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不思議の国
昨日、山口市内、小郡に向かう椹野川沿いの道で、目の前を猫が横切った。
思わず軽く減速したが、ブレーキを踏むまではなかった。猫の足が速かったからだ。
けれどもその瞬間、何か違和感を感じた。
走るというより跳ねているように見えたからだ。
さらに猫の耳が、かなり長かった。
「猫ちゃうやん! ウサギやん?」
しかし、いくら山口でも、道路をイタチやハクビシンは横切っても、ウサギはおらんやろ?
事務所に着いたあともその疑念はなかなか解けない。
2年ほど前、矢原近くの抜け道、比較的人家が多く交通量もそこそこある道路で、目の前を左の人家の庭から右の人家の門までキジの夫婦が悠々と横切ったことがあった。
あんな町中にキジが居たのだから、道路を渡ればすぐに土手の草むらに飛び込める場所にウサギが居てもおかしくないかも?
私のような他所者ではない、元々地元に生まれ育ったまわりの若い娘的主婦にたずねると、
「いくらなんでも、ウサギはいない」
「見間違いに決まっている」と笑われて、
ついには耳の長い猫もいるということになり、とどのつまりは結論誤魔化し万能薬の呪文「まぼろしまぼろし」と片づけられた。
煙につつまれたような幻想的空間の穴にはまりこんだ私は、いつしか頭の中で、時計を持ったウサギを探していた。
もちろん、酒はのまないし、シャブも打っていない。ついでに風邪薬も飲んでいないし、まだ眠くもない。
錯覚か? 白昼夢か? タイムスリップか? それとも単なる事実なのか?
この中で、いくらあり得ないと言われても、こうなれば「単なる事実」が一番つまらない。
実はドライブレコーダーをチェックすれば、きっと真相がわかるのだろうが……あえて私はそれをする気になれないのだ。
それは私にとって、現実より感覚の方が数倍重要だからである。
そもそも私の魂はすでに、現実…(あらゆる肉体的器官現象も含め)…常に疑いながら日々生息するまで、進化あるいは退化、昇華あるいは炭化してしまっている。
そして自らのウサギ体験を、記憶と記録のページにこう記しておくのだ。
2021年6月1日午後0時40分、
「不思議の国のある日」。と。
「ある」は「或」でも「在る」でも、どちらでもいい。そして「国の」の「の」には、文法上、より伸縮性を持たせておくことにした。