
不安への処方箋②
【エッセイ】
いつもなんだか不安なワケとは。
“ いつもなんだか不安 ” の
もうひとつの理由。
それは感受性が豊かであることです。
そしてそのパワーのほとんどが
“ネガティブな方向に” 豊かだからです。
「心が繊細」=「傷付きやすい」
ではないのです。
あらゆる出来事・状況
他者から受け取った情報
(言葉・表情・態度・感情・波動など) を
自分がネガティブに加工・解釈するクセ
が自分の心を傷つけています。
傷つきやすい人
落ち込みやすい人
そして怒りっぽい人も
自分に対する否定的な観念が
自分自身を傷つけています。
・私の何がいけなかったのだろう
・何が間違ってたのだろう
・何が悪かったのだろう
・俺の何がダメだっていうんだ !💢
自分を責めたり自虐的な解釈です。
それゆえ相手の顔色が気になったり
(嫌な気分にさせなかったかなど)
自分の言動を振り返って
自分にダメ出しをする。
“人に嫌な思いをさせたかも”と自責して
更に
落ち込む自分・引きずる自分
考えすぎる自分・怒りっぽい自分
上手く出来ない自分など
“すぐにそうなってしまう自分”
のことも自責する。
二重に自責している状態で
逃げ場の無い苦悩に襲われる
これではとても苦しいです。
何故
感受性がネガティブな方向に
豊かになったのでしょうか?
そうなるのには何にでも
必ず理由があります。
それは自分が子供のころ常に誰かの
顔色を伺っていたからです。
その “誰か” とは「おかあさん」です。
お母さん (親) を
・喜ばせなくちゃいけない
・悲しませちゃいけない
・ガッカリさせちゃいけない
・怒らせちゃいけない
・幸せにしなくちゃいけない
親の機嫌が悪いことで
自分が嫌われてしまったら
子供は不安や恐怖を感じます。
なので常に母親の顔色や
ご機嫌を気にするようになる。
先回りして母親の感情を予測して
感じ取らなければなりません。
もし母親を嫌な気分にさせてしまったのならばそれは “自分のせい” になります。
母親に対して自分の感情を開きすぎて
母親と融合している状態です。
母親の、幸・不幸の責任は
自分にあると思い込んでいます。
その子は常にまわりに気を遣い
休まる暇がなく常に緊張状態で
心も体もこわばっています。
そしてこの「心のクセ」は
自然と他の人たちに対しても
そうするようになっていきます。
最初の人間関係である
親子の間での関わりかたは
その後のすべての人間関係に
投影されるからです。
ですがご安心ください(*´꒳`*)
クセだと分かればそれは
クセではなくなります。
もうあの頃のようにお母さん (親) の
顔色を気にしなくて大丈夫です。
お母さんを幸せに
できなくても大丈夫です。
自分が頑張らなくても
お母さんは自力で幸せになれます。
というか、お母さんは幸せです。
お母さんは自分で自分の
感情を選んで生きています。
では
勝手にこうなった自分が悪いのか?
自分の子供に気を遣わせた
母 (親) がいけないのか?
決してそんなことはありません。
まさか自分の子供が自分のご機嫌や
幸・不幸の責任まで背負ってるだなんてお母さんは夢にも思っていません。
親の立場、子の立場になってこの地上で “人間” を体験しているだけです。
💊
ちなみに人混みが嫌い・こわい
人と関わると疲れるなどの原因も
先ほど書いた子供時代の
親との関わりかたにあります。
他者の顔色やご機嫌を伺うセンサーが
常にオンになっている。
他者の顔色・感情を
敏感にキャッチできる。
他者の感情やその状況が
なんかまずかったかも (?) な場合
自分が上手にスムーズに完璧に
立ち振る舞う事が出来なかった場合
なんかそれは自分のせいになる。
他者と融合しやすい
(他者との健全な感情の境界線が引けない)
感受性がネガティブな方向に豊か
(ネガティブ思考)
他者の波動の影響をもろに受ける。
これではなんだか不安で
疲れるのも当然です(;´Д`)
ですがご安心ください(*´꒳`*)
他者の顔色・ご機嫌が気になる
他者の感情に振り回されるのは
小さいときからの「心のクセ」です。
無意識にやってるのが「クセ」です。
クセだと分かれば意識できるので
クセに気付いて対処できます。
感受性が豊かなことは
とても素晴らしいことです。
ネガティブ・ポジティブ
両方持ってていい。
ネガティブを打ち消すのではなくて
ポジティブ寄りに調整して
意識的にバランスをとる。
自分の豊かな感受性を
ポジティブな方向に使う。
他者の幸・不幸の責任は
(感情・ご機嫌・顔色・人生など)
自分には関係ありません。
他者の感情の責任まで
背負わなくても大丈夫です。
そうすることは
「冷たい」とか「無責任」
ではないのです。
ここでのポイントは他者の感情を気にして生きてきた自分を責めない事です。
それを “悪いこと” として捉えると
自責の感情が発生して心のクセが
なかなか直せなかったりします。
更に
「よーし、もう他人の事は一切
気にしないぞ!」とか
「二度と他人の感情に
振り回されるもんか!💢」など
他者に対してあえて、もしくは無意識に
恐れの気持ちによる防衛反応として
オラオラ虚勢を張ってしまう、または
ビクビクバリアをはってしまうなんて
ことになりかねません。
↑これだと間違えて
ヘンな方向に行ってしまう。
(私はヘンな方向に行って戻ってを何度も繰り返してる最中で今の自分があります)
だから自責はしないでただ自分の
心のクセを認めるだけで大丈夫です。
💊
自ら「自分は繊細なんだ」と
自分を型にはめる必要はありません。
繊細を非難・否定している
わけでは決してありません。
自分をカテゴライズするのなら
私自身ゴリゴリの繊細です。
ただ、「自分はこうなんだ」と
自分の性質から日常の心配事まで
自分が決めて そう思い込んだものには
意識が集中してエネルギーが拡大します
すると、やっぱそうなんだと感じる
世界を創造して体験することになる。
「繊細だから生きづらい」
のではありません。
感受性が豊かで
ネガティブな方向に全力だから
生きづらいのです。
私自身繊細なので繊細な人が
「こんな場面でこのように傷つく」
とか、よーくわかります。
繊細は悪いことではありません。
だからそのまま繊細であっていい。
繊細な自分を変えるのではなくて
自分の「ネガティブな観念・思い込み」
を変えるのです。
自分や世界 (他者・出来事) に対する
否定的な観念・解釈を変えていく。
私自身ネガティブな観念を
解消していくことで徐々に
ポジティブ思考になってきました。
「自分は繊細である」
もしかしたら繊細な性格は
“生まれ持った気質” ではなくて
“思い込み” かもしれません…☆
思い込み・ネガティブな観念とは過去に心が傷付く出来事を体験したその時に
心の傷と一緒につくられるものです。
なので、心の傷 (源) を癒していけば
思い込み (症状) も消えていきます。
繊細な性格 (思い込み) は変えられます。
HSPとは
Hey! その思い込み ポジティブに
変えられるよ☆の略です。
イケる☆イケる
♪( ´∀`)人(´∀` )♪
余談 ☕️
この記事の目指すところは
「傷付かない強い心を手に入れるぞ!」
ではありません。ふつうにどんな事にも傷付いてよいのです。
目的は “傷付かないこと” ではありません
ネガティブな観念・思い込みを
変えて (癒して) いくことです。
ネガティブな観念・思い込みを
変えて解消していくことによって
今までだったら気になっていた事が
全く気にならなくなって結果的に
傷付かない心になっていきます☆