<マティス展>東京都美術館:これでよいのか?人生最高傑作のヴァンス礼拝堂;なぜデッサンは日本化するのか、一発描きと抽象化(その2)
前回の記事その1から続きます(最終です。長文になります)。
2巡目の最後に予想外の事実が待っていた!
前回の記事その1では、私の美術展の見方、巡り方について紹介しました。
それは、最初から一つ一つ丁寧に見ていくのではなく、一巡目は人だかりの背後から素早く作品を見て全体像を把握し、同時に問題意識を整理しながらこれはという作品の目星をつけます。2巡目は逆回りに見ながら最初にもどり、今度は目星をつけた作品を中心に最後までじっくりと鑑賞するというやり方です。
さて、実は今回はいつもと違い、第一巡目を終えて2巡目に入ったのではなく、一巡目の一番最後の部屋を見ることが出来なかったのです。
それは、マティスが内外装の設計、制作を手掛けたロザリオ礼拝堂の4K映像を上映する部屋です。礼拝堂の内外装の習作展示の部屋から入るのですが、入り口まで人が立っていて入れません。案内記事に「マティス最高傑作」という文字が目に入りました。ですから是非とも見なければと思ったのですが、あきらめて2巡目でみることにしたのです。
2巡目では、幸い入れ替え時期で、無事最前席に座ることが出来ました。そこで「最高傑作」の上映開始を待ったという訳です。
ちなみに、礼拝堂関連の習作の部屋がインスタグラムにありましたので下に示します(真ん中に見える遠景の線画は、礼拝堂のファサード上部に取り付ける装飾の習作模型です)。
この時点まで、私がヨーロッパの礼拝堂に思い描くイメージは次のようなものです(図10)。
ヨーロッパの礼拝堂の規模は様々です。図の上段三例は大きな町の礼拝堂で、宗教画やステンドグラスはかなり立派です。一方、下段はヴァンスにある小さな礼拝堂の外観と内部です。田舎の村にある小さな礼拝堂は、簡素ですがそれでも典型的なキリスト教美術品で飾られています。規模は様々でも、中世から1000年以上も続く礼拝堂の内部の宗教的雰囲気は同じだと言ってよいでしょう。
ですから、いくらモダーンアートのマティスが内装を設計したとしても、上に示した西洋の長い伝統の雰囲気を残した作品ではないかと思っていました。
驚きの内部の様子
さて見終えた結果ですが、驚きの内容でした。(ロザリオ礼拝堂の撮影禁止の方針のためなのか、webではフリー画像が手に入りません。下にまず文字だけで内部の様子を描写します。)
以上が内部の様子ですが、やはり画像があった方がよいと思うので、フリーの写真ではなく動画を調べました。すると短時間で視聴できる3Dグラフィックスの動画が見つかりました。
礼拝堂の中の作品の配置と構成(線描とステンドグラス)を分かりやすく示しているだけでなく、マティス自身の言葉の引用があります。余裕があれば是非ご覧ください(5分程度です)。
率直な感想
それでは、以下が私の率直な感想です。
以上、少し否定的で疑問だらけの感想になりましたが、実は私自身はマティスの生い立ちおよび芸術的背景についてまったくの無知なのです。ですから美術展の出展作品を見ただけの感想はかなり的外れな可能性があると思います。
この「最高傑作」とされているロザリオ礼拝堂の内装についてこのままの否定的な感想で終わるのはよくないのではと思い、一般向けの情報をもとに確認してみました。
ロザリオ礼拝堂制作の背景調査と私見
1)宗教施設というよりもマティスの総合芸術作品だった
まずは「マティスの最高傑作」は誰が言ったのかについてです。答はすぐにわかりました。それはマティス本人が言った言葉です。
これでマティス本人が礼拝堂の成果についてどう評価していたのか分かります。
次に、どのようにしてマティスが内外装をこの作品を地元の人々が受け入れたのか、あるいはマティスはどのような姿勢で受け入れられるように制作したのかについてです。
2)モダーンアート専門家の見方
その前に現在のモダーンアート専門家がどう評価しているのか、それが分かる動画がありますので下に示します。
この動画は、前記事その1で紹介したBBCのマティスについてのドキュメンタリー番組のシリーズの一つで、ロザリオ礼拝堂に焦点を当てたものです。英語字幕があるので助かりますが、画質はよくありません。画質がよい同じ番組の動画(字幕なし)もあります。URLを下に挙げますので画質を重視する方はそちらでご覧ください。
プレゼンターのAlastair Sooke氏は、モダーンアートの専門家で、動画撮影当時、新進気鋭の美術ジャーナリスト、批評家として活躍されている方のようです(wikipedia)。ですから、専門家の意見として代表させてもよいのではと考えます。
さて、この番組の中で、彼がロザリオ礼拝堂の作品について視聴者に説明しているうちに、感極まってほぼ泣きそうになっている場面が出てきます。
このように感情的な姿を公衆に見せることは西欧人ではめったにないことです。
彼は作品そのものに感動しているというよりも、モダーンアートの専門家としてマティスが自らの芸術を生み出し発展させた軌跡を念頭に置き、幾多の健康上の危機(私生活の危機も含め)を乗り越え、80歳代になってもあくなき探求心と創造への強靭な芸術家魂を持ち続ける姿とそれを成し遂げたことに感動しているのです。
そのことは、下記の彼の語りから窺えます。そして重要なことは、マティスの作品制作への姿勢が語られていることです。
Sook氏は明らかに、芸術家個人としてのマティスが作品を創造する姿に感動しています。80歳になる老人が全身全霊を込めていることに。
そして、ステンドグラスが柔らかな光を通して床や白壁に優しい色を落としている光景を見て、私が気が付かなった「光という物質を使って制作している」ことを指摘しています。現場にいなければ分からない指摘です。
確かにマティスほど、身体的不自由の危機に見舞われても、都度新しい画材を見出し、前の画業を上回る作品を生み出し続けた人も珍しいと思います。Sook氏は「油絵具を捨てて」としか言っていませんが、正確には次のようになるでしょう。
さらに、私の前述の感想の中で指摘した、ステンドグラスの枠は逆光の中でマティスがこだわり続けた輪郭線となることも加えると、彼の芸術(彫刻は除く)を示すと次のようになります。
このような発展経緯を見ると、全礼拝堂を含めマティスが「僕史上最高傑作」と言ったことはあながち嘘ではなく、プロジェクトとしての規模の大きさや総合的、統合的作品を目指したマティスの意気込みを考えると最高傑作と言うのも無理はないでしょう。
3)マティスがこうありたい思う芸術作品とは
Sook氏の言葉の中に、もう一つ私が知らなかったマティスの制作姿勢が語られています。それは前述の字幕の中の次の言葉です。
この内容を裏付ける情報は無いかと調べると、マティス自身が制作姿勢についての言葉を残していることが分かりました。
4)マティスは「神」をどう考えていたのか
さて、次にロザリオ礼拝堂という宗教施設の観点に戻ります。私は感想の中で次にような疑問を述べました。
私の意識としては、「はたして、活きた宗教施設に現代アートの「最高傑作」が必要なのか?」 となります。
しかし宗教の観点では、Sook氏の動画では最後にわずかにマティスの神に関する言葉が出るだけで、創造物としての礼拝堂の作品が私たちの世界を変えるだろうとの予言で動画は静かに終わります。
すなわち、Sook氏はマティスの作品の創造性に関し、芸術家個人に対して感動しており、神(キリスト)や宗教的崇高性ではないのです。
マティス自身が神をどう考えているのか。Sook氏の語りからでは不十分なので、調べると次のマティス本人の自問自答が出てきました
なんという傲岸不遜、「神への感謝の気持ちは無い」と言い切っています。そして自分を「まったく恩知らず野郎」だとも言っています。
すなわち「確信犯」なのです。強烈な自負心です。ここには西欧美術が行きついた個人主義、芸術主義と理想的な芸術家の姿があるように思います。
さて、印象派の西洋美術の革新からマティスの時代はたかだか50年足らずです。一方、ビザンティン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと1400年の長きにわたって具象画を中心に、伝統的なキリスト教美術が聖堂・礼拝堂内部を飾ってきました。
私は、そのような時間的スパンで慣れしたしんだ人々はマティスの礼拝堂の単純化、抽象化された作品をさぞかし驚いただろうと思います。実際、ステンドグラスはまだよいとしても、あの子供が描いたような聖人や聖母子像は理解できたのでしょうか?
前述したマティスの「神」へのあの言葉を見れば、信徒の立場で考えることは無かったと思います。これまで通りまわりからどのような評価を受けるかは気にせず、自らの芸術を高めるために制作したのだと思います。
このあたりの事情は、革新的な芸術が社会にどう受け入れられるのか、現代アートは、何のためにあるのか、役に立つのか、など永遠に続く論争にもつながります。
マティスの礼拝堂は、この問題を考える上でよい例となりそうです。
そこで誰がどのような考えでマティスに依頼したのか、できあがったときの周囲の反応はどうだったのかを調べてみました。
5)マティスが礼拝堂を担当した経緯と人々の結果の評価
すると下記の動画の中に、マティスがチャペルを担当するまでの簡単な経緯とマティス自身が前述の神に対する言葉以上に具体的な、チャペルの作品制作に関する言葉がありましたので紹介します。
経緯は次のようなものです。
他の動画では、修道女の方からマティスに連絡をとったという話もあり、マティス本人からなのか、教会側からアプローチがあったのか不明です(ロザリオ礼拝堂の公式HPでは、修道女からマティスに持ちかけたとなっています)。ただ、マティスが資金も提供したということですからマティスが相当積極的だったことは確かでしょう。
上の動画の中のマティスの言葉を以下に紹介します。
まず、できあがったチャペルについての言葉です。
前節でも、マティスの言葉から強烈な芸術への信念が伺えましたが、ここでそれがよりはっきりしました。「すべての芸術は宗教的である。」
そして次のように続けます。
まさに、私が前節で推定したことがマティス本人の口から語られています。神がいるから宗教ではなく、芸術があっての宗教なのです。礼拝堂制作は信徒の立場で考えるのではなく、あくまで芸術中心です。しかも創造されなくてはならないのです。創造した作品は芸術でありイコール宗教なのだという訳です。
そして作品に接した人々が「思考が明晰になり。感情も軽くなり、精神的な高揚の環境として感じ、精神が軽くなる」ように作るというのは、チャペル制作の以前から、自分の作品制作について言っていたことと一致します。
最後に、「創造への愛が自分の唯一の宗教だ」と言っていますが、「作品を創造する私は神である」というようにも聞こえるのは言いすぎでしょうか。
6)チャペル完成直後の人びとの反応
それでは、完成前、完成後の人びとの反応はどうだったのでしょうか?
丁寧に調べれば出てくると思うのですが。以上で引用した動画の範囲ではほとんど言及されません。
現時点で分かったことを下にまとめます。
というものです。どちらもある程度予想できる内容で、後者ではマティス自身の反論もあり、自然に収まったようです。
ただ、私がこの記事の冒頭で予想したように、伝統的な宗教美術を見なれた人は相当驚いたり反発することは容易に予想できます。
実際、現代に宗教施設を作った場合を見てみると、ギリシャのパナギア・フィロティッサ聖堂の例を見つけました(下記、著書の191頁)。
それは18世紀に建てられた礼拝堂の壁画を新たに設けるために村としてアテネの画家に依頼し、1976年に描かれたものです。1970年代というモダーンアートが十分に社会に受け入れられている時代にも関わらず、後期ビザンティン様式で描かれ、寄進者たちの名前も壁に描かれているのだそうです。
村人達の立場を考えると、彼らが現代アートを選ばず、伝統的な宗教美術様式を選び、寄進者達の名前を出すというあり方は、現世宗教的な実情にあっており、自然だと思うのです。それでは、なぜマティスの現代アートは可能だったのでしょうか?
7)なぜマティスの礼拝堂は受け入れられたのか
ここでロザリオ礼拝堂から離れて、マティスの芸術がフランスの社会にどれだけ受け入れられていたのかどうかを確かめます。私の手に余る調査テーマですが、これまでに確認した情報の範囲で考えてみます。
まず、フォービズム以降マティスはフランス国内で著名人とはなっても、どうやって生計を立てたのかを見ると、国内では必ずしも作品が売れていなかったようなのです。むしろ、アメリカ人夫妻の収集家とロシアの実業家の存在があるからこそ生活できたというのが実情だとされています。要するに、国内では新聞の批評欄で批評家から馬鹿にされ、嘲笑され、そのため一般大衆からも嘲笑される存在であることが実態で、作品を購入するほどの理解者はむしろ国外にいたということです。
そういえば西洋美術の大変革の端緒となった印象主義の作品も、アメリカが認めたことが大きかったことも思い出されます。日本美術を考えても、ジャポニスムの発端となった日本の浮世絵や、明治以降の新版画、さらに禅画も海外が先に認めてから日本で認められるという同じ経緯をたどっています。どうやら自国は自身の芸術の革新性を評価できないようです。
それでは、マティスはなぜ南仏で受け入れられたのか? 動画を検索しているうちに、私が知らない事実が出てきました。
それは、あのピカソもシャガールも、マティスのごく近くの街に住んでいたというのです。三人の現代アートの巨匠が同じ地域に住んでいたとは!
このことは西洋美術愛好家にとって周知のことかもしれませんが、私には初耳でした。そして、シャガールの作品が南仏のサント・ロズリン礼拝堂に飾られている事実も含め、この南仏のニース郊外は特殊な事情がありそうです。
その手掛かりとして、上に述べたシャガールの礼拝堂の作品に関連するある論文が見つかりました。それは、西南学院大学博物館学芸研究員、宮川由衣氏の、「M・シャガールによるカルヴェール礼拝堂の装飾構想―〈聖書のメッセージ〉連作における有機的構造をめぐって―」と題された論文です。
著者は、冒頭で1950年前後にフランスではアンリ・マティス、フェルナン・レジェ、ジャン・バゼル、ル・コルビジェらモダニズムの芸術家が関わった教会施設が同時的に誕生したこと、そしてマルク・シャガールもヴァンスのカルヴェール礼拝堂を飾る壁画17枚を描くプロジェクトを始めたことを述べ、その背景を次のように紹介しています。
ル・コルビジェがロンシャン礼拝堂を設計したことは記憶の片隅にありましたが、同時期にこれだけ多数の芸術家が教会施設に関わっていたとは全く知りませんでした。驚きです。なるほど、上述の背景を知ると納得できます。
しかし、あくまでそれは教会側が起こした運動であり、依然として信徒の人々がどう感じたのかは不明のままです。
以上、私の感想に対する裏付け調査から言えるのは、単に実物を見ただけの鑑賞だけでは済まない作品があることが分かったことです。今回のマティスの礼拝堂については、やはりその時代の政治、経済、文化(哲学、宗教)背景を頭に入れないと見当違いの考えを導き出すことになることを学びました。その反省とともにマティス展の感想を終えることにします。
最後に:ドラッカーの水墨画記事に寄せて
ただのフォーヴィズム時代の輪郭線を確認しにマティス展に行っただけなのに、思いがけず記事が長くなりました。
もし最後まで読んでいただけたのなら、よくもまあこのような冗長な文章を読んでいただいたと申し訳なさを感じると同時に感謝を申し上げたいと思います。
これだけ長くなるとは、私自身もまったく予定していなかったことです。書いていけばいくほど、新たに調べることが出て長くなってしまったのが実情です。
なぜなら、このマティス展で新たに浮かんだ次の三つの問題意識が、すでに投稿したピーター・ドラッカーの水墨画についての記事の内容と一つ一つ対応するからです。
この場では以上について詳しく説明することはいたしません。ご関心のある方は、末尾の(参考)に示すドラッカーの記事を読んでいただければと思います。
ただ最後に、ロザリオ礼拝堂の壁画について一言述べて終わりにしたいと思います。
本文では、私はその壁画を「一見子供が描いたかのような」とひどい形容をしました。それは、信徒の人びとが最初に見たならばそう思うのではないかと推測した言葉です。
それならば、私はどう思っているのかと問われると、正直言って最初はあまり評価していませんでした。なぜなら、あの壁画をペン画としてみると、どうしても水墨画と比べてしまうからです。
線にまったく勢いがありません。そして白壁に対する線の使い方、すなわち「余白」のあり方としてみると、絵の空間構成は圧倒的に水墨画の方が優れています。
しかし落ち着いて考えると、マティスは原画を自宅の壁に3-4mほどもありそうな長い釣り竿の先に筆をつけて描いたのです。線に勢いがないのは当たり前です。
ところがある動画の中で、ロザリオ礼拝堂に併設の展示室に多量の壁画用の習作が展示されているのを見ました。ほとんどが、30cm四方の大きさの素描です。その線は伸び伸びとして自由で、マティスがいつもそうであるように、一作ごとに試行錯誤を繰り返しており、その姿勢にマチスの凄みを感じます。
ですから、あの絵を単に素描の延長と考えるのは間違いです。むしろピカソの絵と同じでモダーン・アートの行きついた先の造形として見なければいけないと思います。そうやってあの聖人像や聖母子像をじっと見ていると、その背後に1000年前のビザンティン美術が見えてきました。それはあくまで私の想像なのですが、素朴で平面的なビザンティン美術の人物像をどんどん単純化、抽象化していくとマティスの絵になるような気がしてなりません。
ですから、鑑賞する側としては、いきなりあの絵を見てもピンとこないはずです。中世美術、ルネサンスから現代絵画に至る絵画の作品を知ったうえで現代アートとして行きついた作品として見るべきでしょう。
さて、それでは宗教美術の観点からするとどうでしょうか。ある意味ではドラッカーが答えを出しています。
西欧の知識人であるドラッカーは、20世紀の西欧の哲学および絵画(表現主義)は行き詰まったとし、自身は室町水墨画、さらには禅画、文人画に精神的な支柱を求めました。
マティスの絵は純粋芸術作品として見るのならよいのですが、人々の精神を救う宗教画として見るのなら、白隠の禅画の方が勝ると私は思います。
なぜなら、マティスの作品はあまりにも芸術家の立場を主張しています。一方、白隠は自身は禅僧であること以外に画家、芸術家とはまったく考えてもいません。ドラッカーが言うように、禅僧により描かれた禅画は苦悩への戦いを示す絵画であり、その絵には精神の究極的な勝利が存在するからです。
(参考:ドラッカーの記事)
1)その1
2)その2
3)その3
4)その4
5)その5
(おしまい)
前回の記事その1は下記をご覧ください。
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