久保研二
どうでもいいような、心のメモです。
その名の通り、関西弁で綴る、エッセイ・評論(著者は尼崎出身)
学生時代、関西学院中学部 関西学院高等部 の思い出にまつわるエッセイです。還暦を迎える2020年、ウイルス自粛のゴールデンウィークに、記録目的で、アップしていこうと考えました。同窓生でなくても、読むに値するよう、こころがけたつもりです。
文字通り、様々な評論、論評‥‥‥のマガジンです。
山口……の市内、足元に居る「天才」になんの相談もなく、勝手に行政が推しすすめたイベントの説明会を聞くために知人が出席するので、 「あんな奴らに、ナメられたらあかん」 とボディガードを買って出たワタクシ。 とりあえず今回はスーツとネクタイで、ややこしい組織のフロント企業……企業舎弟風で行って、ちょっとでもふざけた態度をしやがったらその場で吠えたろっと意気込んだにもかかわらず、 会場に着いて肩で風切って周囲に睨みをきかしながらフロアを歩いていたら、突然……パカッと
私が高校生の頃、久保家の本来の本籍地である和歌山で葬儀があり、私は父の名代で、伯父叔母と共にそれに出席しました。 久保家の元々の本籍は龍神村なのですが、祖父が戦争中、子供たちが徴兵されて出征する時の不便さを懸念し…(本籍地の役場に出頭する義務があったが、当時龍神村には和歌山市内からバスも通っていなかった)…嫌々、尼崎市の西長洲に移したのです。 和歌山に残っていた祖父以外の久保家の親族は、龍神村を出て和歌山市内に住んでいました。 喪主は、久保利寸水。これを「トキオ
昨日、山口市内、小郡に向かう椹野川沿いの道で、目の前を猫が横切った。 思わず軽く減速したが、ブレーキを踏むまではなかった。猫の足が速かったからだ。 けれどもその瞬間、何か違和感を感じた。 走るというより跳ねているように見えたからだ。 さらに猫の耳が、かなり長かった。 「猫ちゃうやん! ウサギやん?」 しかし、いくら山口でも、道路をイタチやハクビシンは横切っても、ウサギはおらんやろ? 事務所に着いたあともその疑念はなかなか解けない。 2年ほど前、矢原
オシッコのあと、いくら慎重に時間をかけても、格納した数秒後にチョロリン〜と漏れてしまいます。 そこで先日ついに「尿もれパッド/微量10cc」というのを買いました。それがなかなか素晴らしい! ところがこの商品、裏側を下着に貼り付けるので、トランクスタイプやブリーフタイプ、さらにTバックなどの下着では使いにくいのです。 私は風通しを気にして、何十年も前からトランクスタイプを愛用しています。 ですからボクサータイプの下着を買いにわざわざダイソーまで出かけたのです。
財布に久しぶりにお金が入ったので、気分がリッチになりました。 普通 お金が入ったというと、予期せず儲かった。外貨が稼げた、となりますが、私の場合は違います。 主治医であるえさきクリニックに血圧の薬をもらいに行って、そのあと処方箋を持って薬局で一万円札を崩したので、そのお釣りがガッポリと財布に入っただけのことです。 でも財布に現金が入ると、貧乏性の私は一瞬でテンションが上がります。 それでクレジットカードが使えないけど、安いので、ついつい行ってしまうディスカウン
私は自慢やないですが、同世代の人たちに比べて圧倒的に、ものごとをゆっくりと考えることができる環境に身を置いています。 歌や文章を書くことを生業にしていくためには、たしかに収入には遠回りかもしれませんが、それは非常に重要なことというか、その骨格を維持しとかないと私という人格そのものが成り立たないというのがホントのところです。 人格とはキャラクター。 キャラクターの本質は、その人間の基本的な価値観や考え方、さらにそれに基づく日々の行動様式や行動パターンだと私は考えてい
一件、夫の悪口である。 ちなみに男の私が言うわけがない。私のとある"女友達"が私に告白したのである。 風呂上りに夫は必ず口癖のように、 「湯船にいい出汁(だし)が出ているから、早くオマエも入れよ」 と言うらしい。 彼女はその表現が嫌で嫌で仕方がなかった。それで、何度も……時にはわざわざあらためて向かいあって、やめるようにと頼んだが、夫は軽くとらえて聞き入れず、それでもなんとか今まで我慢をしてきたそうだ。 ところが先日、いつものように帰宅した夫がいつも
値段が安かったから、あんまり文句はいえんけど、ほんまに世の中にこれ以上…… 「どうでもええ」という味は、ないんとちゃうか? と思える味です。 水を飲むよりは、少しリッチな気分かな? という感じで、ついつい、パックで沸かして冷ました、麦茶、を、飲み直してしまいます。 スジャータ……社名の由来は、たぶん、修行を終えて、ヘロヘロのお釈迦様に、乳粥を飲ませた村娘の名前でしょうね。 そこはセンスあります。 さらに、この会社がシェアNo. 1なのが、コーヒーに入れる、
戦争映画のことで、突然思い出しました。 小学生の頃母親とふたり、深夜にたまたま一緒にテレビで戦争映画を観ました。 珍しいソ連の映画でした。 つくられたのは私が生まれる前年である1959年。 子供の時に観たにもかかわらず、かなり鮮明に覚えているので、それだけでも名作といえると思います。 19才の兵士がたまたま偶然マグレで、戦場で敵の戦車を2台も炎上させてしまいます。ここは喜劇仕立てです。 そのご褒美で彼には6日間の特別休暇が与えられます。 兵士は母親に
2018年5月 人を叩くのはあまりよくないと思いますが、 このオッさん。ホンマに久しぶりにめちゃ気分悪い。辛抱たまらん! 「すべては、監督である私の責任。監督を辞任します」 この言い方が、そもそも嘘をつき慣れている嘘つきの典型ともいえる最悪の発言であることに気付かない本人。ならびに大学首脳部の感覚と知能を疑います。 もしもたとえ嘘でも、この発言をするなら、事件直後です。 またこの発言を今するなら、必ず同時に自分の悪事のすべてを正直に話さねばなりません。 「
2018年5月 生きていく中で、様々な要素やタイミングがからみ、ふと本来持つべきではないひとりの人間が、間違って権力を得てしまうことがあります。 権力とは残念ながらその地位にほぼ比例するようです。 自分の努力でつかみとったものと自慢する人もいますが、もし本当にそうであるなら、それは逆に自らの悪事を自供しているようなものです。 人生における権力とは、そのほとんどが幻であり、それは虚構の上に輝く虚像でしかありません。 ここでいうところの「虚」に反する言葉は、「実
あくまで私個人の趣味ですが、21世紀になってから急激に面白くなった科学?…学問?分野?…を、2つあげれば、 ひとつは行動遺伝学における遺伝が占めるパーセンテージと、もうひとつは、量子物理学などからアプローチされるシミュレーション仮説 です。 難しい話しは割愛しますが、私の結論を申し上げると、要は、 「我々は、仮想現実世界…つまり、バーチャルリアリティの世界の住人である」ということです。 これは決してSFの話しをしているのではありません。 その真偽や根拠の話しもす
先日、打ち合わせで、LiveカフェであるWakayama のオーナー、あきもとさんが私に言いました。 「最近の人は音楽を、聞いても、聴くということをせんでしょ?」 これは、なかなか鋭い指摘です。 私のようなモノ書き系の感覚は、「聞く」というのは身体の器官としての耳から自然と脳を通じて体内にとりこまれるようなケースに使用する言葉、という感じです。 かたや「聴く」は、どうか? 「聞く」よりも、より注意深く、脳の向きをそちらに向けて……平たく言うと、聞こうという意
私は幼い頃、祖母や伯父が居た尼崎の杭瀬や、父が営む洋服店があった出屋敷、共に阪神電車のコテコテな沿線だったので、しょっちゅう阪神パークに連れて行ってもらいました。 阪神電車の甲子園駅を降りると、正面に巨大な蔦がからまる甲子園球場がそびえ、左手に迂回して浜側に向かって歩くと、ちょうどレフトスタンドの先くらいに、道路をはさんで阪神パークのゲートが見えました。そこへの道すがら、歩道に動物の石像が設置されていたことを何となく覚えています。 阪神パークは全国各地によくある動物
今回は、関西人の魂 特別講座の最上級編です。めちゃレベル高いです。関西弁やなく、関西の魂です。 赤井英和が主演をした『王手』という将棋さしの映画があります。 この映画はザックリ言うと、アカデミックな将棋連盟が主催したトーナメントに、賭け将棋を生業にする怪しい筋の将棋指し(赤井英和ふんする主人公)が参加し、勝ち進んでいくという話です。 映画の冒頭、通天閣の近くの地下にある、煙草の煙ムンムンの将棋倶楽部に赤井がはいっていくのですが、満員の客は自分の将棋盤に熱中していて
山口の食品スーパー「まるき」に買い物にいき、レジ付近でふと、店内に流れていた有線の歌に突然怒りが込み上げてきました。 「♪ た〜てのいとはわたし〜……」 でも、中島みゆきの声ではありません。 思わず私が小さからぬ声で、 「誰がうとてるねん! この歌……どんなけ下手やねん!」 それを聞いた、私が並んでた列の隣のレジ担当の若い女性が嬉しそうに、 「ホントに下手ですねぇ……」と、私に同意しながら、さらに奥のレジ担当の同じく若い女性に、 「これ、歌ってるの、誰か