<ゴッホの手紙 上中下、硲 伊之助訳、岩波文庫>(補遺)日本絵画の影響はここにも! 平原(畑)への愛、すだれ効果、雨、余白について。
はじめに
表題の感想文は(その1)、(その2)、(その3)で完結しましたが、(その3)の最後で、「まだいくつか書き残したことがあり、別の機会に紹介する」旨を述べました。
今回、それらを補遺としてまとめて書くことにします。
内容のまとめ
最初にこの補遺でお伝えしたい結論を述べます。
日本絵画のゴッホへの影響の一つにモチーフがある。その中の一つが、広々とした平野および畑の俯瞰図である。畑の風景を描いた画家は他にもいるが、難度が高い畑そのものを主役として描いたのはゴッホがはじめてではないか。また日本の絵が鳥瞰、俯瞰的であることを意識して描いた一人かもしれない。
広重や北斎の版画で樹木を真ん中に大きく据えて描く構図がゴッホにも見られるが、以前モネの感想文で紹介した「すだれ効果」も多用していることが分かった。
西洋絵画では描かれない雨の風景にチャレンジしている。素描および油彩があるが、成功しているかどうかは微妙である。
日本画で鍵となる「余白」はゴッホの素描に一時現れたが、その後は消え、逆に空までも線で埋め尽くされるようになった。
日本絵画のゴッホへの影響という意味では共通していますが、相互には関連しませんので、一つ一つ独立の章としてお読みください。
(1)ゴッホの「平原(畑)」愛は日本絵画の影響か?
「ゴッホの手紙」の感想文を書くにあたって、あらためてゴッホの素描と油彩の全作品を見直しました。多様なモティーフの中で気になったのは、空間の拡がりを意識した平原(畑)の風景画の多さです。
絵画仲間を待つ間、アルルを歩き回って絵を描いたのですから畑の絵が多くなるのは当たり前かもしれませんが、「ゴッホの手紙」の中では、かなり熱い思いで「広々とした平原」愛を語っています。
上の引用文で説明しているクローの丘陵の絵は、下に示す素描です。
また、(その2)で紹介した、別のクローの畑の絵も再掲載します。
上記手紙の引用文を読むと日本の絵画を目標としていることは明らかです。作品について、一旦は「あんまり日本的な感じがしないはずだ。」としますが、「実際には今まで描いたものの中では一番日本らしいものだ」と言い切っています。
それでは、どこが一番日本的なのでしょうか?
北斎、広重の浮世絵風景空間と比べてみる
この本の感想文シリーズは書評ではなく「線スケッチの観点」で見ることにあります。それでは上記ゴッホの言葉をこの観点で考えてみましょう。
私自身、ゼロから絵(線スケッチ)を学び始めたのでよくわかるのですが、初歩の段階で生徒さんが躓くのは「上下・左右・奥行きの空間の拡がり」の描写と「中遠近の樹木(葉)」の描写です。
空間の拡がりの描写の観点で北斎、広重の浮世絵版画を見ると、実に見事な空間描写がなされています。おそらく、ゴッホは北斎、広重のような風景空間の描写を意識しているのでしょう。
しかし線遠近法の観点で広重、北斎の風景画の空間表現を見ると、絵を描くための参考にしようと思う方はおそらく戸惑うことになります。
なぜなら、作者の目線の高さが、地面に立って描いている場面がほとんどないからです。
北斎、広重の風景版画を目を通してみましたが、たいていの場合目線は、2階の高さ(4-5m)か、さらに上の小鳥が飛ぶ高さ(数十m)、さらには広重の江戸名所百景・深川洲崎十万坪のように鷲が飛ぶ高さ(100m以上)から描いています。
北斎、広重が広々とした風景を描く場合、通常は水(海、河川)、森、山を併せて描くことが多く、田畑、草原のみの光景を描いた例は少ないのですが、下に実例を示します。
まさに、ゴッホが云う鳥瞰図です(上の例では俯瞰図と云った方が良いかもしれません)。
なおゴッホの作品は丘陵の上から描いたと本人が言っているので、現場で目で見たままの写生をしたのでしょう。
しかし北斎や広重の場合、本人が仮に現場で描いたとしても高い目線からの光景は写生ではなく、すべて想像して描くしかありません。
これでは、初心者は「絵を描くのに参考にしてください」と言われても無理だというのがお分かりでしょう。
もう一つの日本的絵画についての指摘、「肉眼では見えないほどの農夫、麦畑の間を走る小さな汽車。そこにすべての生活がある」についてです。
これは、上で紹介した北斎、広重の風景画を見れば一目で分かる特徴です。「すべての生活がある」、すなわち、広々とした空間の中には、作業する人物群、家畜、家屋、道具・・・などが近景、中景に描き込まれています。
確かジャポニスムが西洋絵画に与えた影響の一つに、宗教(寓意)や王侯貴族、パトロンのためではなく風景の中に市井の人々と生活を描き込んだことがあると習った記憶があります。
ゴッホの言葉もそのことを指しているのでしょう。
しかし、ここで気になったのは、ゴッホの次の言葉です。
実は、アルルに移住後、広々とした畑の空間を描いた数はかなりの枚数になります。その多くは、手前(近景に)および中景に働く人物、家屋、樹木(果樹)、花畑、麦わらを配置した、北斎と広重の風景画と同じ構図です。
しかし私が注目したのは、ゴッホは畑そのものを描いている作品があることです。気のせいか晩年に向けてそれが多くなっていく気がするのです。
北斎や広重には、私が調べた限り、原野や田畑が主役の絵はありません。
実際にゴッホが描いた畑を見てみましょう。(下図)
ゴッホと言えば「ひまわり」。同じく有名なのは亡くなる直前に描いた「カラスが群れ飛ぶ麦畑」を思い浮かべるでしょう。(油彩例(1)の右上の作品。)
しかし、注目していただきたいのは、上に示した油彩および素描では、畑や草原そのものが、近景の詳細描写から、中景、遠景まで、ほとんど線遠近法を使わずに、植物の描写だけで空間の奥行きを表現していることです。
素描の植物の描線、油彩の筆触からは、「広々とした原野の魅力に強くひかれた」ゴッホの気持ちが伝わってきます。
線スケッチの立場からは、畑の植物の線描だけで奥行きを表現するのは難しい描き方です。
実際、「ゴッホの手紙」の中で「ラ・クローの鳥瞰図」を描いた時の状況は、冒頭の手紙の引用文に続けて次のように述べています。
この文のあと、別の日に現場に現れた絵が素人の兵士がこの景色は素晴らしいと言ったことを引き合いに出して、畑だけの広々とした平野の魅力、芸術とは何かを素人の方が分かっているとして難しいといった画家を非難しているのですが、私からすると「馬鹿者」呼ばわりされた画家に同情します。
実際に畑だけの茫漠たる景色をどう描いたらよいのか、プロの画家でさえ難しいと思うのは普通だと思うのです。
ゴッホはそれをやり遂げました。日本の絵を目指したのが、最後には日本人画家も描かなかった「広々とした畑、平野、原野が主役の絵」にたどり着いたのだと思います。
さて、結論らしきものが出たところでこの章を終えたいのですが、実はそれを言い切るには少し不安がありました。
というのは、この結論はすべてゴッホの手紙の言葉とゴッホの全作品を調べた上で導いたものなのです。
一方、西洋の風景画と云えば、戸外で描くようになった「バルビゾン派」の画家達がいるではありませんか。実際、ゴッホはミレーの「落穂拾い」に心酔していますし、人物の背後は広大な畑です。何らかの影響を受けているかもしれません。
さらに、印象派の著名な風景画家であるピサロが農村風景、広々とした畑の風景を描いている可能性があります。
そこで、念のためバルビゾン派の画家達とピサロの作品を調べることにしました。
バルビゾン派の画家達とピサロの風景画と比べてみる
1)下記に、バルビゾン派の画家達の描いた畑・草原風景の例を示します。
バルビゾン派の画家として、コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニーの7人の画家の作品を調べたところ、確かに広々とした農村風景を描いた例が見つかりました。しかし各画家の全作品の内、一例あるかないかで極めて稀な作品例となります。
しかも地平線の位置が、ルソーの一例を除いてすべて下方にあり、畑(草原)が主役の絵というよりは、空の雲の表情も合わせた風景画と考える方が妥当だと思います。
同じことが、ピサロの絵にも言えます(下図)。
バルビゾン派の画家に比べて、ここには示さなかった作品も入れれば、作品の数は多いです。見てすぐわかるのは、それぞれの作品の地平線の位置は低く、バルビゾン派の作品同様に畑が主役というよりは、空の雲の光景も含めた風景画といえるでしょう。
改めて章の初めに示したゴッホの一連の広々とした平原・畑の絵を見てください。すぐに気が付くのは、いずれの絵も地平線の高さがかなりの上部にあることです。これはバルビゾン派の画家やピサロの作品との決定的な違いです。
すなわちゴッホの眼は平原・畑自身に向かっており、畑の描写に心を砕いていると言えるでしょう。
以上から、畑そのものを主役として空間の拡がりを描写しようとしたのは他の画家には見られず、ゴッホ独自のモティーフではないかと考えます。
おまけ:私の線スケッチ作品
なお、私自身が広々とした畑が主役の空間を描いた例はほとんどなく、2年前に一度あります。それは、東京近郊では珍しい稲田を近景から遠景にかけて描いたものです。参考までに左に線描と右に透明水彩で彩色した作品を並べて示します。ペンと透明水彩で広々とした空間を感じていただければ幸いです。