綾
他人の為に生きるのは間違いでしょうか。私は、自分の為に生きることができません。しかし、日常を送っていると、自分の為にだとか、自分のやりたいようにといったことを言われることが多々あります。もちろん、自分が好きなことを自分の好きなだけ行い、自分を慈しむことや、自分の人生(自分が主人公である人生)を送ることが大切なのは分かります。けれども、他人の為に尽くすことで得られる喜びで自身の生を感じることのできる私は、果たして自分の人生を歩んでいないと表現されるのでしょうか。
適度に自己中心的であるべきといった考え方や、優しさの安売りはするなという母が私に告げた言葉の意味も充分に理解はできますし、どうせ自分自身を嫌う人は一定数存在するという考え方も理解できます。しかし、0か100かの2通りのパターンしかない私の思考・行動回路では、仲良くするかしないかのどちらかしか選択できません。それゆえ、仲良くするという行動を選択した際、人に対する優先順位のようなものを器用に築くことができず、すべての人に対して好んでもらえるよう努めてしまい、それゆえ苦しむ面も現れるのです。
また私は、一人称視点の孤独なストーリーを歩むつもりはありません。もっとも、誰かの命と引き換えに身を投じることもできるかもしれません。また、孤独という表現が適切か否かは分かりませんが、木の幹のような1本の道ではなく、そこから広がる枝や、根のように、もっと多角的に、多方面に視野を向けて生きたいのです。また、実際にnoteを書いている私は、同情してくれる人はいるだろうか、理解してくれる人はいるだろうか、と他者からの評価ばかり気にして、半ばその評価で動いていると言っても過言ではないのが実情であり、2次元の文章の形態だけでなく、3次元のヒトの場合でも同様なのです。
私の人生の歩み方は間違いでしょうか。
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