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「文化を生み出す場所」に必要なのはいったい何か、改めて考えてみた話
今日は「場所」について考えてみたい。それも「文化」が生まれる場所についてだ。随分と抽象的な表現だと思うけれど、同人誌即売会や書店などのトークイベントシリーズのようなものをとりあえず考えてみればいいと思う。この種の「場所」や「イベント」は当然のことだけど「あればなんでもいい」のではないことが、いくつかの実際のものを比較すればすぐに分かると思う。
後の世にいい作品を残す新しい作家を出し続けている場所/イベントもある一方で、ある程度規模が大きくなっても表現難民のたまり場みたいになっていて、うーん、どうだろう……と頭を抱えてしまうようなものもあるのが現実だ。
ここでのポイントは必ずしも「その場の盛り上がり」が、実際に残るものをつくることにつながるかというとそんなことはない、ということだと思う。
たとえばゼロ年代前半の「はてなダイアリー」のブロゴスフィアはかなり盛り上がったコミュニティだったと思うけれど、何かを残せたかと言うと非常に疑問だ。(日本のインターネットの「いじめ文化」の確立にはとても寄与したと思うが。)
最近でもカリスマ的な指導者への帰依だけが究極的には要求されて、逆らうやつはいじめで追い出される……みたいな連合赤軍も真っ青の「コミュニティ」「プラットフォーム」が問題になったりもしている。こういうのは端的に害悪なので「ない」ほうがいいだろう。
何が言いたいのかというと単に「界隈を盛り上げる」みたいなことだけじゃダメなんじゃないか、ということだ。僕は最近よく考える。大抵の人は場所を作って続けていく……というだけではダメだというのは分かっている。実際に新しい才能を呼び込んで、伸ばして、そしていい作品を出力してもらうにはもう少し別のことを考えないといけないと、口を揃えて言う。僕もそう思う。そして人間関係を濃密にして「コミュニティ」を盛り上げるべきだ、と。
僕もある程度はそう考えてきたのだけけど、前述の例からも明らかのように「0にはなにをかけても0」だというか、たとえ100ポイント才能があっても0ポイントの才能ととかけ合わせたらやっぱり0になってしまうという現実は過小評価してはいけないと思う。むしろ「悪い場所」に接続するとせっかくあった才能も0になってしまい、まったく発揮されなくなるのだ。
では何が必要なのか。僕の考えはシンプルで、要するにその場所がポジティブな化学変化の場所になっていることが大事だということだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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