久々の馬事公苑、一抹の寂しさと次世代への希望を感じてスケッチしました
はじめに
東京都世田谷区のほぼ真中に位置する「JRA馬事公苑」は、乗馬をする方ならばご存じかもしれませんが、一般にはなじみがないところだと思います。
もともと戦前まぼろしに終わった第12回オリンピック東京大会がここで行われるはずだったのですが、戦後1964年に行われた第18回東京オリンピックの馬術競技大会がこの場所で行われました。
そして、2020年の東京オリンピック大会(実施は2021年)においても競技の開催地となったのです。ですからオリンピックにかなりゆかりのある場所と言えるでしょう。
JRA(日本中央競馬会)の名前を冠していますが、普段は地域住民にも開かれており、無料で苑内を散策することができます。
馬事公苑の近くに越してきて以来、長年この公苑の散策を楽しんできました。ところが東京オリンピック2020のために全面改装するために、2017年から入れなくなったのです。もちろんオリンピックはコロナ渦のために無観客での実施です。
昨年11月にようやく一般人が入れることになり、しばらく行くことも忘れていたのですが、近くの病院の予約時間にまだ余裕があったので、出かけることにしました。実に8年ぶりの事です。
いざ入苑
馬事公苑の正門には、北側を走る世田谷通りから「けやき広場」を通り行くことになります。
約100mあるかないかのけやき並木ですが、世田谷区の「せたがや百景」にも選ばれており、四季いつでもその風景を楽しむことが出来ます。
実は、世田谷通りを挟んで、南と北に東京農大のキャンパスが広がっており、コロナ以前はキャンパスの中も出入りすることができました。
馬事公苑の正門に向かって「けやき並木」を進むと、右手に、東京農大の施設「食と農の博物館」が見えてきます。
「食」と「農」ですから、私たちの生活に密接に関連したものばかりで大変興味深い展示内容です。入館料は無料です。
ちなみに建物は隈研吾氏の設計です。また、入り口に、ド派手な色の鶏の巨像が立っています。説明版によるとタイのアユタヤ王朝の王様の名前がついた「ナレースワン大王鶏」となっているのですが、文字が不鮮明でいわれがよくわかりません。
ただ、この原色の巨大な像はあまりにも周りの落ち着いた景観とそぐわないので、設置当時反対がでなかったのか気になります。
さて、正門に到着です。
この時点で、まったく以前の面影はまったくなく、すっかり様変わりしていました。
以前の正門も戦後につくられたものだと思うのですが、それでも戦前の匂いがまだ残っていました。しかし今回の改装では、東側にあらたに門を拡張し、全体としてあっけらかんとした広々とした景観にかわっていました。
それでは中に入ります。
激変した苑内
まず、正門から南へ通ずる大通りがあるのですが、それにしても左に立つ近代的な建物と右側にあった光景も依然とはまったく違います。園内の案内図を確認しました。
大きな区画自体は変わっていないのですが、それぞれの区画内の施設が大きく変わっていました。すべてを見終わった後の感想を以下にまとめます。
具体的に以下スケッチも含めて紹介します。
メインオフィス、メインアリーナ
以下にメインオフィスとメインアリーナの写真を示します。
上の写真にはない、カフェ(1階)や保育部屋、2階には、レストランもあり、もしオリンピックの観戦客がいたならばさぞかしにぎわったことでしょう。
カフェの前からメインアリーナ方向に向いて描いたスケッチを下に示します。
女性が座っているベンチは、一本の巨木から作られています。それで気付いたのですが、苑内には一本の木から作られた部材や家具がやたらに多いのです。巨木が無くなったことを嘆く私のような者に対する言い訳なのか、以下に示す立て看板がありました。
とは言え、伐採した木は膨大だと思うので活用した部分は僅かな量でしょう。
サクラ、サクラ! 「彩のこみち」
さて正門から入ってすぐ左手に、以下のような桜の花の案内がありました。
え!? こんなにたくさんの種類? と少々驚きました。以前は種類が少なかったからです。3月咲く花も12種類もあることになっています。
そこでサクラの花を探しながら苑内をめぐることにしました。
結論から言えば、見つけたのは3種類、「彩のこみち」と「原っぱ広場」付近だけです。
そして、植えられている桜はどれも若木ばかりです。
どうやら案内板にある桜を鑑賞できる日はかなり先になりそうです。
子供で一杯の広場とアリーナ:はらっぱ広場、子供広場、アリーナ・Bスクエア
実はこの日高齢者は、私一人でした。その代わり、苑内は大勢の子供たちでにぎわっています。以前は高齢者が中心でした。
冒頭に、何が変わったのかまとめましたが、何よりも子供たちの存在が大きくなったことが最大の変化でしょう。
案の定、新しくできたアリーナ(Bスクエア)でお馬さんが練習しているところに、保育園の子供たちが鈴なりです。練習している騎手も馬を子供たちに近づけてサービスしています(下のスケッチをご覧ください)
武蔵野自然林
唯一変わらなかったのは、武蔵野自然林です。
とはいえ、以前は、周囲の大きな公園の樹木の中に、武蔵野の自然林があり、しっくりと収まっていたのが、周囲が露わになって、どこか浮いています。中を歩いても落着かない気持ちでした。
終りに
以上、8年ぶりに訪れた馬事公苑が大きく変わってしまったことを紹介しました。
かつての面影がまったくなく、子供たちが主役の苑内を見て、なぜか次の言葉が浮かんできました。
おそらく何十年ぶりかで思い出した気がします。死語に近いかもしれません。マッカーサー元帥の言葉として覚えていますが、1980年代後半に佐藤愛子さんが「老兵は死なず」というエッセイ本を出し評判になったことも思い出しました。
これまで、景観の変化で高齢者として自覚させられることはあまりなかったのですが、どうやら思い出のある光景が根こそぎ無くなると、我が年齢を自覚させられるようです。
今回の馬事公苑の変化がそれにあたります。
私は街歩きスケッチを通じて、スケッチした場所の景観の歴史的な変化を思い起こすのですが、西洋の街と違い日本の都市の場合、ある人が生きている間に、災害や文明の変化により街の状態が元の状態が無くなるほど変化することが多く、それぞれの時代の人が過去を懐かしむことを繰り返しているように思います。
東京で言えば、明治人が江戸を、昭和初期の人が大震災以前の明治東京を、戦後の人が震災以後大空襲以前の大正時代、昭和初期の東京を、バブル経済破綻後の人が高度成長期の昭和を懐かしむように。
正直に言うと、馬事公苑のあまりの変化を見た私が「さては改装設計者は、はじめから高齢者を排除する意図をもって設計したな」と僻んだ思いを持ったことは事実です。
しかし冷静に考えれば、おそらく1964年の東京オリンピックで実施できた施設が、2020年の馬術競技を行うにはまったく手狭だったことが本当の理由でしょう。実際、日本庭園やこれまでの樹木をつぶさなければ、多数のアリーナを確保できなかったわけですから。
かつての落ち着いた雰囲気が無くなったのは残念ですが、その代わり次の世代を担う子供たちが集う姿を見るのは別のよろこびです。
今後は、馬術大会を訪れる人々や、子供たちの姿をスケッチできる機会が増えたと考えれば、新しい気持ちで馬事公苑を訪れることができそうです。
(おしまい)
前回の記事は下記をご覧ください。