時代

  スマートフォンを通じて会話する日々。通話料金を気にしていた頃や、不細工な手紙を綴っては自分らしさを消さないように迷いつつも、自分らしくない装飾を繕い、恥ずかしながら手で渡していた頃には、到底考えられなかった。
  容量の大きなデータもそれなりの大きさなら圧縮することなく送ることができる現代。テクノロジーという西洋語が生活の多くを占めるように成長すると共に、私までもが成長をしてきた。けれども、淘汰されるべきでない文化までもが淘汰されつつある。
  何でもかんでも、開放的になってしまった情報の中にも、自分だけのものにしておきたい情報もある。勝手にしておけという話ではあるが、大事な人との写真は、自分だけの手元に置いておきたい。そして、ギュッと手のひらで包み込み、心の中に留めておきたい。
  なんだか、今日はいつもよりも時計の秒針が私に夜の長さを無機的に訴えかけてくる。普段もこんな物音を立てているにちがいないが、何故か無性にその物音が寂しさと圧迫感を与える。バイクの排気音、緊急車両のサイレンの音までもなぜか、耳に届いてこない。届いてくるのは、その音と鈴虫の声だけである。寝具に横たわり、白い画面を眺めては夜の景色はこんなにも黒いものなのだと、一層色味に変化を与える。決してグレーには映らず、真っ黒な世界の中に、僅かな濃淡が生まれ、揺れる木々や光る星々が抽象的でなく、直接具体的に映る。もしかしたら、電線に鴉がとまっているかもしれない。けれども、彼らも静かに眠っている。彼らも大きくなっていくのだろう。
  閑散とした世界。おやすみ世界。世界、世界…。

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