微笑みの花を咲かせて萎んでは濁る夕顔悪しき風かな
首を寝違えた痛みで起きたら 午前5時だったとき 窓を開けて金木犀が馨る 馨りがくすぐったくて 日が顔を出す 「朝ごはんだよ」 フライパンを叩く音 CaugM7な気持ち イタチが野を走り 猫が毛を立たせ 茶柱が立つ 耳の中で蟋蟀が喚く 静かな場所だと 魔法をかける 檸檬を搾って 箸でつまむ 口を拭って 鳴り出すミュージック ヘッドホンで頂く
IQOSにSENTIAを挿し込み、銘柄を間違えたと感じる。昨日も今日も、きっと明日も。 部屋の中には、一昨日くらいに買ったバニラのフレーバーの手巻きタバコの匂いが充満してる。今日という日で甘いのはこの空間だけだと耽って、深呼吸する。 どうせやめるなら、今やめろよ。いや、明日でいっか。いや、明日やめるなよ、今やめるなよ。昨日やめろよ。 賞味期限の切れたいくつかのたばこが、ごみ箱から私を眺めては寂しそうにしてるんじゃないかと妄想を膨らませている、そんな自分を達観する。
なんだか少し嫌な予感がして、近くにあった書店に入り、その辺にある本のだいたい真ん中あたりの頁を開いては、文頭の1文字だけを左方向に眺めていっては閉じる。スリップを棚に引っ掛けないようにそっとしまう。そんなことを行い続けていた。5冊ばかりではない。本の内容は何も伝わってこないが、何かが伝わってくる気がする。息急く感じ。なんと言おうか。 無心に足を動かすうちに、文豪の特集がされたコーナーに留まった。そこには黄色の表紙の本が何冊も並べられていた。そして、奥歯が染みるような
A♭durのような気持ちで浴室に入る 夏の終わりだからか、少しシャワーの温度が 心の冷たさを温める気がした 湯船に浸かれば、彼女の知ってはいけない 触ってはいけない部分を触ってしまう 絶妙な悪心がした 猫のように傷口を舐めるインディゴのお湯は 私の心を投影するかのようで 何が正解なのか分からなかった 静脈の色と鼓動は、A♭mollのような不快感で まるで、冬場の錆びれたGlockenspielから伝わる 温度と手触りのようだった 丹波 ぎろという名が嫌いになる今と これからと
スマートフォンを通じて会話する日々。通話料金を気にしていた頃や、不細工な手紙を綴っては自分らしさを消さないように迷いつつも、自分らしくない装飾を繕い、恥ずかしながら手で渡していた頃には、到底考えられなかった。 容量の大きなデータもそれなりの大きさなら圧縮することなく送ることができる現代。テクノロジーという西洋語が生活の多くを占めるように成長すると共に、私までもが成長をしてきた。けれども、淘汰されるべきでない文化までもが淘汰されつつある。 何でもかんでも、開放的
ふとある青年を思い出した。二世代ほど前の雰囲気が溢れるラブホテル。そしてその向かいに佇む大きなアパート。208号室の彼、元気にしているだろうか。いや、今は402号室だろうか、502号室、若しくは505号室かもしれない。わからないが。 燃えるゴミの日には、眠たそうな顔で螺旋階段を駆け下り、同アパートの住民や登校する小学生に部屋着を見られることを少し恥ずかしそうにしていた。ゴミを捨てるとすぐに、ポケットにある集合玄関の鍵を握りしめていた。部屋の前の通路を通りながら、右手
文章の世界を描こうとすれば、その都度過去のものと似たようなテーマ設定になってしまい、終いには何を書いても結末が一点に集中してしまうことを懸念し、何も書かなかった。というのか、書けなかったというのか、自分自身の心に問いかけては、嘘をついているかもしれないとも思えば、でっちあげているかもしれないとも思う自分に気が付く。 このnoteのタイトルを考える際に、「尾崎さんの世界観が素敵すぎる」や「あえて尾崎世界観の世界観に没入してしまうとか言ってしまおうか」なんてことを考えたが、尾
毛布に包まれて携帯を眺めるという娯楽に 後悔を抱く日々から離脱した日々に 口元が緩みつつ 利き手でない手で書いた文字のような 皺が生み出されて 無造作な布に変わっていく 長髪の女性が映し出される待ち受けを見ては それらしすぎない雰囲気を醸し出すために 夜通しフォルダに目を運んだ日を思い出す 身勝手に枠内に収めた女性の後ろ姿と 足元の不安定な砂 波音と声が聞こえそうで聞こえない画質が 夜を長引かせる 気体となった夜に包まれては聞こえ出す音が 混沌のビルヂングを生み出すときもあ
真ん中から少し逸れては戻される 普通にはなれないっていうのに 無理やり押し付けられるの ちぎられるかもしれないし そんなもん個性じゃないの かわいがる人もいて 自分でもわからないの 悪者かどうか カールを描いてるから スナック菓子を思い出して あれまだ売ってたっけ 愛する人はいるだろう ぼくを想う人だってきっと 見た目がこうなだけなの かわいいでしょ
空気が海に涼しさを求めすぎてしまって、青空が見えているのに、なぜだか寂しそうに私たちを抱擁するような天気が2日、3日続いている。 それが、私のこころのスケールを大きくしたみたいなのだ。咲く花や、踊っては鳴く雀が目に映るというのに、私は1歩後ろを歩いている気がするのだ。 けれども、私の体はこれからやって来る季節を映すようなのであり、デカルトの気持ちが少し分かるような気がしているのである。 確固たる季節がやってきますように。
気がつけば、黒い時間が私を包んでいた。 1日の懺悔を慟哭するような、そんな時間が。 これから激しい雨が降ると警告するような、 ひどい胸の奥の締まりを感じる。 蛙が天気予報を私に知らせ、 蚊は出番でないと眠っている。 窓の外を眺めながら酒を飲み、 自己陶酔を超える嫌悪感が躍る。 誰かがホームから僅かな空間を跨ぐ時間。 私は表情という表情を剥ぐ。 誰かが嘔吐きながら、ターミナルで横たわる時間。 私は、私の中にある私に嘔吐く。 梅雨前線が緯度線を平行に動き、姿を消した時、 この文章
大切な人ができました。失恋してからずっと、大切な人がもう一度できたらと願っていました。けれども、自分には無理だろうと思っていました。人とのコミュニケーションが苦手で、自分自身を上手く表現できず、自己を殺してしまうから。そして、大切な人ができたらと願っているにも関わらず、人を信頼できず、かつ大切な人なんて誰でもいいんじゃないかという合コンを劣悪に旅するように生活していました。 そして、私の話を静かに聞いてくれ、理解をしてくれる彼女に出会いました。最初の私の感情は正直
夜だというのに、うっすらと雲がグレーに溶け込めずに形を見せていることに葉巻を吸いながら気づいた。今の私には見えないあなたは、何をしているんだろう。月にあなたがいるのなら、眺めることができるというのに、同じ世界に生きている私たちだから見えないんだよね。それに私たち、雨を連れてきてしまうから月にいたとしても見ることができないのかな。もし私が月にいたら、あなたは私を見てくれるのかな。
気がつけば、薫風が南の方から暖かい空気を運んでくるようになって、スーツのジャケットを羽織り、自転車を漕いで最寄り駅に行くと後に後悔する未来を鑑みるようになった。 以前からの対人恐怖が、さらなる波を押し寄せてくるのが、ここ数ヶ月の私であり、幸せそうな人を眺めると卑下したり、嫉妬したりと自分自身がどんどん負の方向に向かっているのを感じていた。人なんて利己的な生き物で、自分の都合で生きるような奴なんだ。だから人を信じられないんだ。と苦笑いして私は言った。 それでもあなたは共
他人の為に生きるのは間違いでしょうか。私は、自分の為に生きることができません。しかし、日常を送っていると、自分の為にだとか、自分のやりたいようにといったことを言われることが多々あります。もちろん、自分が好きなことを自分の好きなだけ行い、自分を慈しむことや、自分の人生(自分が主人公である人生)を送ることが大切なのは分かります。けれども、他人の為に尽くすことで得られる喜びで自身の生を感じることのできる私は、果たして自分の人生を歩んでいないと表現されるのでしょうか。 適度に自己中