なんでもない日の話。
「私にとってはなんでもない日。」
けれど、誰かにとってはそうではない日。
毎日はそんなことの繰り返しで、紡がれるのだと、この数日は特に思わされた。
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自粛期間を経ても尚、まだまだ落ち着かないコロナ禍の中で普段とは違う生活が今も強いられている。
久しぶりに母と外食をした。
自粛前、2月にお祝いを兼ねて2人で食事した時以来である。
この数ヶ月の生活から、体力は大幅に低下、さらにこのピリピリとした空気、神経を尖らせなければならない外での行動は、新鮮でありながらも、私たちの身体を相当疲弊させるものがある。
けれど、こういう局面に立たされているからこそ、自分の心のコントロールの重要性が身に染みる。
恐怖に怯えて、ただただハリネズミのように周囲に針を突き刺し、身を守ることに必死になるのか。
それとも、的確に情報を見極め、今の自分の感情を自分でケアし、日々を積み重ねていくのか。
結局は、環境ではなく、自分が自分をどうするのかなのだと、思い知らされる。
高校生の頃、慕っていた先生から、
「あそこが嫌だ、あれがダメだって、環境や人にバツばかりつけていたら、キリがないよ。」と言われたことがある。
完璧な場所などどこにもないのだから、自分でマルを見つける目をもち、自分がどうしていくかの方が大事なのだと、そう教わった。
大学生になってからも、この言葉は私の中で何度も響き続けた。
今も、まさにそうである。
地球が泣いている、異常になっている。
色んな考えが飛び交う世の中になっているが、
よくよく考えてみれば、
"人間が絶滅して困るのは人間だけ"なのだ。
切ない話かもしれないが、そうなのである。
でも、私は人間だから。
1人の人間として、なるべく地球、そして他者との共存を考えながらも、自分のことを考え、大事にし、生き続けていくための選択肢を取るのだろう。
世界は難しいようで、単純だ。
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この期間、1人で食事をすることが増えた。
誰かしら家にいるものの食べる時間が異なっていたり、いわゆる個食や孤食というものがほとんどであったと思う。
それを特別寂しいと思うことは、そんなになかったが、久しぶりに食を味わった感覚があった。
今までなら、何でもなかった誰かとの外食がとても貴重なものに思えた。
だが、そんな何でもない日だと、思えることが本当は、私の1番の幸せなのである。
わこ
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