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この国に一番必要な「(空気に抗って)引き返す」成功体験を得るためにも、「万博」はやっぱり止めたほうがいいのではという話
先月末に、PLANETSCLUBで磯野真穂さんのオンライン講座を行った。
PLANETSCLUBは僕の私塾のようなもので、月3回のオンライン講座を開講している。うち2回は僕が信頼する研究者や批評家の講座で、僕が今自分で勉強したいと考えていることをメンバーと一緒に学ぶというのがコンセプトだ。毎回受講生同士のグループディスカッションや、講師との質疑応答も盛り上がっている。僕自身の講座は、僕が考えている最新ことや僕が培ってきた発信のノウハウを共有する講座で、もう4年も続けている。
地道にコツコツとやっているのだけれど、僕を潰したくてしかたがない同業者からはオンラインサロンのスタンド(campfire)をつかっているというだけで、「最近の若手言論人のオンラインサロン文化はダメだ」と印象操作的な攻撃を加えられている。そういう人に限って自分は敵の風評を流して貶め、陥れて、身内に対しては陰湿な「飲み会」政治で固めている陰険極まりない共同体を運営して商売していたりするので、しっかりチェックしてくれぐれも騙されないようにして欲しい。
さて、今日の本題はそこではなく、磯野さんの講義を通じて考えたことだ。彼女の講義は磯野さんなりの「医療人類学」入門というか、医療人類学から観た日本の現代社会論、といった趣旨のものだったと思うのだけど、そこで僕が考えたのは2025年の「大阪万博」のことなのだ。
そして例によって結論から先に書いてしまうと、僕はこの大阪万博は多少、いや、かなり無理をしてでも「中止」するべきだと考えている。断っておくが、僕は左翼じゃない。とうか、僕はそういったあたりはどうでもいいと思っているのだけど、左翼的に振る舞うこことを目的としたアクションに僕は参加しないので、そういう人たちから「敵」だと思われている(心底、くだらないことだ)。
そして、僕は磯野さんのコロナ禍の3年間の、世論傾向と行政判断の分析を聞いてすごく、すごく考えさせられてしまった。かねてからこの国は(というか近代日本社会は)ボトムアップで支配的な世論が、なし崩し的に形成されてしまう傾向が強かった(丸山真男のいう「無責任の体系」)が、それが2013年以降の議会政治の弱体化と、SNS以降の情報環境の掛け算の結果、歯止めなく肥大してしまっている。
この傾向は、近代国家として非常に危険なことで、どこかでもう一度「歯止め」をかけないといけない。そのためにまず、なし崩し的に進行してしまっているもの、を明確な意図をもって止めたという成功体験がこの国の市民社会には必要だ……それが、僕の判断だ。そしてその成功体験に、「万博」の中止ほど相応しいものはない。
要するに、僕たちには80年前の戦争を止められなかったリベンジを、いま「万博」を止めることで果たすことが、民主国家としての「成熟」ために有効なのではないかと僕は考えているのだ。
僕の友人に音喜多駿という、困ったやつがいる。しかし、左翼の人たちが嫌うほど悪いやつじゃない。政治的には袂を分かってしまったけれど、僕は彼がいつか「闇落ち」から回復してくれると信じて対話を続けていくつもりだ。
先日も、彼と議論したのだがやはり「万博」について意見が分かれた。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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