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組織の根底にある思想 #180 自他共栄

人は、決して一人で生きて行くことはできません。
また、一人で成し遂げることができることにも限界があります。
そのために何らかの組織に属します。

例えば、大局的に見たら社会ですし、コミニティー、学校、小局的には家族も組織です。
また、個人の目的を満たすための代表的な組織が企業です。

企業が組織として機能するためには、当然のことながら参画する個々が、目的を共有していることが大切です。
もちろん、共有するだけではなく、達成するために、貢献しようとする意欲を持って行動することが必要です。
そのためにも組織内では、常に適正な情報を共有すべくコミュニケーションが取れていなければなりません。

その意味からも各企業は、社会における存在意義を高めるため、それぞれ特有の目的を果たすために活動を繰り広げています。

組織のあり方に相応しい精神論は様々あるかと思います。
私が特に大切にしているものに自他共栄(じたきょうえい)があります。
その意味は、互いに信頼し、助け合うことができれば、結果的に、自分も他者も共に栄えることができるという考え方です。


社会を成し、団体生活を営んでいる以上、その団体・社会を組織している各成員が、その他の成員と相互に融和協調して、共に生き栄えることほど大切なるはあるまい。
各成員がことごとく相互に融和協調しておれば、おのれのはたらきがおのれ自身の益となるのみならず、他をもまた同時に利し、共々幸福を得るは明らかであり、他の活動がその人自身のためばかりでなく、おのれを始めその他の一般の繁栄を増すはもちろんのことである。
かような次第で、その融和協調の大原則は、つまり自他共栄ということに帰する。
ただただ他のためにつくせといっても、その尽さねばならぬ理由をいずこに求めるのであるか。
また自己の便のみをはかろうとすれば、たちまち他と衝突するは必然のことで、かえってそのために大なる不便をまねくにきまっている。
かく、自分をいたずらに捨てることも人情にそむき、また理由もなく、おのれの我儘勝手ばかりを主張すれば、他の反対によってそれが妨げられるばかりでなく、ついには自己の破滅に陥ることになる。
こう考えてくると、どうしても人が人として社会生活を全うし、存続発展していくには、自他共栄の主義以外にはあるべきでない。
「作興」第4巻第12号(大正14年)精力善用と自他共栄 より

実は、この自他共栄という考えは、柔道(正式名称は、日本伝講道館柔道)の創始者である嘉納治五郎師範のものです。
嘉納師範は、柔道のみならず、日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた「日本の体育の父」とも呼ばれる方です。

自他共栄の思想を阻害するものが、エゴイズムであり、利己主義あるいは、自己中心主義などとも言われる思想です。
その特徴は、自分の主張が正しいことを前提にしてしまうところです。
結果、他の人たちの意見を聴くなどの適正なコミュニケーションが取れません。

エゴイズムの傾向ですが、破壊的な批判をする(批判型)、排他しようとする(排他型)、協力をしない(非協力型)、関心を持たない(無関心型)などに分類されます。

批判型や排他型は、目立った行為で主張を繰り返すので、顕在的で認識し易い存在です。
放置しておくと、建設的であったり誠実な意見をもみ消し、最悪、モンスター社員になりかねません。
結果的に組織そのものが目的達成に向けて機能しないばかりか、崩壊してしまう可能性があります。
ここは、決してその思想が組織内に増長しないように、撲滅に向けて適切に指導し続けることが重要であると考えます。
もちろん、案件にも寄りますが、経営者であっても同じことです。
社員の意見に一切、聴く耳を持たずに、全て独裁的に物事を決めてばかりいたら、それはエゴイズムになるかと考えます。

また、組織である以上、同じ目的を果たすために属しているにも関わらず、それに貢献しようともしない非協力型や無関心型の存在は、潜在的で目立ちませんが、地味に効いてきます。
組織である以上、目的を実現するためには、互いに関心を向け合い、時にはプレッシャーを掛けたり、過激なぶつかり合いも必要なのだと思います。
もちろん、ぶつかり合いから、組織が崩壊してしまっては話になりません。
そこは、同じ目的の元、互いの役割を尊重し合って、建設的に協力し合うチームワークが大切なのだと思います。

組織の根底にある思想。
組織としてその存在意義を高める上で、自他共栄の思想はなくてはならないものであると考えます。

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