「他人を大事にする才能」、夫とは違い、息子にはきちんとありそうではある。ありそうではあるが――ちょっとまだまだ、訓練は必要そうである。
※その後病院で検査の結果、インフルエンザ・コロナ共に陰性。薬を処方してもらってその日の内に37℃台まで下がり、7/11現在では平熱になり、ほぼ治りました。ぶり返さないように気をつけます。