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<ジャポニスム 幻想の日本> 馬渕明子 ㈱ブリュッケ(新版2015)その2.(1)
はじめに
記事その1.では、線スケッチ教室の体験会での質問、「なぜ下書きなしに描くのでしょうか? 鉛筆で下書きをしてはなぜいけないのですか?」に関連する部分に焦点をあて、ヨーロッパと日本における素描の違い、日本の絵画が幕末にヨーロッパに渡り、当時の西洋人が理解した日本の絵の特徴と及ぼした影響について紹介しました。
今回は、素描(線描)ではなく、構図に関する部分を取り上げます。
その1.でも触れましたが、この本に興味を抱いたのは、素描に関する議論とともに、著者が3章にわたって、クロード・モネを取り上げていたからです。
私がこれまで読んだジャポニスムに関する本では、着物を着た妻のカミーユを描いた「ラ・ジャポネーズ」のように日本趣味そのものを描いた作品が紹介されていましたが、作風への影響について言及したものはなかったように思うのです。
ちなみに「ラ・ジャポネーズ」を下に示します。
![](https://assets.st-note.com/img/1647692513315-gGUVvCPWhR.jpg?width=1200)
この作品は、あきらかに作風ではなく、エキゾチックな日本の着物に主眼を置いた作品です。
着物の描写、例えば金糸銀糸の刺繍部分など、これでもかと細密描写して印象派の筆のタッチが特徴のモネの作品とは思えません。「俺は実はここまで描けるんだぞ」と自慢しているかのようです。
線スケッチの視点
ここでは、モネに関する3章の内、第4章「A travers―モネの《木の間越しの春》をめぐって」の中で著者が論じている<すだれ効果>について取り上げることにします。
線スケッチの教室でよく出る質問の中に、構図に関するものがあります。それは、
「構図はどのように決めたらよいのですか?」
人気のテレビ番組の中で、芸能人が野外でスケッチするときに、最初に両手の人差し指と親指で四角を作り、片目をあてて描く方向に向いて覗き込んでいる場面がよく映し出されます。その影響でしょうか、多くの人は描く前に構図は決めるものだと思っているようです。
確かに構図は大切かもしれません。しかし構図に絶対的な基準があるのなら、だれもかも同じ構図を採用しなくてはならなくなります。
むしろ、構図については私からは次のようなアドバスをしています。
「最初に構図ありきではなく、まず自分が描きたい、すなわち心が動いたもの、美しい、驚いた、ときめいた、感動した、面白い・・・ものを、その気持ちを大切にして最初に大きく描いてください。ある程度描き進むうちに全体の構成が気になってきます、その段階で全体のバランスを考え周辺を描きすすめるときに構図をまとめていってください。」
まず構図ありきではなく、描きたいものありきなのです。
実は、この考え方は私のものではなく、私の師である永沢まこと先生が「一点突破」と名付けて推奨している方法です。
以来私は構図を気にすることなく、気持ちをペンにのせて描けるようになりました。
とはいえ、最終的には構図をまとめるので、構図を軽視しているのではありません。
私が本書を読んで驚いたことは、モネが日本の伝統的な構図から影響を受けていたことを知ったことです。それは「すだれ効果」(後で説明します)からの影響です。
私自身はこの「すだれ効果」を意図して使ったことはないのですが、絵の最上部に樹木の葉や花木を大きく描く、手前に巨大なものを描くなど北斎や広重の絵の影響でしょうか日本の構図手法を無意識に使っています。
その一方、西洋の空間表現、線遠近法を私は当たり前のように使っています。
「線スケッチ」の場合は、東西の空間表現の相互の交流を知ることは、生徒さんに構図を説明するうえでとても大切なことだと考えます。
それでは本書の中の「すだれ効果」とモネの絵についての章を紹介していきましょう。
4 A travers— モネの《木の間越しの春》をめぐって
本章は、マルモッタン・モネ美術館所蔵の《木の間越しの春》の話からはじまります。
![](https://assets.st-note.com/img/1647845923064-vPAO9PFzkI.jpg?width=1200)
Public Domain via WikiArt
著者によれば、手前の木々の葉が前面に覆って、その間から川と対岸の景色をかいま見るという構成が、きわめて例外的なものであること、にもかかわらず当時の批評家からはその構成ではなく、木の幹が中央に描かれていることを揶揄の対象とした的外れな批評を受けたことが述べられています。
いずれにしても、西洋の伝統から外れた構図であったことに変わりありません。
著者はこの作品のこれまでにない特徴として二つ挙げます。まずその一つ。
ルネサンス以来の空間表現においては、川の岸辺から対岸を見てこれを描く、すなわち川を真横から横切った角度でとらえることはあり得なかった。横から見た川というのは、奥行きを表すのにこれほど不適切なものは無いし、川に平行に展開する対岸の景色といったものも、同様に空間表現にふさわしくない。
しかし、この表現は当時斬新ではあったけれど、すでにモネやシスレーも繰り返し取り入れていたので彼らにとっては目新しいものではなかったといいます。それでは二つ目はなにか、それは
これら三点の作品が印象派の中で、いやモネその人のそれまでの作品の中でも際立って新しく特異的なのは、すでにのべたように画面の全体を細かい葉が覆いつくしていることにある。これは一般に中景から遠景を見晴らす風景画の常套を覆しているからだ。
この覆いつくされた細かい葉からその先の景色を描くというのは、日本の絵を見慣れたものにとってそれほど不思議ではありません。
次に著者は「すだれ効果」の名の小見出しでその辺の事情を論じていきます。
《すだれ効果》
著者はまず絵の題名に注目します。当初は「風景 クルヴブォワ Paysage: Courbevoie」だったのがいつのころか「木の間越しの春 Primtemp a travers les branches」 となったとのこと。
この中の a travers に注目して著者は言います。
(前略)a traversという語は、ある面や状態を一方の端からもう一方へと移動することを示す前置詞句であるが(ロベール仏語辞典)、この場合は視線が、目の前の木の葉むらを通して向こう側も移動して、川と川辺の景色にいたることを示す。(中略)
すでに述べたように、ヨーロッパのものの見方には、このa travers に相当するものは存在しない。それは、日本の美術表現、いやさらに言えば日本人のものの見方に深く根づいているものである。しかし、実際には表現についてはほとんど美術史的な考察がなされてこなかったのが現状である。ようやく近年において田中英二によって、<すだれ効果>という名称が与えられた〔5〕。田中は、<すだれ効果>が日本の伝統表現の一つであるとし、「源氏物語絵巻」などにおいて対象を簾の奥に見、秋草を重層的に表現した例を指摘しつつも、江戸時代の美術、たとえば浮世絵や酒井抱一の作品にその成熟した例を見ている。すなわち、対象も前に簾や草を置くことによって、その向こう側に描かれたものをいっそう引き立てるという、「いき」の美学がこの<すだれ効果>を支えていると指摘している。
どうやら、視線を手前から奥に向かわせるような構図は日本独特だったようで、しかも、<すだれ効果>と名づけられたのは最近のようです。
以下、なぜモネはこの構図を採るにいたったのかについて考察が続きますが、本記事が長くなりましたので、その2.の(2)に続くことにします。