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感謝に始まり感謝に終わる #45 礼儀
コミュニケーションとは、社会学的には、社会組織の中で、それを形成する人間の間で行われる知覚、感情、思考の伝達と言えます。
また、心理学的には、自分自身との対話もコミュニケーションとも言えるようです。
つまり、優れたコミュニケーションとは、人間から人間に知覚、感情、思考などの情報が正確に伝わることと解釈されます。
息子が小学校の頃に担任の先生から挨拶をしないことを指摘されたことがありました。
対して息子は、挨拶をしていると主張します。
嘘を着く様な子ではなかったので不思議に思いました。
「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」
•••これは、ある禅問答らしいです。
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私は有名なビジネス書であるピーター・F・ドラッガーの「マネジメント」を読んだときに知りました。
確かに、木が倒れた際の音波は発生しますが、そこには、その音波を耳にする誰もいません。
音波は、人に〝知覚〟されることによって、初めて音となります。
つまり、「無人の山中で木が倒れたとき、音はしない」と言うのが答えです。
息子ですが、挨拶をしていました。
しかし、小さな声で先生に認識してもらえないような挨拶でした。
そもそも、挨拶とは何か、どんな意味があるかですが、武道などの挨拶でもある礼から考えてみるべきかと思います。
礼に始まり 礼に終る
これは柔道の創始者である嘉納治五郎師範の教えです。
正直、礼とは奥の深いものですが、ここでは、感謝の想いと捉えてみたいと思います。
2021年のゴルフのマスターズ大会で、松山英樹選手が日本人としてメジャー初優勝しました。
そして、その際にキャディーを勤められた早藤将太さんが注目されたことがありました。
それは、ウィニングパットの後に、帽子を取ってコースに頭を下げたのです。
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現地では、
「これが日本の礼儀」
「コースに敬意を払うのは素晴らしい」
「アメリカ人ではこの礼儀を理解できないだろう」
と称賛されました。
当のご本人は、
「特別な感情はありませんでした。ありがとうございました、ただそれだけでした。」
と心境をコメントしています。
人は決して一人では成長することはできません。
親、先生、上司、先輩などの目上の方々は当然ながら同僚、場合によっては後輩から学ぶことも少なくありません。
ゴルフであれば、素晴らしいプレーも、プレーが出来るコースがあるからこそです。
そして、その素晴らしいコースを仕上げてくれた人たちの存在があったからこそ。
決して自分一人で、素晴らしいプレーができるものではないと思います。
挨拶は行為です。
一方が挨拶をしたと主張しても挨拶、さらには礼は成立しないのです。
もちろん、声が大きくて相手に「知覚」されたとしても、そこに礼が備わっていなければ意味がありません。
頭を下げるだけの行為が礼ではないのです。
人は一人で成すことには限界があります。
何かを成そうとしたのなら何らかのカタチで多くの方々の助けが必要となります。
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礼で始まり 礼に終わる
感謝で始まり 感謝に終わる
日々の大切な習慣として、受けた助けや相手に対して、謙虚に感謝の想いを礼で表したいところです。