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手の施しようがないくらい不幸な物語なのに、読後感が爽やかってのは一体なぜなんだって話。

「他人の不幸は蜜の味」なんて言うけれど、その他人が全く知らない人だったとしたら、蜜の味なんてしないのではないだろうか。
どこかでその他人を知っていて、少なからず面白くない存在だと思っているからこそ、その人の不幸は蜜の味がするのだ。
因果応報。そう思いたいから。

もしその他人が、無辜の、善良な、毎日を一生懸命ひたむきに生きている真面目な男だったとしたら、どうだろう。
何一つ落ち度がないにも関わらず、彼の身には次から次へと不幸がのしかかってくるのだ。しかも、彼がどんなに努力をしようと跳ねのけることが不可能なレベルで。

もうそれは蜜の味なんて少しもしないだろう。
むしろデス・ソースの味だ。
無常も無常、なんという理不尽!!!
この世には神も仏もいないのかよ!!!!!
と、何も言わずに不幸に耐える彼のかわりに、私は声を大にして怒りたい。
実際『イーサン・フロム』(イーディス・ウォートン 著 宮澤優樹 訳 白水Uブックス)を読みながら、何度心の中で叫んだかわからない。

この作品の主人公であるイーサン・フロムは、不幸に見舞われ続けているのだ。それも、何十年も。

舞台はマサチューセッツ州の架空の村、スタークフィールド。
そこでの冬は暗く厳しい。
一年のうち半分を雪に閉ざされた陸の孤島である。
産業もない。娯楽もない。
数少ない住民のほとんどが貧乏である。

そんな村の中でも、ぶっちぎりで貧乏なのがイーサンだ。
彼は足が不自由で、ろくに働くことができないのだ。
背を丸め、足を引きずり歩く「残骸のような」中年男のイーサンの姿に、語り手である旅行者の「私」は、興味を惹かれる。
この男の過去には、どんな影があるのだろう、と。

そうして、村の人々から様々な噂話をかき集め、「私」はイーサンの過去を紐解いていく・・・という体の小説なのだが。
(エミリ・ブロンテの『嵐が丘』に近い)

イーサンの過去は、まるで不幸の波状攻撃のよう。
「受難」という言葉がぴったりだ。
彼の人の良さ、忍耐力の強さを試しているかのように、哀しい出来事ばかりが降りかかる。

暗くて、貧しくて、救いがない毎日。
イーサンはそれに不平不満を一切もらさず、ただひたすらに耐え忍ぶ。
しかしその生活は、若く、人生に希望を抱こうとしていた青年イーサンの心を、完膚なきまでに打ち砕く。

ここまで書いてきて、なんという重苦しい小説なんだと驚く。
が、もっと驚くのはそんなメンタルブレーカーな展開ばかりなこの小説が、読後ちっとも暗い気分にさせない、ということなのだ。

おそらく、それはイーサンの人柄のせいだろう。
彼は、優しくて、純朴で、実直で、いやらしいところが全くないのだ。

めくるめく危機的状況下にあっても、彼は常に自分より他人を優先する。
誰かが困っているとなったら、自分を犠牲にすることを厭わない。
ほんの少しの愉しみを、心からありがたがる。
美しい景色を見て、素直に感動できる。
感謝の気持ちを決して忘れない。

ただひとつ、欠点があるとしたら。
他人の気持ちを尊重しすぎる、というところだろう。

イーサンの過去は、とても繊細な心理描写で綴られているのだが、あまりに他人の顔色ばかり窺っているので、心苦しくなってしまう。
けれども同時に、私はそういうイーサンに惹かれるのだ。

あー、わかるわかる、自分さえ我慢していれば万事うまくいくって考えちゃうんだよねぇ。そうやって一人耐えたとして、誰一人あなたの辛さはわかってくれないのよね。うんうん。わかる。すごく解る。
私も時々あなたみたいに「いい人」演じちゃうときあるもの。

心優しきイーサンが、必死に現実と折り合いをつけようと、心の中でもがく様子が描かれるわけなのだが、その姿はとても美しく思える。
自分の人生を優先させて、ほんの少し、冒険をしてみようと決心するまでの葛藤すら、私にはとても輝いてみえた。
悩むことは、もしかしたらとても美しい行為なのかもしれない。
そう、思えたのだ。

生きていると、それなりに辛いこと、苦しいことにぶち当たる。
そのたび、凹んだり、悩んだり、やけになってみたり、あーだこーだ愚痴ってみたりしている。
そうやって、なんとか毎日生きてる。
「いつも笑顔で、悩みなさそうでいいねー」
なんて言われながら、一人心の中で悶々としてる。
そういう自分も、客観的に見たら案外、美しいのかもしれない。
イーサンの姿をみて、ちょっとだけ自己肯定感があがった気がする。

これが、読後感爽やかな理由かもしれない。


ただ、このイーサンの過去。
これは真実ではない可能性が高い。
なぜなら、語り手の「私」はこう言っているのだ。

彼の物語という幻影をくみあげていったのです・・・

と。

語り手の「私」が、妄想で創り上げた理想のイーサンであるのかもしれない。

ま、どちらにせよ、イーサンのように生きることは美しい。
私はそう信じて、明日を生きていく。

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カタクリタマコ
最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。