若杉栞南(ワカスギカンナ)

「言葉に鼓動を」その言葉を胸に脚本を書く仕事をしています。 一日に一つの鼓動…「一日一…

若杉栞南(ワカスギカンナ)

「言葉に鼓動を」その言葉を胸に脚本を書く仕事をしています。 一日に一つの鼓動…「一日一鼓」の物語をお届けします。 創作ペースは様々ですが、中編の物語も描き続けます。 ぜひ、ご一読ください。 https://wakasugi-kanna.comoinc.co.jp/

マガジン

  • 一日一鼓【2度目の10月】

    暑さも、緊張も、声援も、疲労も、何も感じない数分間。 そういう時間を生きたことがある。 ただ息をしていた訳ではなく、確かに生きていた。 それはまるで「凪」。

  • 一日一鼓【6月】

    この辺りには神様の木があるんです。 何か碑があるわけじゃない。 ただ静かにずっしりとこの地に根を張っています。

  • 若杉栞南の世界

    • 4本

    |弊社所属の脚本家 若杉栞南 |「言葉に鼓動を」その言葉を胸に脚本を書く仕事をしています。 |#一日一鼓やオリジナルコンテンツの脚本などを掲載中です。

  • 一日一鼓【四月の話。】

    夜が来ない街で、青い目の青年と出会った。 でも、彼は本当に存在しているのだろうか?

  • 一日一鼓【2月】

記事一覧

母と父はノートとペンのようだと思うことがある。

ペンを走らせる時に摩擦が生まれることがあっても、読み返す頃には涙が滲む手紙のように濃厚な歴史になっている。
そういう関係をこの脚とあの青い場所で築くことができたらよかったのだけど
私とブルータータンはノートとペンにはなれなかった。

母が小説家になったのは私が生まれるよりも前のこと。
父はそのもっと前から母の物語が好きだったそうだ。
母は時々、温かい歴史を話した。
父が登場するその話が私は好きだった。
でも、父がいない今、それが歴史か物語か見抜くことはできない。
母はきっと、まだ隣にいて欲しかったんだと思う。

「取材、一緒に行く?」

そう声を掛けてきたのは新作の構想を練っている最中の母だった。

「今回の本はどうしても読んで欲しい人がいるの」
と、意気込む母の誘いを無下にはできず、カーディガンに手を伸ばす。


軽い気持ちで付いて行ったそこには
待ち侘びていたはずの青が広がっていた。

暑さも、緊張も、声援も、疲労も、何も感じない数分間。
そういう時間を生きたことがある。
ただ息をしていた訳ではなく、確かに生きていた。

それはまるで「凪」。

凪の世界で覚えているのはこの脚が刻む音だけ。
あの数分間で刻まれた音は今も体の奥で響いている。

青を待ち侘びている。

#一日一鼓 October

2024年10月01日。 本日からまた #一日一鼓 を始めます。 #一日一鼓 とは??月の満ち欠けが0…

一日一鼓【6月】まとめの物語

6月の物語 『緑色と、答えてもいいのですか?』 一日一鼓【6月】再会。  まとめられない私…

600

いつも応援してくださる皆さまへ

本日、脚本家として1歳の誕生日を迎えました。 七月は私にとってとても縁のある月です。 作品…

彼は今、何をしているだろうか。
私は今まで、何をしてきたのだろうか。

私の目にはまだ、緑の雨は映るだろうか。


単位の取り方と講義のサボり方を知った21歳の夏。
晴れた日。
この渓谷。

変わらず彼は問いかけてくれた。
変わってしまった私に。

晴れ間に見える雨の色は?_と。

案の定、作者の名は彼だった。

イシイ ムツ。

懐かしいその名前の並びを見て
鼻の奥で土を打つ雨の匂いがした。


キャプションにはこう書いてあった。

-
長い間この地を見つめる神様すら知らない
僕たちの「今まで」と「これから」がきっとある。

でも、この雨だけは知っている。

一日一鼓【0619~0622】

\19日〜22日/ 目まぐるしく作品が進んでいく4日間だったので 4日分の560字を時が流れる一鼓…

何かと理由をつけて渓谷に足を運ばなくなった。

面倒だったわけじゃない。

透明で美しい彼と話すことができていた“濁りのない心”をどこかに置いてきてしまったような気がしたから。

いつからだろうか、どこにだろうか。

大人になるってこういうことなのだろうか。

だったら、嫌だな。

しばらくの間、青々としたあの渓谷に足を運び
足を運んでは緑の雨を眺めた。

面白くないことを無理に笑い
期待の眼差しを笑って受け取って…
気付けば“こうあるべき私”を生きていた。

緑の雨を眺める間だけ、その全てを忘れることができた。


でも

“しばらくの間”

だけだった。

「NodaEmi LIVE 2024 “time”」 に伺いました。

本日、野田愛実さんのLIVE 「NodaEmi LIVE 2024 “time”」 に伺いました。 全力の野田さん…

お家の事情で引っ越しました_そう簡単に告げる先生を見て、大人になったら透明なモノは見えなくなるのだろうかと無性に怖くなった。

側から見れば私と彼は何の繋がりもないただの同級生。
でも
こうあるべきという仮面をいとも簡単に剥がす彼を、私はどうしても記憶から消すことはできなかった。

当たり前が奪われるのは映画の中の話だと信じて疑わなかった。

でもそれは突然音もなくやってきて
奪っていった。

いつも通り教室に行き、いつも通り会話を交わすことのない透明で美しい彼を探した。

でも、その日から彼が学校に来ることはなかった。

もちろん、青々とした竹の渓谷にも。

私たちは晴れ間の雨の色を問いかけ続けるのだろう。昨日も今日もそうだったように明日も明後日もきっと。

そう思っていた。

教室では交わされることのない清らかな会話を神様の木の麓で交わすのだろう。

そう思っていた。

当たり前なんてない
…なんてことないんだと

そう思っていた。

母と父はノートとペンのようだと思うことがある。

ペンを走らせる時に摩擦が生まれることがあっても、読み返す頃には涙が滲む手紙のように濃厚な歴史になっている。
そういう関係をこの脚とあの青い場所で築くことができたらよかったのだけど
私とブルータータンはノートとペンにはなれなかった。

母が小説家になったのは私が生まれるよりも前のこと。
父はそのもっと前から母の物語が好きだったそうだ。
母は時々、温かい歴史を話した。
父が登場するその話が私は好きだった。
でも、父がいない今、それが歴史か物語か見抜くことはできない。
母はきっと、まだ隣にいて欲しかったんだと思う。

「取材、一緒に行く?」

そう声を掛けてきたのは新作の構想を練っている最中の母だった。

「今回の本はどうしても読んで欲しい人がいるの」
と、意気込む母の誘いを無下にはできず、カーディガンに手を伸ばす。


軽い気持ちで付いて行ったそこには
待ち侘びていたはずの青が広がっていた。

暑さも、緊張も、声援も、疲労も、何も感じない数分間。
そういう時間を生きたことがある。
ただ息をしていた訳ではなく、確かに生きていた。

それはまるで「凪」。

凪の世界で覚えているのはこの脚が刻む音だけ。
あの数分間で刻まれた音は今も体の奥で響いている。

青を待ち侘びている。

#一日一鼓 October

2024年10月01日。 本日からまた #一日一鼓 を始めます。 #一日一鼓 とは??月の満ち欠けが0…

一日一鼓【6月】まとめの物語

6月の物語 『緑色と、答えてもいいのですか?』 一日一鼓【6月】再会。  まとめられない私…

600

いつも応援してくださる皆さまへ

本日、脚本家として1歳の誕生日を迎えました。 七月は私にとってとても縁のある月です。 作品…

彼は今、何をしているだろうか。
私は今まで、何をしてきたのだろうか。

私の目にはまだ、緑の雨は映るだろうか。


単位の取り方と講義のサボり方を知った21歳の夏。
晴れた日。
この渓谷。

変わらず彼は問いかけてくれた。
変わってしまった私に。

晴れ間に見える雨の色は?_と。

案の定、作者の名は彼だった。

イシイ ムツ。

懐かしいその名前の並びを見て
鼻の奥で土を打つ雨の匂いがした。


キャプションにはこう書いてあった。

-
長い間この地を見つめる神様すら知らない
僕たちの「今まで」と「これから」がきっとある。

でも、この雨だけは知っている。

一日一鼓【0619~0622】

\19日〜22日/ 目まぐるしく作品が進んでいく4日間だったので 4日分の560字を時が流れる一鼓…

何かと理由をつけて渓谷に足を運ばなくなった。

面倒だったわけじゃない。

透明で美しい彼と話すことができていた“濁りのない心”をどこかに置いてきてしまったような気がしたから。

いつからだろうか、どこにだろうか。

大人になるってこういうことなのだろうか。

だったら、嫌だな。

しばらくの間、青々としたあの渓谷に足を運び
足を運んでは緑の雨を眺めた。

面白くないことを無理に笑い
期待の眼差しを笑って受け取って…
気付けば“こうあるべき私”を生きていた。

緑の雨を眺める間だけ、その全てを忘れることができた。


でも

“しばらくの間”

だけだった。

「NodaEmi LIVE 2024 “time”」 に伺いました。

本日、野田愛実さんのLIVE 「NodaEmi LIVE 2024 “time”」 に伺いました。 全力の野田さん…

お家の事情で引っ越しました_そう簡単に告げる先生を見て、大人になったら透明なモノは見えなくなるのだろうかと無性に怖くなった。

側から見れば私と彼は何の繋がりもないただの同級生。
でも
こうあるべきという仮面をいとも簡単に剥がす彼を、私はどうしても記憶から消すことはできなかった。

当たり前が奪われるのは映画の中の話だと信じて疑わなかった。

でもそれは突然音もなくやってきて
奪っていった。

いつも通り教室に行き、いつも通り会話を交わすことのない透明で美しい彼を探した。

でも、その日から彼が学校に来ることはなかった。

もちろん、青々とした竹の渓谷にも。

私たちは晴れ間の雨の色を問いかけ続けるのだろう。昨日も今日もそうだったように明日も明後日もきっと。

そう思っていた。

教室では交わされることのない清らかな会話を神様の木の麓で交わすのだろう。

そう思っていた。

当たり前なんてない
…なんてことないんだと

そう思っていた。