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平均的な人は服従と同調の名のもとに、びっくりするほど悪いことをする

ブッダの時代、シャーキャ族が住むカピラヴァストゥは、現在のウッタル・プラデーシュ州にあたるコーシャラと現在のビハール州にあたるマガダという、二国の緩衝地帯にあった。コーシャラもマガダも、EU一国に匹敵し得るほどの強大国家である。その二大国家が摩擦を繰り返す地域にあったカピラヴァストゥだから、実質的には宮殿を備えた一国ではなく、カピラ「砦」と周辺の領地であったろう。そこに住む少数部族の長の跡取りも、プリンスというより、「我らが部族の武家の長男」だった。となると、いわゆる「四門出遊」の話も演出だろう、とわかる。そもそもクシャトリア(武士)階級の職務は、戦争だからだ。伝説のように「成人するまで、老人も病人も死人も見たことがない」はずはない。実際のブッダは、後世の異国の私たちが思い込んでいるよりも、ずっと市井の人に近いところにいたのではないか。そして、農家の主婦と井戸端で話すように、教えを説いていたのではないだろうか・・・・・。(中略)自我(エゴ)という苦は、差別主義(レイシズム)という病になり、今もなおこの世に蔓延している。レイシズムは感染する(中略)レイシズムという病を発生させ拡散させる源は支配層だが、主に感染するのは中間層だろう(中略)支配層からの圧力がかかり、自分が支配可能な層がある中間層に蔓延するのである(中略)このようなレイシズムが蔓延するのは、そもそも大枠でもっとも得をする支配者がいるからである(中略)ブッダが語ったこととは、当時のインドの名もない庶民が理解できたこと

研究のおかげで、平均的な人は服従と同調の名のもとに、びっくりするほど悪いことをすることがわかった。これがもっと広く意味することはとても重要だ

情報分析官

無知の状態が維持できるのは、調査研究を禁止し知識の流布を禁じる法律でいっぱいの警察国家のような国家

理不尽な扱いを受けた人はどうしても、その後、集中力、注意力を削がれてしまう(中略)しかも、直接、理不尽な扱いを受けた本人だけでなく、それを見ていた周囲の人も悪影響を受ける(中略)無礼な態度は、人の免疫システムを害することがある、そのせいで循環器系の病気、ガン、糖尿病、潰瘍などにかかる恐れがある(中略)ストレスなど、心理社会的な要素が、その人の寿命を決める最も重要な変数(中略)遺伝子とそれに関連した危険因子も当然、重要なのだが、ストレスはそれよりさらに重要(中略) 無礼な人はまわりの思考能力を下げる(中略)無礼な態度を取る人間がひとりでもいると、それによって生じた悪感情は集団内に広がり、態度の悪い人は増える(中略)無礼な人間のせいで企業が利益や社員を失ったとしても、その多くは目に見えず、誰にも気づかれない可能性がある(中略)無礼な人は会社に損害をもたらす(中略)無礼な人は同僚の健康を害する(中略)職場に無礼な人がいると、そこで働く人たちの心の健康にも悪影響がある(中略)無礼な態度は人の健康にも大きな悪影響をおよぼす(中略)無礼な態度は決して、その時だけのものではない。その後も広い範囲の人たちに悪影響をおよぼすものだ(中略)人の話を遮るという行為は非常に無礼

ガスライティングは、他人をコントロールするための言語コミュニケーションとして、おそらくもっともふつうに使われる、またもっとも効果的なものだろう───神経科セオドア・ドーパッド(著書名失念)

自分はただ駒の並びを見て、その意味を瞬間的に理解し、駒同士の関連性をもとに駒をグループごとにまとめて捉える(中略)予想外のものに気づく可能性を、予測できる方法が一つある。それは個人の資質、あるいはそのときの状況だけで決まるわけではない。個人にそなわった条件と、想定外のことが起きる状況との組み合わせで決まるのだ。

リスクを冒す時は、損失が確定した時

本当の覚悟とは、放棄するものを決めて、「これはなくなっても大丈夫です」といえることです。

天龍寺(引用者撮影)

京都にある臨済禅の大本山・天龍寺で館長をされていた関精拙老師が、まだ修行中の雲水のときの話が残されています(中略)ある日、真言宗のお寺に立ち寄られました。するとお坊さんが出てきて、雲水姿の精拙さんに向かって、「禅というのものは、一体どんなものなのですか」と問いました。すると精拙さん、無言で、そばにあった香炉をお坊さんの目の前にパッと差し出しました(中略)それを見たお坊さんが、「それだけですか」と言うと同時に、精拙さんが差し出した香炉をパッとひっくり返しました(中略)ひと言も発せず香炉を差し向け、ひっくり返した行為そのものに禅があるのです。

情報分析官

描いている途中の作品を見ると、「これ、失敗だろう」と思う瞬間があります。それを立て直して完成させるのがプロです。

説得の変異はあまりにも急で、危険で、原始的ですが、たんにテーブルをひっくり返すのではなく蹴り倒します。

映画『メン・イン・ブラック』では、リンダ・フィオレンティーノ演じる人物が、明らかに人間の死体の頭と思われるものの中で、制御装置の前に座っている、まさにそのようなエイリアンのホムンクルスを発見する。とはいえデカルトは、オランダでしばらく隠遁生活を送ったときに、ポルトガルからのユダヤ移民の子で、同時代の年下の哲学者バルーフ・スピノザの、はるかに過激で、啓蒙された進化的な見方に接した。異端の主張をしたとして迫害され、追放されたスピノザは、現代の神経科学の結論を不気味なほど先取りしていた。彼はデカルトに意を唱え、物質と心を同一とする、見事なまでに近代的な見方を提唱し、フランシス・クリックがのちに「驚異の仮説」と呼ぶことになるものを擁護する議論を展開した(※デカルトはカトリック教会の理不尽な押し付けに知恵と知性で対抗した。バラモン教に対するブッダの活動と似たようなことをしたのである。そして、カトリック教会がデカルトの思想を潰すために送り込んだのがスピノザだった。フェルメールもカトリック教会に改宗したのだから、この2人は共謀していたのかもしれないと、引用者の私は思う。フェルメールは妻の求めに応じカトリックに改宗したが、スピノザとつるんでいたであろうフェルメールには不可解な点が多い。こうなると、そばにいたレーヴェンフックも怪しい。同時期レンブラントがダヴィデの絵のモデルにスピノザを使ったことも関係しているかもしれない)※引用者加筆.

一六三三年、スピノザ誕生の一年後、ガリレオがローマの異端審問所の尋問を受け、自宅軟禁に置かれた。同じ年、デカルトは『人間論』の出版を差し控えたにもかかわらず、それはたぶん、さらなる攻撃を未然に防ぐための先制的手段だったろう。もしそれが彼の意図だとすれば、その戦略は最終的に功を奏したものの、彼が生きている間はそうではなかった(中略)異なる時代に生きていることに対しわれわれは感謝せねばならないが、今日でさえ、そうした得がたい自由に対する脅威について考えるとぞっとする。たぶん「ご用心」はいまもそのとおりだ。

演じる役を自分自身の感情と結びつけると、その記憶はさらに強化される(中略)記憶力は必要に応じて変化するということです。たとえ歳をとっても

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、世間では自己保身に走る卑怯者ばかりだが、私は自分の健康と精神衛生のためにしっかりと言い返す。生きるか死ぬかの瀬戸際で決断するという意味の言葉だと思います。釈迦の「諸法無我」は、デカルトが立ち向かったのと同じ性質のもの、つまり強敵であり、無我の境地で立ち向かい、無我の境地で挑まなければ対処できないものへの対処法を提示しているのだと思います。自律神経が乱れると死に至るということを理解できた階層は、理不尽に真摯に無私の心で対応すべきだということだ。中間層の人々には理解の難しい境涯です。スピノザをヨイショし、デカルトの価値を下げ、価値下げしている現在の工作員タレントは、スピノザと同じ妖怪ヌエの立場にいる可能性が非常に高いと言える。これは文献を読み、精査する上で重要なポイントである。私自身、個別にお返事する時間がないのですが、「マインドウィスパリング スペース 調べたいワード」でnote内検索していただければ、詳しく検証した記事が見つかると思います。


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