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サクラサク。ep15
ガタン、ゴトン。
生まれて初めて乗った電車は、人間に抱きしめてもらった時の、鼓動のリズムと何処か似ている気がした。
全ての生き物は、生まれた時から死ぬまでに胸打つ鼓動の数が同じだと聞いたことがある。ただ、音の速さが違うのだ。
ネズミは早いから寿命も早く訪れるし、カメはとてもゆっくりだそうだ(ご主人様が言っていたことだから、本当かは微妙だ)。
吾輩は猫であるが、人間の心臓の音は、猫より少しゆっくりだと思う。
だから、猫よりも長生きするんだな。
きっと、サクラだって。
昨日の夜に感じた、サクラが急に消えてしまいそうな一抹の不安も、きっと吾輩の思い過ごしに違いない。そう信じたかった。
「クロ、もうすぐだよ」
カバンをそっと開けたサクラがささやく。吾輩は再びうつらうつらしていたようだ。
カバンからひょこっと頭だけ出す。車両には、サクラとサクしかいなかった(最近、吾輩の名前はクロと定着しつつあるが、本当は朔と言うことを主張し続けたい)。
車窓からは見たこともない景色が広がっていた。水だ。飲み切れないほどの大きな水が見える。
「クロは来たことあるかな?私たちは海へいくんだよ」
海。知識としてはある。だけど、この目で本物を見るのは、初めてだ。
今日は初めてのことだらけだ。
そして、真っ暗だと思っていた世界は、いつの間にか白み始めていた。セカイは、やっぱり規則正しく時間を刻まないと気が済まないみたいだ。
「クロ、ごめんね。ちょっと走るから、カバンの中が結構揺れてしまうかも」
サクラは何度も腕時計を見ていた。どれだけ見たって、一定の間隔でしか時は流れないのに。
電車を降りて駅の改札を抜ける。カバンから顔を出しても何も言われなくなった。
サクラとサクは、追手から逃れるように、誰もいない街を駆ける。
眠りについた繁華街。
明かりの付け方を忘れてしまった電灯。
昨日に置いてきた生き物の騒がしさ。
サクラは、道を確認するために立ち止まってスマートフォンを眺めては、また走り出すの繰り返し。
「早くしないと間に合わないかも」
黒から群青へと世界は変わってゆく。
深い海の底から、空がある上の方に向かって、泳いでいるような心地がした。
やがて、視界いっぱいに海が広がる。
どうやら、旅の終着点にたどり着いたようだ。
サクラが乱れた息を整えている。
「遠いところまで来ちゃったね。本当に」
サクラはカバンを広げる。
「そろそろだよ」
砂浜の間近にあるベンチに腰かけたサクラ。吾輩はそんなサクラの膝の上に腰かける。
ほんの一刹那だった。
景色があっという間に変貌を遂げる。
地球の光をぜんぶ集めてきたような、まぶしさ。
青いと思っていた海も、空も、キラキラと黄金色に輝く。息をするのを忘れてしまうほどの、圧倒的瞬間。
知らなかった。毎日、夜と朝が入れ替わる時間には、こんなドラマがあったとは。
「クロの瞳の色と同じだね」
え?
そうだったのか。人間と同じ色ではないのか。
毛並みの色は知っている。月が出ない朔の夜を思わせる漆黒。
自分の瞳は自分では見えないから、朝に変わる色が閉じ込められていることには気付かなかった。
吾輩はサクラの瞳の色を見たくなって、上を向いてのぞき込む。
だけど、目的は果たせなかった。
サクラは、静かに目を閉じて泣いていた。
頬をつたう涙も、光り輝いていて。
それが、あまりにも美しくて。
吾輩は何も言えなかった。