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古(いにしえ)を稽(かんが)える #95 稽古
武道の世界で良く用いられる守破離(しゅはり)という言葉があります。
守(しゅ)とは、何事も最初に基本を身に着けることの大切さを説いています。
破(は)とは、基本の応用のことであり、基本なくして応用は成り立たないことを意味しています。
離(り)とは、これまで学んだ基本と応用から、独自の形に発展させることを意味します。
この上達の過程を 守、破、離の三文字で現しています。
そして、それぞれの過程で共通するのが、稽古の大切さです。
スポーツなどで、試合に向けて取組むことを練習と言います。
しかし、剣道、柔道、弓道、華道、茶道などの武道や芸事では、稽古と言います。
稽古とは、〝古(いにしえ)を稽(かんが)える〟ことです。
古(いにしえ)とは過去のことであり、守破離で言うところの守に当たるところです。
例えば、自分自身の過去の体験も古です。
また、自分よりも経験の長い優れた方々の教えも古です。
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つまり、稽古とは、「過去の自分」と「現在の自分」を振り返る場であり、「将来なりたい自分」と「現在の自分」で不足しているのは何かを確認する場です。
そして、「現在の自分」で不足している部分を補うために学ぶ場です。
そのために指導を受ける場合もあるでしょうし、見取稽古と言って、見て学ぶ(盗む)こともあります。
もう一つが過去の自分を第三者的視点(ディソシエイト)で自己観照して評価・検証することです。
稽えるとは、漠然と考えるのとは違います。
比較して考えることを意味します。
その上で、守の部分を徹底して行動することが出来ているのか・・・
そして、それを前提に、課題を意識して、応用しようと創意工夫しようとしているのか・・・
ここを意識し、稽えて、行動するのが稽古なのであって、決して、何も考えないで、一生懸命やっても稽古とは呼べません。
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また、悩んでばかりで行動できない人がいます。
もちろん、無謀な行動による失敗は避けなければなりません。
しかし、完璧を求めるあまりに、なかなか行動に移せないようでは、いつまでも成長することができません。
また、成長する機会を逃してしまうかもしれません。
ここは、仮説を立てて、見切りでリーンスタートアップする勇気も必要です。
稽古では、上手く行かない、失敗の繰り返しです。
しかし、失敗であっても考えた上での質の高い失敗の積み重ねであれば、確実に成功の種となります。
そして、その失敗を恐れずに取り組める場が稽古でもあります。
失敗を恐れずに行動する経験を増やすことで、「考える=悩み」は、本当の意味の「考える=創意工夫」に変わるはずです。
悩むのであればこそ行動して、稽(考)える思考に切り替えることが大切になるのだと思います。
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千日の稽古をもって 鍛となし
万日の稽古をもって 練となす
これは、剣豪 宮本武蔵の言葉とされています。
千日の稽古で基本の技を鍛え上げ、万日の稽古でその技をより高みに錬りあげる。
転じて、一つの技を完全に自分のものにするには、ひたすら毎日繰り返し稽古に励むしか道はないということです。
正に守破離であり、継続は力なりにも通じます。