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「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015):西洋の知は日本美術の独自性をトポロジカル空間にあると見た!(その3)

(その2)より続く。

 前回の記事、(その2)では、ドラッカー日本美術の収集を始めた初期の頃に購入した尾形光琳《蔦図(団扇)》を取り上げて、日本美術の特徴がデザイン性にあり、新たな空間の創造であること、それは西洋絵画の「幾何学」、中国絵画の「代数的(アルジェブラティック)」に対して「位相幾何学的(トポロジカル)」とみなせると指摘したことを述べました。

次にドラッカーは日本の「禅画」に話題を移します。

禅画(白隠)

 講演原稿では、このとき示したスライドは(白隠)とだけなっており、自身が所有の白隠の絵なのか、それとも他の代表的な白隠の絵を示したのかわかりません。  
 ここでは、ドラッカーが所有している絵を示したと仮定して、記事(その1)で引用した千葉美術館HPの写真の中から、白隠の「達磨図」を再掲載します。参考までに、同じくドラッカー所有の仙厓の「鍾馗図」も併せて示します。

(その1)の図から切り抜き再掲載

 ドラッカーはのっけから「禅画」について驚くべき発言をします。

 禅画は江戸の反体制文化でした。ガイジンが日本の美術を鑑賞するとき、最も大切な事柄の一つは、日本における禅画というものが20世紀ヨーロッパにおいて失敗した表現主義、それを成就したものとしてみることです。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「ガイジンが見た日本美術」 21頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 ドラッカーは「ガイジンが」と一応限定していますが、ここで述べられている「反体制文化」、「ヨーロッパで失敗した表現主義を成就したもの」という見方は普遍的な内容を含むと思うので、日本の専門家の言及があってしかるべきだと思います。
 しかしこれまで私が知る限り禅画の入門書や一般書では見たことがありません。実はドラッカーが提案した「トポロジカル」についても、同じことが云えます。

 なぜなのか、この点についてはこの場所は適当でないので最後に章を改め考えてみたいと思います。

 さて、ドラッカーは冒頭の発言に対して次のような事実と補足の説明を示します。

■自分が日本に来た頃は誰も「禅画」のことを話題にしていなかったし、芸術とはみなされておらず、芸術とみなしたのはむしろ西洋だった。
■禅画を最初に収集したのは西洋人だった。
■禅画は20世紀の西欧人にとって表現主義の完成形であり、ヨーロッパの表現主義よりも偉大な成果。
■ムンクに始まりオーストリアの表現主義者によって第一次世界大戦前後に頂点に達した表現主義は反体制文化だった。それは19世紀物質主義への対抗と世界大戦への恐怖に対する反抗である。
■同様に禅画は江戸時代の物質主義に反抗するものである。それらは精神性の欠如、官僚的な合理主義者への反抗でもあった。

  ドラッカーによれば、西欧人から見れば禅画表現主義の完成形であり、さらに優れてもいるというのですが、その理由を下に直接引用します。

ヨーロッパの20世紀の表現主義の反体制文化、その耐え難い不安と苦悩信仰の全くの欠如の、精神性の不在を示しています。しかしながら、禅画は絶望を超克する信仰の勝利でありました。禅画の大家たちは、みな長い精神的苦悩と絶望の帰還を体験して、その精神的な苦悩を克服し、脱俗と精神的な充足を確信した後、絵筆を執ったのです。優れた禅画にはまだその苦悩のあとがあります。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「ガイジンが見た日本美術」 21頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 いかがでしょうか。これまでに比べて、かなり熱のこもった語り口だと感じられませんか?

 要は、西欧の表現主義との違いは信仰の有無にあり、禅画には信仰精神性が存在すると言っているだけなのですが、所有している禅画を自宅の壁に掛けて飽かず眺めた時のドラッカーの精神的高揚を感じる語り口です。

 一般に信仰心が薄いと言われる日本人としては、ドラッカーの精神的高揚はピンとこない部分もあるのですが、戦前から欧米人を中心に「ZEN」に惹かれる知識人が多いことと関連するように思います。

 これは、次に述べる日本の山水画収集つながるドラッカーの精神的背景だと思われます。

 なお、禅画については、次の言葉でしめくくっています。ここにはドラッカー個人の気持ちがさらにあふれ出ているように思います。

 私が若い頃、印象主義者は見せようとし、表現主義者は知らしめようとすると言われたものです。確かにこのことは禅画についても言えることです。禅画は知らせ、体験させようとします。体験させてくれるのは深い精神的な真実であり、経験であります。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「ガイジンが見た日本美術」 21頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

如水宗淵《柳堤山水図》

 いよいよ、ドラッカーが愛する室町時代山水画の話に移ります。

(その1)の図から切り抜き再掲載
ドラッカー所有の山水画

 実はドラッカーは、自身が勤める大学で日本美術セミナーを長年続けており、ある時、足利時代山水画を壁に掛けた時に、一人の優秀な学生が「絵につかまってしまい抜け出せません」と冗談ではなく大真面目に感想を述べたエピソードを引き合いに出して、日本山水画の特徴の述べます。

 それでいて日本の山水画には違うところがあります。西洋の風景画は眺めるためのもので全てを外に閉め出す額縁の中にあります。観る人は、風景の外側にいてけっして中にははいれません
 中国の水墨画も、何者をもその中に入れようとしません。観る者に対して閉ざされていています。いわば観る人は人間世界に在り、山水は自然にあるからです。その意味では、中国の山水画には全く入ることができないのです。しかし、日本の山水画は、観る者を招き入れます。それどころか入ることを望んでいて、そこには観る者の場所が用意され、身を委ねるほど、ますます深くその世界に入り込むことを可能にしています。やがて、そこからもう出られないことに気づきます。観る者は画の一部分に同化しているのです。
 

ピーター・F・ドラッカー 講演録「ガイジンが見た日本美術」 21頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

  ここでもドラッカーは、記事(その2)で、牧谿の「柿図」を引き合いに出して述べたときの様に、西洋絵画中国絵画と比較しつつ日本絵画の特徴を浮かび上がらせています。
 西洋絵画中国絵画は観る者を中に入らせないのに対し、日本絵画は入り込むだけでなく絵に同化さえさせてしまうというのです。

 ドラッカーはさらに具体的な例を示します。西洋絵画の場合、自然との関わり持つものはほとんどなく、人間の営みを扱っているとしてフランドル派の風景画を例に示します。また、中国の山水画もいくつもの例外を除いて人間を描いていないと述べ、例として日本人に強い影響を与えた元時代の画家、倪瓚の絵を取り上げます。
 ドラッカーによれば倪瓚人物を全く異質で相容れないものとして山水画には描いていないのに、倪瓚に倣って画風を忠実に写した日本の山水画では人物を描いていると違いを述べます。従って倪瓚の山水画自然が荒涼としているのに対し、日本の山水画自然は人間の住む環境として描かれ、人は自然の一部になっていると指摘して、日本の山水画の特徴を説明します。

参考までに、倪瓚の山水画の例を下に示します。

出典:共にwikimedia commons, public domain

 この西洋絵画中国絵画の比較による日本の絵画の特徴についての考察から、ドラッカー地球環境問題にまで言い及びます。

(前略)西洋人は自然を人間に役立てるものと考えているのです。このような見方は、自然を破壊する道につながるものであります。中国人は自然を人間から切り離された存在、すなわち人間とは異なった領域、純粋で原初的であり、堕落し汚れた人間世界とは対称(ママ)的なものと考えています。しかし、ここでも人間が自然に踏み込むやいなや、自然は破壊されてしまいます。日本の山水画家は、人は自然の中に生き、自然は人ぬきでは完全ではないとしています。今流の言葉で言えば、日本の画家は自然と健全に関わっているということがいえるでしょう。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「ガイジンが見た日本美術」 22頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 1960年代にすでに今日の知識社会起業家精神の時代、グローバル社会の到来を予言していたドラッカーは、単なる「経営学者」の枠を超えて、社会全体、地球全体まで視野に入れ、未来の姿を考える「社会生態学者」として、絵画もその考察対象であり、日本人の自然との関わりに大いに関心を抱いたと思われます。

野々村仁清《水差》

ファイン・アーツ工芸

 講演の最後に、絵画ではなく工芸品について日本美術の重要な特徴に触れます。

 最初に、西欧社会ではFine Arts とその作品を作るFine Artsts はどんなに洗練され美術的であっても職人とは厳密な一線が引かれているとし、中国でも工芸家、職人は非常に低い地位で、文人画家は生活のために絵を描いた人ではないと指摘します。

 日本人は、この中国流の考え方を消化しようと努力し、巧みに取り入れることに成功したことは事実だけれど、問題はそこではないというのです。

(前略)問題はむしろ”Fine Arts”と職人との間に一線を画さなかったことにあるのです。(中略)西洋や中国で考えられているように、日本では道具を芸術の範囲外のものとして考えていません。偉大な陶工は偉大な芸術家であり、偉大な刀鍛冶もまた偉大な芸術家でありました。(中略)デザインすることの日本人の才能は、日本の文化生活にしみわたっていました。日本の道具類は、機能的にも造形的にもすぐれたデザインを見せておりまして、西洋や中国の道具類とは全く異なっています。(中略)この伝統が、いつ頃
まで遡るかは私にはわかりませんが、恐らく足利時代には確立されていたと思われます。
 この背景となるものが、社会的秩序によるものか、または芸術的あるいは宗教的な伝統によるものかわかりません。しかし、これこそ日本文化の伝統の特徴のひとつであると確信しております。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「ガイジンが見た日本美術」 22頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 本講演の題名が「ガイジンの見た日本美術」ですから、絵画だけでなく、広く工芸品にまで話を拡げているのは当然のことです。

 実は、一連の水墨画の記事を書く動機は「水墨画をどのように見たらよいか、日本の水墨山水は本当に独自なのか」という私の問題意識に関連して書き始めているので、水墨画に直接関係しない最後のこの部分を最初は省略しようと考えていました。

 しかし記事を書くうちに、ドラッカーが言うまでもなく幕末、明治初期に訪れた西洋人が例外なく指摘した、日本人の日常生活のあらゆる場に浸透している美意識の問題は、水墨画を含むすべての日本美術に関わるという意味で、欧米や中国と比べる上でかなり大きな問題ではないかと思い直しました。このシリーズの最後で、日本の水墨画との関連であらためて述べたいと思います。

 なお、中間まとめとして、本講演でドラッカーが指摘した日本美術の特徴の一覧を下記に記します。

光琳の扇面は「デザインー意匠」である。
■日本の余白を構築するデザインはトポロジカル、すなわち位相幾何学的である。
■禅画は江戸の反体制文化である。
■西洋人が禅画を見出し、禅画は20世紀ヨーロッパにおいて失敗した表現主義を成就したものとガイジンは考える。
■禅画は知らせ、深い精神的真実と経験を体験させようとする。
■日本の山水画は観る者を招き入れる。観る者の場所が用意され、深くその世界に入り込むことが出来る。
■日本の山水画では人物を描いており、人物がいない倪瓚の山水画の自然が荒涼としているのに対し、日本の山水画の自然は人間の住む環境として描かれ、人は自然の一部になっている。
■西洋や中国と違い日本はFine Artstと職人の間に一線を画さなかった。日本人のデザインする才能は文化生活に染みわたっている。それは足利時代から続いており、日本文化の伝統の特徴の一つである。

(その4)に続く。

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